下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

別冊「根本宗子」 第8号 THE MODERN PLAY FOR GIRLS 女の子のための現代演劇『Whose playing that “ballerina”?』@KAAT

別冊「根本宗子」 第8号 THE MODERN PLAY FOR GIRLS 女の子のための現代演劇『Whose playing that “ballerina”?』(English ver.)@KAAT

 4人の女優のための舞台『Whose playing that “ballerina”?』を今回はEnglish ver.と題して英語で上演。
 ”女の友情”の面倒くささと素晴らしさも描いた作品。男の私にはうかがい知れないところもあるのだけれど女の人には「あるある」的に身に覚えのある描写がたくさんあるのだろうと思う。

『Whose playing that “ballerina”?』
(English ver.)
『超、Maria』(新作) 

作・演出:根本宗子 舞台装飾:東佳苗(縷縷夢兎)『Whose playing that “ballerina”?』

  そのバレリーナの公演はあの子のものじゃないのです

2020年1月22日(水)~2月2日(日)

KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

小池博史プロデュース公演「Fools on the Hill」@スタジオサイ

小池博史プロデュース公演「Fools on the Hill」@スタジオサイ

公演特設サイト開設! → https://kikh.com/foolsonthehill/about.html
チケット販売ページはこちら → https://ticket.corich.jp/apply/103975/

はぐれ者たちが集ったのは「ガリレオの丘」。
彼らはこの場所を目指した理由が定かではないまま吸い寄せられるようにやってきた。
夢見る男、学者の女、絶望した殺し屋、宝を探す男女、記憶喪失の女、恋に狂った女、一発屋……彼らは、いつの間にか、「丘の上」から出られなくなり、孤立してしまう。
そこに届けられる何通かの手紙。手紙には宛先も送り主もなく、その文章は丘の上に謎と疑心暗鬼を呼ぶ。分からなくなっていく「ほんとう」、世界の「ほんとう」、自分の「ほんとう」。

私は何を知っていたのか、本当に世界は見えていたのか?
丘の上とはなにか?

小池博史が描くビートルズシリーズ第2弾!サスペンス「Fools on the Hill」。
混沌を極める現代社会に投げかけられたFoolsの問い、あなたは何を感じるでしょうか?

【公演日程】
1月17日(金) 19:00〜
1月18日(土) ①14:00〜 ②18:00〜
1月19日(日) ①14:00〜 ②18:00〜★
1月20日(月) 19:00〜★
1月21日(火) 19:00〜
1月22日(水) ①14:00〜★ ②19:00〜
1月23日(木) 19:00〜

会場:スタジオサイ(東京都中野区新井1-1-5 1F)

ももクロ妹分からシンデレラを決める 「ミューコミプラス」 presents スタプラアイドルフェスティバル~今宵、シンデレラが決まる~@横浜アリーナ

ミューコミプラス」 presents スタプラアイドルフェスティバル~今宵、シンデレラが決まる~@横浜アリーナ

出演

ももいろクローバーZ私立恵比寿中学、TEAM SHACHI、たこやきレインボーばってん少女隊、ときめき♡宣伝部、はちみつロケット、アメフラっシ、いぎなり東北産、ukka(桜エビ~ず)、CROWN POP、B.O.L.T

【MC】吉田尚記ニッポン放送アナウンサー)

■概要
ミューコミプラス」 presents スタプラアイドルフェスティバル~今宵、シンデレラが決まる~
日程:2020年1月19日(日)
会場:横浜アリーナ(神奈川県横浜市)
時間:開場12:00(予定) 開演15:00 ※【11/28情報更新:開場時間が変更になりました】

https://event.1242.com/special/stapla2020/

 年長組グループ(ももクロ私立恵比寿中学、TEAM SHACHI、たこやきレインボー)の楽曲を妹グループ8組のメンバー46人がメドレーで歌い、たったひとりのシンデレラを会場の横浜アリーナにいる人が投票でその場で決めるという「今宵、シンデレラが決まる」はライブパフォーマンスにおける実力主義を貫いていて、いかにもスタダらしい企画だった。

 そして、結果的にシンデレラの座を射止めたのはCROWN POPの三田美吹。グループ自体の知名度も現時点では高いとは言い難いし、この日のライブが始まる前までは会場にいる多くの人にとってはほぼノーマークだったのではないか。それでも組織票なんかじゃなくて、彼女が選ばれたのがこの企画に相応しいし、こういうことになるのがスターダストプロモーションという事務所のよさではないかと思う。

