下北沢通信

中西理の下北沢通信

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青年団第92回公演「S高原から」(2回目)@こまばアゴラ劇場

青年団第92回公演「S高原から」(2回目)@こまばアゴラ劇場


平田オリザの作品は特定の文学作品を下敷きにしていることが多いが、「S高原から」トーマス・マンの長編小説「魔の山」を下敷きにしている。やはり、平田の代表作である「ソウル市民」はトーマス・マンの「ブッテンブローク家の人々」*1を参照項としていた。「魔の山*2は私の好きな小説のひとつだったが、おそらく、トーマス・マンといっても若い観客はピンとこない人が多いのではないか。しかし、それは別に教養を誇ってマウント取りをしようというのではなく、以前はマンは昨今よりもずっとよく知られた作家だったのだ。大きいのは短編小説「ベニスに死す」*3ルキノ・ビスコンティが映画化し、映画に登場したがビョルン・アンドレセンが絶世の美少年として一世を風靡したこと。
 あるいは昔ベストセラー作家だった北杜夫の代表作「楡家の人びと」*4が「ブッテンブローク家の人々」に強い影響を受けていたことなどもあった*5
 「魔の山」は大長編といえる小説で、ハンス・カストルプという青年が結核にかかり療養中の友人がいる山の上にあるサナトリウムで、自らも同じ病に罹患していることが判明、入院療養することになり、その過程で人生におけるいろいろな事柄を学び、成長していく物語。ドイツ文学の伝統であるビルドゥングスロマーン(教養小説)の系譜に入るが、物語には人文主義者、ニヒリストなど様々な思想的を持った人物が登場し、ハンスに対しさまざまなことを論じること影響を与えていくという思想小説の側面もある。ただ「S高原から」に取り入れられたのはそういう側面ではなく、山の上と下では時間の主観的な流れ方が異なるというモチーフで、この作品でも患者とそれを訪ねてきた外部の人物の間での時間意識の違いが、変奏されながら繰り返されるという構造が受け継がれている。
 木村巴秋と吉田庸が演じる二人の患者と彼らを訪ねてくる女性との間には両者で微妙な差異がある。そして、それは相手との関係性の違いとともに入院期間の違いによって異なってくる事情が提示される。演出的、演技的には木村巴秋が面白い。noteのレビューで佐々木敦氏が指摘していたのだが、かつての恋人が結婚することを恋人の友人の女性から一方的に告げられる場面があるのだが、その間中、木村は客席に背中を向けており、その顔を表情は観客にはいっさい見えないからだ。見せないことで自ずから観客側に想像させるというアイデアは「東京ノート」でも見られるが、ここでも同種の技巧が使われている。それでもその間の木村演じる男の感情の変遷を私たちが感じ取ることができたのは友人役を演じた田崎小春が何ともいえないような微妙な表情での演技をしていて、型にはまらないこうした繊細な演技をこなせる俳優が何人も存在することが現在の青年団の俳優陣の層の厚さを痛感させた。それまでおちゃらけたような演技体だった木村がここで突如変容するのが素晴らしい。
 とはいえ「S高原から」はもうひとつの文学作品からも影響を受けている。「魔の山」は直接登場人物の話題に出てくることはないが、こちらは頻繁に登場する。「風立ちぬ、いざいきめやも」で知られる堀辰雄の「風立ちぬ」だが、こちらの方は宮崎駿のそれを原作とする同名アニメ「風立ちぬ」により、より若い世代にも知られるようになったが、平田は「『S高原から』の方が映画『風立ちぬ』より古いので、劇中には映画の話は一切出てこない」としている。

作・演出:平田オリザ
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。
静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。
平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。

1991年初演の名作を8年ぶりに再演。


チラシに関する誤植のお詫び・訂正(2021.12.12)
『S高原から』公演チラシにおいて、記載内容に一部誤りがございました。
深くお詫び申し上げますとともに、次のとおり訂正させていただきます。

<訂正内容>
【誤】 1992年初演の名作を8年ぶりに再演。
【正】 1991年初演の名作を8年ぶりに再演。

出演
島田曜蔵 大竹 直 村田牧子 井上みなみ 串尾一輝 中藤 奨 南波 圭 吉田 庸 木村巴秋 南風盛もえ 和田華子 瀬戸ゆりか 田崎小春 倉島 聡 松井壮大 山田遥野

スタッフ
舞台美術:杉山 至
舞台監督:中西隆雄 
舞台監督補:三津田なつみ
照明:西本 彩
衣裳:正金 彩 中原明子
宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子
宣伝写真:佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト:山口友里
制作:金澤 昭 赤刎千久子