下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

ロマンチカ「悪徳の栄え・美徳の不幸」と上海太郎舞踏公司「俳優修業」

ロマンチカ「悪徳の栄え・美徳の不幸」と上海太郎舞踏公司「俳優修業」下北沢通信

ロマンチカ「悪徳の栄え・美徳の不幸」
 ロマンチカがマルキ・ド・サドの 『悪徳の栄え・美徳の不幸』を芝居 にすると聞いた時、実は私は大きな 期待とともに、幾分かの危惧を抱い た。原作中の性的なメタファーをか なり露骨な表現でビジュアルに置き 換えていった『真夏の夜の夢』を始 め、この劇団はこれまでもエロスや 性的な表現をその活動の中心に置い てきた。その意味でサドを取り上げ るというのはあまりにも当り前すぎ て、詰まらないかもしれないなと思 ったからである。しかし、この芝居 は予想した以上に骨太なもので、単 なるエロチックなイメージの羅列に なっておらず、サドの思想に正面か ら取り組んだもので、演出家、林巻 子の才能に脱帽したのである。
 原作に登場する様々な異常性欲を 描いたシーンはこの芝居の中では、 細心に様式化され、絵画的な様式美 の中で進行する。林は冒頭の一シー ンを除いて、サドの作品では常套手 段ともいえる裸体を舞台上から排除 し、逆に衣装の醸し出す柔らかなラ インや主演女優の原サチコ、横町慶 子のスリムな足首といったものを、 効果的に見せながら、フィティッシュ なイメージを強調することで、裸体 以上にエロティックな印象を現出さ せることに成功していた。
 シアターアプルの広い空間をどの ように処理していくのかについても 注目していたのだが、舞踊のような 動きを取り入れて様式化された舞台 への役者の出入り、複数のパネルを 自由に組み合わせて移動させること で次々と新しい空間を舞台に展開し ていく舞台美術といい、林の演出家 としての周到な計算を感じさせるも ので、こと空間の使い方については 小劇場系の劇団としては群を抜く力 を持つことを証明したといっても、 いいかもしれない。
 林によれば個々の役者の動きにつ いては、振り付けたものではなく、 日常の訓練や実験公演などを通じて 役者がだしてきたものを使っている といい、六本木に稽古場を持って以 降、長期的なビジョンを持って準備 してきたことが、着実に実のりつつ あるといってもいいかもしれない。
 ただ、現時点では完成度の高さを 感じる身体表現を含めたビジュアル 面に対し、台詞については原、横町 とそれ以外の役者では力の差を感じ たのも事実だ。特に劇団にはもとは いなかった男優については、林の美 学を共有するにはいたっていないと 感じさせられる役者が混じっていた。
 今回の作品では構造上、原と横町 の二人のプレゼンスが大きいことも あり、それほどの傷にはなっていな いが、前作『メディア』でスタート したギリシャ悲劇の連続上演を今後 目指すのであれば、こうした点の解 消が今後の課題となるかもしれない。


上海太郎舞踏公司「俳優修業」
 ロマンチカ同様に演出家の美学が 舞台上のどのシーンにも感じられる のが、上海太郎舞踏公司だが、ひさ しぶりの東京公演で『俳優修行』を 上演した。昨年春に大阪で上演され た作品の再演だが、後半の三分の一 ほどは完全に新しいシーンに改訂さ れており、実質的には再演というよ り改訂初演版といってもいい。
 背広姿の役者たちによるショーダ ンスっぽい振り付けのなかなか楽し いオープニングダンスパントマイム によって芝居の幕が開いた後、展開 するのは幼稚園、高校、社会人の日 本における日常のスケッチである。 ここで上海は集団を重視する典型的 な日本社会の様そうと周りとのズレ から、社会での真っ当な関係を作る ことのできない自分というものを描 いていく。
 三つのシーンで繰り返される雨宿 りの場面は社会的な役割を演じるこ とのうまくできない自分の孤独を象 徴している。
 そして、最後の雨宿りのシーンで ひろった口紅を塗ってみると、絶望 の中で一人演じるということを知る。 つまり、集団に溶け込めない孤独な みにくいアヒルの子は演じることで 俳優になることで白鳥になれたので ある。その後の場面では上海は念の 入ったことに不器用なバレエまで踊 って見せる。つまり、この芝居は上 海太郎の俳優宣言なのである。
 ラストの三分の一は劇中の俳優、 上海太郎による劇中劇である。これ も一種の趣向で、ここでは劇中劇の 設定を持ってきたことで、演出家、 上海太郎の手を離れて、俳優上海太 郎がのびのびとストリッパーや路地 裏の浮浪者、悪魔といった役を演じ てみせる。このところ、演出家、作 家としての面が強かった上海が自分 を俳優として見つめ直した作品が俳 優修行だといってもいいのかもしれ ない。
 しかし、それでいて完全に俳優の 賛美に終わっていないのが、この作 品の複雑なところ。ラストシーンで 化粧を落とす「俳優上海」の後ろに 現われるのは顔のない男たち。この シーンを作らせたのは俳優上海なの か、演出家上海なのかが芝居を見な がら気になってしかたがなかったの である。