#スタプラフェス シンデレラ決定戦で選ばれたCROWN POP #三田美吹 ちゃん生登場!! #一翔剣 #ミューコミプラス


 私自身はいろいろ迷った挙句に別の子*1に投票したのだが、終わった後のラジオとかで「走れ!」の落ちサビを見事に自分の歌い方で歌い切った三田美吹はこの日のシンデレラにふさわしかったと思う。さらにいえばもともと有力候補と見做されていた他の子たちは別のチャンスをつかむ機会がまだまだあるだろうけれど、もともと実力はあるのに地味に見える立ち位置に置かれていた彼女にとっては千載一遇のチャンスだったと思うし、それをつかみとった運と実力はアイドルが持つべき資質だと思った。

【MV】CROWN POP「真っ白片思い」
イベントは年少組8グループのオープニングアクトからスタート。メンバーの代表によりあらかじめ抽選した出演順は ①ときめき♡宣伝部 ②ukka
③B.O.L.T ④いぎなり東北産 ⑤はちみつロケット ⑥アメフラっシ ⑦ばってん少女隊 ⑧CROWN POPの順であった。
 ライブの時の観客の盛り上がりなどを考慮して単純に勢いを感じたのが①ときめき♡宣伝部と④いぎなり東北産。特にいぎなり東北産は粗削りながら、こういうアウエーとも言える自分達のことをあまり知らないような観客を巻き込んでいく状況での爆発力は凄い。
 ただ、この日感心させられたのは⑤はちみつロケット。いぎなり東北産のような圧倒的な爆発力はないけれど、直前が東北産で客席が前の余韻を引きずってざわざわしているところをその空気感を消し去って瞬時に自分たちの雰囲気に変容させてしまった。抜群の歌唱力を持つようなメンバーはいないのだけれどいいグループだと再認識させられた。播磨の存在が目立つのでひとりだけセンターステージに飛び出した時は「また播磨が」などと思ったのだが、これは新センターとなっている公野舞華でどちらかというと引っ込み思案に見えた公野がこれはこで出てきた意味を考えた時に何かぐっとくるものがあった。
 アメフラっシは最初の曲がももクロのカバー曲の「あんた飛ばしすぎ!!」。続けて「月並みファンタジー」「雑踏の中で」の3曲だった。ライブスタイルダンジョンで勝利の決め手となった「STATEMENT」のような熱い曲で攻めるかと思ったが、聴かせる歌を選んだ2曲、3曲目は果たして戦略としてどうだったのか?ないものねだりだが運営に策士がいればなと感じた。
 オープニングアクトの最後がシンデレラの三田美吹を出したCROWNPOP。実はライブスタイルダンジョンの1回目で惨敗したのをニコ生で見て以来ひさしぶりに聞いたのだが、パフォーマンスが格段に魅力的になっていて驚いた。
 ここはもともとツインボーカルに残りのメンバーがダンサーという構成になっていて、メンバーのうち2人しか歌わないのがライブスタイルダンジョンの敗因となっていたように思われたのだが、最近の歌では全員に歌割りを振るようになってきていて、それでいて大事な聞かせどころは三田美吹、里菜のツインボーカルがしっかりと聴かせる。これは大きな魅力アップになっていて、面白いと思ったので同様の好感を持つ人も多く、これが、三田個人の歌唱とあいまってシンデレラへの決め手となっていったかもしれない。

たこやきレインボーセットリスト
1、絶唱!ないわで生まれた少女たち
2、なにわのはにわ
3、天使のラブソングを
4、ナンバサンバイジャー
5、ナナイロダン
6、RAINBOW ~私は私やねんから~

TEAM SHACHI セットリスト
1、DREAMER
2、OREOREO
3、ザ・スターダストボウリング
4、パレードは夜空を翔ける
5、Rochet Queen
6、ROSE FIGHITER

*1:かねて高いアイドル性を持っていると思っていたアメフラっシの愛来に投票したのだが、10秒自己PRで「ヤンキーです」と宣言していたのはまったく意味不明(笑)でネガティブキャンペーンでしかないと思われ、らしいといえばらしいのだか、この日の空気感の中では負けるべくして負けたように思う。歌割にも運がなかった。

