下北沢通信

中西理の下北沢通信

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横浜ダンスコレクション コンペティションI(1日目)@横浜赤レンガ倉庫

横浜ダンスコレクション コンペティションI(1日目)@横浜赤レンガ倉庫

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 初日はVon・noズ『不在をうめる』がよかった。なんといっても衣装も含めたダンスがスタイリッシュ。舞台装置は空っぽの舞台空間に何の変哲もない椅子が5脚置かれているだけなのだが、その椅子の位置をダンサーが自らの手で動かし続け、変化した配置に合わせて、照明を変化させて、空間を変容させていった構成の巧みさに驚かされた。女性2人のデュオということだと接触しても、ユニゾンで踊っても単調になりがちで、複雑な変化をつけることは難しいのだが、この作品では5脚の椅子にまるで出演パフォーマーのような存在感があり、デュオでありながら、大人数のグループダンスを見ているような満足感があった。
 下島礼紗「オムツを脱いだサル」は進化論という特に欧州のキリスト教圏ではデリケートな問題を扱っているのにもかかわらず、そういうことを感じさせないおかしさがある。いろんな意味で思わず笑ってしまうのだ。ただ、彼女は以前にソロ作品「オムツをはいたサル」という今回の作品の前身となるような作品を横浜ダンスコレクション2017 コンペティションIIで最優秀新人賞、タッチポイントアートファウンデーションをダブル受賞している。今回の作品はどうしてもその時の印象とイメージが重なる。
 ただ、一番気になっていたのは「オムツをはく」「オムツを脱ぐ」という比喩表現が観客にはほとんど届いていないのではないかということだ。これが分かってないと「進化論」がどうかとか言われてもほとんどの人にはぽかんという感じだと思う。当日配られていた演目の解説にはこの概念が栗本慎一郎の「パンツをはいたサル」から取られていることが書かれている。これは栗本が経済人類学のカール・ポランニーの紹介者として現代思想の世界に登場。その著書である「パンツをはいたサル」で栗本はヒトとは、裸のサルが余分に「パンツ」をはいている。必要以上のものを過剰に生産し過剰に消費する、そこに快感を覚えるのが人間であるというバタイユの説*1を前提に、金銭・性行動・法律・道徳などを「パンツ」という表現に置き換えて、ヒトの行動を説明した。「オムツをはいたサル」「オムツを脱いだサル」という表現はその本の書名からきているのだが、学者をやめて議員として立候補、当選した栗本は現代思想の世界でほぼ相手にされておらず、著書は出版当時はベストセラーとなりニューアカの一翼を担うものと見なされていたものの現在の知名度は限りなく低いのではないか。
 そこが一番の問題で「人間はパンツをはくことで進化した」が現代はそのはいたパンツ(ここではオムツ)を脱ぎ捨てる時ではないかという思想的な主張がほとんど伝わらず、ただ何の脈絡もなく、はいていたパンツを脱いだパフォーマーというおかしな絵づらしか伝わっていないんじゃないかと思う。

【増補版】パンツをはいたサル: 人間は、どういう生物か

【増補版】パンツをはいたサル: 人間は、どういう生物か

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか

 横浜ダンスコレクションのコンペティションⅠの特徴はアジアのダンス作家にも門戸が開かれていることで、今回も多くの作家がファイナリストに進んでいる。ただ、正直言って作品の作られたコンテクストがよく分からないことがあって、どのように受け取ったらいいのか当惑させられることも正直多いのだ。
 この日は台湾、韓国、香港と3つの国・地域からの参加者があった。リン・ティンシュイ『Deluge』は台湾からの参加。台風による水害をモチーフとした作品のようで、2009年に台湾高雄山間部を襲った水害を扱ったものだったらしい。こうした自然災害自体は日本人にとっても無縁なものではなく、水害といえば昨年日本各地を襲った悲劇も記憶に新しいところで、日本人にも共感が得やすい主題ではあるが、被災地への鎮魂というのはまだ理解できても災害自体をダンス作品とするという感覚はいまひとつピンと来ないかもしれない。
 それでも、冒頭で生演奏の打楽器で激しい暴風雨を思わせるような演奏が暗転の下で始まり、どんな爆発的な動きを見せてくれるのかと期待して待つと動き自体はそれほど激しくもないモダンダンス的な動きで肩透かしをくらったというがっかり感があり、そういう感覚は最後まで残った。
 韓国のイム・ソンウン、アン・ヒョンミの作品『Nuisance』は女性2人のデュオ作品。人間関係における「内気」(内向性)が悩みというこれまで見た韓国人の作品にはあまりないような面白さを持った作品で、こういう作品がどういう背景のもとに生まれてきたのかという興味は抱いた。ただ、ムーブメントにそれほど新規性はなく、韓国のダンス作品にしてはよくも悪くも素人くさいとも感じた。それはダンスにおいて個人よりもアカデミズムの目立つ韓国では新たなムーブメントの萌芽なのかもしれないとも感じたが、そうかと言って作品が面白いというほどではないと感じた。
 香港のアーティストによるブルー・カウィング『Experimental Relationships』も奇妙な作品だった。作品の最初の方から舞台下手前方にジューサーと2個のジョッキ型のグラスが用意されて配置されていて、作品の途中でスイカが丸ごと転がり出てきた時には最後はこれでスイカジュースを作って2人で飲んで乾杯するところで終わるんだろうなと思って見ていたのだが、何とジューサーでジュースを作っただけで、それをグラスに注がないし、飲みもしないという驚愕のエンディング。途中のジュースづくりのところが半分に割ったスイカから、手で中味をかき出して、ジューサーに放り込むなど結構雑な扱いをしているので、これだとただ食べ物をもったいなく粗雑に扱った人たちのように見えてしまったのも確かなのであった。

2.8 [sat] 15:00 ※上演順未定

リン・ティンシュイ『Deluge』
イム・ソンウン、アン・ヒョンミン『Nuisance』
下島礼紗『オムツを脱いだサル』
ブルー・カウィング『Experimental Relationships』
Von・noズ『不在をうめる』

2.9 [sun] 15:00 ※上演順未定

リン・チュンウユ『A Pillow Song』
ラウル・エル・ラキティコ・ジュニア『Transacting Comfort』
敷地 理『happy ice-cream』
ソン・ユンジュ『Pillar of Mind』
横山彰乃『水溶媒音』

yokohama-dance-collection.jp


simokitazawa.hatenablog.com
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http://p.yafjp.org/storage/documents/0/370/1550189353.pdf

*1:バタイユの蕩尽理論自体は芸術などのことを説明するのに重要なキー概念だと思う。ただ、そこには「パンツ」も「サル」も出てこない