ドロシー・L・セイヤーズ「毒を食らわば」(創元推理文庫)を読了。
- 作者:ドロシー・L. セイヤーズ
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1995/11/01
- メディア: 文庫
もっとも冒頭はこの2つの作品では対極的ともいえる。「ベローナ・クラブの不愉快な事件」の方はベローナ・クラブでフェンティマン将軍が死体として発見されるところからはじまるが、その死が起こったのとほぼ同時期と思われる時点で、この老人と近親の老嬢も病気によって亡くなったことが分かる。ここで困ったことが起こり、弁護士にピーター・ウィムジイ卿が依頼を受ける。老嬢の残した遺言によれば2人のうち老嬢の方が先に亡くなれば、その財産のほとんどは老人が相続することになる*1が、老人の方が先に亡くなれば財産は老嬢の介護をしてくれていた親戚の娘のものになる。それで、どちらが先に死んだのか、ピーター卿に調べてほしいということになったのだ。
一方、「毒を食らわば」は恋人を砒素により毒殺した容疑でハリエット・ヴェインが裁かれている裁判の場面からはじまる。こちらの方は一見、容疑は濃厚で動かしがたいように見えるが、「彼女は無罪だ」と信じたウィムジイがその容疑を晴らそうと奔走することになる。
ここから先ネタバレ
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
このようにまったく対照的なお話としてスタートする物語が相似の様相を見せるのは「ベローナ・クラブの不愉快な事件」は最初は老人の死亡について、前夜に老人と一緒にいたらしいというオリヴァーなる謎の男の出没などから怪しげな行為があったのではないかと考えたピーター卿はその捜査に乗り出し、それが物語前半の主要な筋立てになっているのだが、その過程で老人の遺体を再調査することになり、その結果、老人の死は心臓発作による自然死で遺産詐取のために死亡時刻をごまかそうとしただけの詐欺事件ではなく、老人の死因がジギタリスによる毒殺だということが判明するからだ。
ここ以降のプロットはいずれの作品も一見、毒を摂取させることが不可能の状況のなかでいかにして、被害者を殺すことができたのかという一種のハウダニットものとしてミステリのプロットは展開していく。そして、「ベローナ・クラブの不愉快な事件」で容疑者となる老嬢の親戚の娘、アン・ドーランには動機はあっても機会がなく、一方、ハリエット・ヴェインには機会も動機らしきものもあるという大きな違いはあるのだけれど、その容疑をはらすために姫を守る騎士のごとくにピーター卿が奮闘するというところが相似形なのである。
もっとも、この2本の作品を比較してみるとそれまでの1本線のようなプロットから、前半の死亡推定時刻を巡る謎の解明からそのからくりをピーター卿が解き終わってもそこでは事件は終了せずにさらに毒殺の謎というより大きな謎が現れるという2段構えの構造や解明された真犯人の犯人像までやや「ベローナ・クラブの不愉快な事件」の方に軍配を上げたくなるところだが、それを補ってあまりあるのが、「毒を食らわば」でのクリンプスン嬢の大活躍である。「ベローナ・クラブ」にも登場はするが、探偵事務所兼人材派遣業の所長みたいになっていて「うーん」と思っていたのだが、「毒を食らわば」のラストでは自ら霊媒士まで演じての奮闘ぶりはそれこそ抱腹絶倒ものなのである。
ネタバレついでに最後に毒殺についてのメイントリックについての感想を書いておくと、「毒を食らわば」はあまりにも有名なやつなので、「やはりこれか」と思ったのだけれど、執筆時期から言えばこれが初出なのかもしれない。「ベローナ・クラブの不愉快な事件」の方は今でもうまくやれば十分に通用するかもしれないけれど、最後の結末はちょっと。あれをやらないと裁判じゃ無理だったってことだろうが。
最後に本編に直接は関係ないのだけれど、ここまでドロシー・L・セイヤーズの作品を読んできて、ピーター卿とバンターに対して、私がイメージとして思い浮かべている絵柄というのが坂田靖子の漫画なんだということにふと気がついたのだけれど、これはどうしてなんだろう。なにかの雑誌で彼女がピーター卿のイラスト書いているということがあっただろうか。
simokitazawa.hatenablog.com
*1:つまり、その後、老人の相続人がそれを相続する