キラリふじみ・ダンスカフェ スペシャルコラボレーション『幻想曲』@キラリふじみ

キラリふじみ・ダンスカフェ スペシャルコラボレーション『幻想曲』@キラリふじみ

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 キラリふじみ芸術監督の白神ももこによるダンス企画。2日間のプログラムのうち初日の第一楽章、第二楽章の2つのプログラムを見ることができた。
 きたまりを見るのが目的のようなものだったことを考えるともう少し彼女がソロでガンガンに激しく踊る場面を見たかった。ただ、彼女の場合どうしても3人いる場面でも目立ってしまうということがあって、そのせいで上村なおか、花上直人を落ち着いて見ることができたのは終盤にきたまりが一度はけている間のことであった。
 この企画の特徴はコンテンポラリーダンスとしては珍しいほど小さな子供を連れた親子の観客が多いことだ。それだけならこの種の地方のホールの子供向けの企画でないことはないのだが、この日の演目はあまり子供向けということは意識してないのではと思わせるような挑戦的なもので、そこが色んな意味で面白かった。
 どんな作品なのか?冒頭はほぼ完全暗転の暗闇である。真っ暗の中でおどろおどろしいような音が聞こえてくるが、時折ちらりと動く影のようなものが見えるが何なのだかは全然分からない。客席はオールスタンディングで、私のいた場所の前には小さな女の子がお母さんと一緒にいたようなのだが、私の所にもその子の「お家帰る」の連呼が聴こえてきた。
 照明が少し明るくなってからも演者が布で出来た衣装を頭からかぶって亡霊を思わせるようななりで出てくることから子供らの恐怖は続いていたようで、先程とは別の母親からは「あれは布をかぶってるだけだから怖くないよ」と小声で伝えるのが漏れ聴こえてきたほどだった。
 トラウマになってしまうのではないかと思わず心配したが、それは杞憂と分かる。気がつくとダンサーの動きを食い入るように見つめて、目が釘付けになっている子供たちの姿に気がついたからだ。
子供たちの反応ということでいうと第一楽章以上に素晴らしかったのが第二楽章。白神ももこのダンサーへの演出にはサル山のサルの群れを動かすようなところがあったのだが、どうやらそれが見ていた子供たちを刺激して、途中からまるで作品の内部に取り込まれたように動かし始めたのだ。
 こういう地方の劇場には子供向けの企画とというのがよくあって、子供たちはそういう舞台を楽しんではいるのだが、この日に私が目の当たりにしたものはそういうものとはまるで違うものであった。
 白神の振付はダンスらしくないものなので、冒頭近くからそれを「これってダンスなの?」などと一緒に来ていた母親に聞いているようなところは確かにあった。ただ、その時点では「見られるもの/見るもの」の区別ははっきりしていて、ちょっと風変わりなダンスというようなものだったのだ。
 ところがそれが崩れたのが最初端の方に置かれていた「山」と呼ばれている木組みの塔のような舞台装置が少し舞台中央寄りに運ばれて出ていった辺りで全体の様子が変わってきたのだ。
山にはまだ幼い子供たちがこちらもサル山のサルのように集団で群がってダンスを見ていたのだが、ダンサーが二人一組になって木の枝が折れたようなものを二人でつかんでダンスでいうコンタクトインプロビゼーション的な動きを始めると子供たちも周囲に散らばっていた舞台美術から同じような木の棒を拾ってきて、それを手に持って遊びはじめたり、近くに来たダンサーにそれを手渡ししたりと明らかにダンサーらの動きにビビッドに反応して誰に即されることもなく、作品に参加し始めたのだ。
 この場合おそらくダンサーの動きはまったくの自由というわけではなく、振付により規定されているはずだが、振付られているはずもない子供たちの動きも観客である私の目には全体としてひとつのまとまりのように見えてきて、その全体が見たいがためにオールスタンディングで見る場所が規定されていないことをいいことにダンサー、子供たちの両方が一度に見える位置(最初の入り口からすると奥の壁沿い)に移動することにしたのであった。
 ラストシーンも最初に入り口側になっていた廊下側のガラスの壁が取り払われ、池となっている外側が見通せるようになり、ダンサーらが池に入って消えていったのも印象的。芸術監督としてここをホームグラウンドとして知り尽くしているからこそ可能な演出で予想を超えて素晴らしい公演であった。予定があり、翌日の企画後半部分を見ることができなかったのが残念で仕方がない。 

キラリふじみ・ダンスカフェ スペシャルコラボレーション『幻想曲』

作品について

どこで観る?何を観る?
目の前で生まれていくダンス・美術、光、音etcによる幻想曲
今シーズンから当館の芸術監督に就任した白神ももこが、2016年より始めた「キラリふじみ・ダンスカフェ」。
これまでにダンサーや振付家たちが、44㎡のガラス張りの会場を使い、カフェに行くように休日のひと時を楽しむダンスの時間を提供してきました。
4年目を迎える今シーズン、このダンスカフェのスペシャルバージョンを上演します。
形式にとらわれず自由な発想でつくられる「幻想曲」。
マルチホールという空間に集まった、ダンス・美術・光・音などの舞台をつくる様々な要素が、それぞれの想像力に基づいて自立して存在しながらも、時に交ざり合い、一つの世界を構成していきます。
目の前で変わり続ける舞台。
どこで観る?何を観る?かはあなた次第。
4つのピースからなる『幻想曲』を、五感、ときには第六感をフル活用してご堪能ください!



何かが生まれる瞬間、そして変化しやがて終わっていく瞬間に、私は何を見、何を聞き、どこへ立つのだろう。
キラリふじみ・ダンスカフェ、4年間続けて参りました。今回は劇場の中でのスペシャルコラボレーションです。ぜひ様々なポジションでお立ち会いください。お待ちしております。

コンセプト・ディレクション 白神ももこ(当館芸術監督)


出演
1月18日(土)
【第一楽章】
上村なおか きたまり 花上直人
【第二楽章】
臼井梨恵* 加藤典子* 北川結* 仁科幸*
塙 睦美* 夕田智恵* 白神ももこ*
岡田智代
長田健生 長田陽生

ゴジゲン「ポポリンピック」@こまばアゴラ劇場

ゴジゲン「ポポリンピック」@こまばアゴラ劇場

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ポポリンピック

 私はスポーツに対してけっこう思い入れが強いので、安倍政権にまつわる五輪関係での様々な利権構造には問題があるにしてもツイッター上などで、スポーツそのものに普段からほとんど興味のない演劇関係者とかが安易に五輪批判することについては少しイラっとするところがある。
 スポーツは選手たちのプレー次第なので、実際に大会が始まってみれば陸上にせよ、水泳にせよ盛り上がるはずだし、先日のラグビーW杯ではないが、ニワカというような各競技のファンが大量発生して活況を呈するのは間違いないと思うからだ。
 そういう意味ではゴジゲン「ポポリンピック」は運動競技の扱い方があまりに雑に感じられて私にはちょっと厳しいものがあった。五輪種目から外れたボウリングのことが主題となっているのだが、正直言ってボウリングのことがまるで描かれていないし、これなら種目が何であっても変わりがない。エンターテインメントだから事実関係に本当と違うことがはいっていてもかまわないという考えなのだろうが、話にあまりにもリアリティーがなさすぎて、どうにもついていけない。いくらなんでもこれでは日本ボウリング協会やこの競技を真剣に取り組んでいる人は怒るんじゃないだろうか。ギャグ漫画的なフィクションだからかまわないとはなりにくいのではないかと思ってしまった。

作・演出:松居大悟


2020年、ここでオリンピック・パラリンピックが行われる。
プレイヤーとして生きていて、機会は今回しかないだろう。
だけど彼は出られない。出る資格すらなかった。
多様性と調和。多様性と調和?
どこにも居場所なんてないならば―――
さあ、彼の物語を始めよう。

2008年に慶應義塾大学内で結成。不器用にしか生きられない人間達が紡ぎだす軟弱なシチュエーションコメディを上演していたが、近年は作るってなんだよ生きるだけだろとか言っている。メンバー全員が地方出身者のため、全国を視野に入れて活動中。

出演

目次立樹 奥村徹也 東迎昂史郎 松居大悟 本折最強さとし 善雄善雄 木村圭介(劇団献身)

スタッフ

舞台監督:川除学(Stage Doctor.co.ltd)
美術:片平圭衣子
照明:伊藤孝(ART CORE)
音響:田上篤志(atSound)
音楽:森優太
衣裳:本多圭市 横田真理
演出助手:奥村徹
照明操作:菅俊貴
音響操作:井上林堂
宣伝美術:本多伸二
宣伝写真:関信行
制作:柴田紗希
票券:村田紫音
プロデュース:半田桃子

岡崎芸術座『ニオウノウミにて』@横浜STSPOT

岡崎芸術座『ニオウノウミにて』@横浜STSPOT

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ニオウノウミ
 琵琶湖に棲息する外来魚、ブルーギルの話。琵琶湖にある竹生島竜神(弁財天)伝説とこの島を題材とした能の「竹生島」。中国大陸から沖縄をへて日本に伝わった弦楽器(琵琶、三線、三味線)を巡る歴史、日本にやってきて滋賀県で暮らす在日外国人の挿話……。
 互いに無関係とも思われた複数の主題が物語の進行とともに絡み合い、響きあってひとつの作品を形作っていく。沖縄、小笠原など日本における辺境の地や海外の日系人など外部の目から「日本というもの」に迫ってきた岡崎芸術座が今回は琵琶湖という京都周縁の地の物語を紡ぎだした。
 琵琶湖にいる外来魚としてはブラックバスが有名だが、この作品でブラックバスほどは知られていないブルーギルが取り上げられたのは作品制作の直前となる昨年春に当時の天皇陛下ブルーギルが琵琶湖でこれほど増えたおおもとの原因は、自分が食用魚の候補としてもらい受けたブルーギルが繁殖させることになったからだと謝罪したという出来事*1があったからではないか。
とはいえ、詳しくはこのサイト*2を参照してほしいのだが、この舞台で物語の筋立ての下敷きとなっているのは完全に謡曲竹生島」である。竹生島の祭神について弁財天の名前が挙げられたり、竜神が挙げられたりしているため、これはどういうことなんだろうと考えていたのだが、「竹生島」ですでにこの両者(老人と若い女性)は二人一組のもの*3として現れてきている。この舞台で最初に男の前に現れる娘とその親だとされる漁師の男はそれと同じ役割を演じるものだ。
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能「竹生島

醍醐天皇朝臣が、竹生島明神に参詣するため、琵琶湖の湖畔にやってきて、翁の釣り船に便船して島に下りる。翁には若い女の連れもいて、それも一緒に島に下りようとするので、この島は女人禁制ではないかと朝臣が翁に問いかけると、翁は、この島の明神弁財天は女体なので、女人こそ参る資格があるのだという。そして自分たちは、実は人間ではないといって、女は社殿に入り、翁は水中に入ってしまう。

 以上が能「竹生島」の筋立てだが、最初に琵琶湖の近くを通りかかる男が外国からこの近くに来て働いている外国人労働者であることを除けば、「女人禁制なのに」のくだりを始め、かなり忠実に原作の能楽をなぞっていることが分かる。
 とはいえ、「ニオウノウミにて」が面白いのは単に古典をなぞっているだけではないことだ。日本にかかわりのある外国人を物語のとっかかりとするのはこれまでも常套手段ではあったが、今回は外来魚であるブルーギル外国人労働者が物語のなかで次第に二重重ねになっているのが興味深い。
キャストでは弁財天役を務めた浦田すみれが印象的だった。人間を超えた存在を示現*4しており、「いったいどこから来た人なんだ」と上演中から気になった。泉鏡花の「天守物語」とかほかの作品でも見てみたい女優である。
  

キャスト

浦田すみれ(うらたすみれ)

1998年兵庫県生まれ。 神奈川総合高校 個性化コース在学中より、コンテンポラリーダンスを学ぶ。現在、舞台を中心にフリーランスで活動。


重実紗果(しげみさやか)

1991年東京都生まれ。10歳からストリートダンスを始める。京都造形芸術大学在学中に「花柄パンツ」を結成し、言葉と身体の関係性を問う作品作りを精力的に行う。
現在は関西を中心にダンサーや俳優として活動。近年では、伊藤キム維新派、冨士山アネット、ヨーロッパ企画イエティ、off-nibroll等の作品に出演。


嶋田好孝(しまだよしたか)

1990年兵庫県生まれ。2014年京都造形芸術大学大学院修了。京都を拠点に、フリーランスで舞台映像や映像製作を行う。最近の主な活動に、2018年「渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉」チェルフィッチュ、2019年「いいかげんな訪問者の報告」岡崎芸術座。今作が俳優としては初出演。京都市内の銭湯によく出没する。


琵琶湖で釣りをして、様々な立場の人の話を聞いて、生態系保存と治水の関係を考え、外来魚駆除大会へも行き、ブラックバスを食べ、湖岸を一周した。複雑に絡むそれぞれのトピックは立場のちがいを際立たせて、対立するか無視し合うかしか先はない、みたいな感じがして、こわかった。いまの世の中の縮図を見た気がしてしまった。琵琶湖はいつまでも見ていたいほどうつくしくて、漁師たちの住む沖島も湖岸から見た竹生島も、神秘的な雰囲気に満ちていた。能の「竹生島」をこの作品の参考にすることに決めた。生き物に内も外もあるのだろうか、人間にそれを決める権利などあるのだろうか。こわい、けれどもうつくしい琵琶湖のことを想像しながら、キャストやスタッフたちと話し合いつつ、創作する。

*1:www.kyoto-np.co.jp

*2:japanese.hix05.com

*3:能では翁がシテ、若い女がツレとなるが「ニオウノウミにて」では女の方ががシテ格となる

*4:いささかおおげさに聞こえかねないことを承知のうえでいえば美加理的なものの片鱗を感じた。一度宮城聰演出で見てみたい。

映画「屍人荘の殺人」@吉祥寺オリオン座

​映画「屍人荘の殺人」@吉祥寺オリオン座

 


映画『屍人荘の殺人』予告【12月13日(金)公開】

 元はといえば実写版「saki」での咲役でその存在を知ったのだが、その後、実写版「 賭ケグルイ」の蛇喰夢子役、さらに2月にはテレビドラマ「アリバイ崩し承ります」(大山誠一郎原作)もスタートと今やキャラもの的な役柄のヒロイン一手引き受けの感があるのが浜辺美波(はまべ みなみ)。彼女のヒロインキャラがもともとミステリ小説が原作ながら、ラノベ、漫画的キャラである剣崎比留子がピタリとはまった。ワトソン役の葉村譲(神木隆之介)、もうひとりの探偵役である明智(中村倫夫)らも適役だった。

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

 

 

 

魔眼の匣の殺人 屍人荘の殺人シリーズ

魔眼の匣の殺人 屍人荘の殺人シリーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

第七劇場「ムンク/幽霊/イプセン」@愛知県芸術劇場・愛知県美術館

第七劇場「ムンク/幽霊/イプセン」@愛知県芸術劇場愛知県美術館

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第七劇場×愛知県芸術劇場×愛知県美術館ムンク|幽霊|イプセン」美術館パフォーマンスより。(提供:愛知県芸術劇場
舞台本編の前後に短く、ムンクに関連したテキストが挿入されてはいるが、演劇はほぼイプセンの「幽霊」によるものだった。そういう意味ではムンクはどちらかというとムンクが「幽霊」上演に際して依頼された舞台についてのイメージ画が愛知県美術館所蔵に所蔵されていることから、無理やり関連付けたように見えてしまった。
 同じテキストの抜粋を使った美術館ロビーで上演されたパフォーマンスは実際に展示されているムンクの作品を見ながら鑑賞することができるから「ムンク/幽霊/イプセン」の表題に相応しい気がしたが、劇場版は「幽霊」の上演でよかったのではないかと思ってしまった。
 そういうことは度外視して観劇の印象を語ると、イプセンの上演としては予想したよりオーソドックスなものだったのはないか。イプセン作品の上演は「人形の家」「ヘッダ・ガブラー」「ペールギュント」「民衆の敵」などかなりの数の作品を見ている。
 「人形の家」にせよ「ヘッダ・ガブラー」にせよ家族のなかにはびこる偽善から解放されるように登場人物がふるまうことで家族の関係性自体が崩壊してしまうというような筋立ての作品が多いが、「幽霊」もこの系譜であり、その意味ではイプセンらしい作品といえるだろう。「人形の家」では女性の而立という当時としては目新しい主題を手掛けたが、「幽霊」ではさらに一歩踏み込んで、不倫から近親相関、さらには当時はまだ目新しかったであろう先天性梅毒*1も戯曲の中に入れ込んでおり、スキャンダラスな内容となっているのではないか。

 ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863〜1944年)が描いた愛知県美術館所蔵の絵画《イプセン『幽霊』からの一場面》と、モチーフとなったノルウェーの劇作家、ヘンリック・イプセン(1828〜1906年)の作品「幽霊」を原作にした第七劇場(三重県)のパフォーマンス「ムンク/幽霊/イプセン」が2020年1月8〜13日、名古屋・栄の愛知県美術館愛知県芸術劇場小ホールで催される。
ヘンリック・イプセン

 1881年に発表されたイプセン「幽霊」の主人公は、愛のない結婚でありながら放埒な夫の元にとどまったアルヴィング夫人。夫の死後、夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、息子のオスヴァルがパリから帰ってくるが、夫人の目には、因習や慣習、愛や結婚、義務と自由などに対する伝統的な価値観が幽霊のように浮かび上がる——。
 一方、愛知県が2017年に収蔵したムンクイプセン『幽霊』からの一場面》は1906年制作のテンペラ画。県民からの寄付金を使い、県が5億5000万円で購入した。


愛知県美術館のwebサイトなどによると、未亡人の屋敷の一室で、表情の見えない複数の人物が別の方向を向いて立つ場面が描かれている。大きなガラス窓の向こうには、蝋燭の不始末で全焼した孤児院の残り火が見え、画面の痛々しいような赤色や、重苦しい暗色が不安を誘う。「幽霊」がドイツの小劇場で上演される際、イプセンから舞台美術の依頼を受け、構想画として描かれたもので、秘密や苦悩に縛られた登場人物の心の内が表現されている。
 同美術館で2020年1月3日〜3月15日に開かれる企画展「コートールド美術館展 魅惑の印象派」の会期中のコレクション展で、展示室4にムンクの版画8点とともに展示される。美術館でのパフォーマンスは、この展示室で約20分間のモノローグ作品として7回上演する。
 一方、劇場小ホールでは、約1時間半の演劇作品として上演する。美術館パフォーマンスは、美術館入場券で鑑賞できる。
 第七劇場は、1999年、演出家の鳴海康平さんが早稲田大学在学中に設立。国境を越える作品を物語や言語だけに頼らず舞台美術と俳優の身体、舞台上に立ち上がる「風景」によって創作する。国内外のフェスティバルなどに招待されている。2014年から、拠点は三重県津市美里町

 

 

*1:そうだということははっきりとはセリフで示されていない。ただ、戯曲の設定上そうだと思われるのだが、もし、そうだとすると父親だけではなく、母親が感染しているはずであり、実際には現代の知見ではこういうことは起こらないのではないか。

岸田劉生展@名古屋市美術館

岸田劉生展@名古屋市美術館

 


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岸田劉生の一群の「麗子像」がなぜあんなに不機嫌な顔をしているのか?そういう風にデフォルメして描いたからだと思ってきたのだが、同じ時期に描いた「村娘」の絵がもっと可愛らしく愛嬌があるように描かれていること。自画像を含む他の肖像画が予想以上にリアルなのを考えると麗子は無理やり絵のモデルにされ動かないでじっとしていろと言われて嫌だったため、実際にも不機嫌な顔をしてたんじゃないかと思えてきた。あの顔は妻に取っ捕まって無理やり抱かれた時の我が家の猫(ピノコ)の顔とそっくりの表情をしている(笑)。

 まあ、美術史的には東洋的な美術の影響によるアルカイックスマイルがどうとかの解釈が正統なのだろうが。

「コートールド美術館展 魅惑の印象派」@愛知県立美術館

「コートールド美術館展 魅惑の印象派」@愛知県立美術館

コートールド美術館*1はロンドンにある美術館。単独の美術館の巡回公演という位置づけなのに過去にどこかで画像を見た記憶があるそれぞれの作家の代表作がいくつも展示されているのに少し驚かされた。
 それぞれの代表的作品の横には写真付きでそれぞれの絵画の部分部分について詳しく解説されたパネルが併設されていて、教育的見地からいえばこうした丁寧な解説には好感を持ちはしたが、逆に唖然とさせられたのは(この日だけの現象だったかもしれないが)解説のパネルの前が黒山のひとだかりで近づけないほどに込み合っているのにその隣の実際の絵の前には数人しか人がいなかったこと。おかげでゆったりと見られて私としてはゆったりと見られてよかったのだが、「この人たちは何を見にここに来ているのか」と思ってしまったのも確かなのだった。