下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

DANCE TRUCK TOKYO 2019 DAY2@渋谷宇田川町空き地

DANCE TRUCK TOKYO 2019 DAY2@渋谷宇田川町空き地

ハロウィンの渋谷でダンスイベント。かなり外国人観光客と思われる若者たちの姿もあり、ロケーションとしては成功かも。とは言うものの、私語がうるさいという問題もある。

さてこの日
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灰野敬二「ポリゴノーラという楽器を演奏します。」
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森下真樹(森下スタンド)
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Abe“M”ARIA
 
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ダンス見るの初めての人も関係ない。問答無用の破壊力と改めて再認識。
メガネ(座) 
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きたまり
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まさに小さな巨人。何の仕掛けもなく、ただダンスだけの力て辺りを完全に支配した。
白井剛
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日時:2019年10月26日(土)・27日(日)18:00-20:00
会場:渋谷 宇田川町空き地
(渋谷駅からNHKホールに向かう道の左側)



【 入場案内 】

▶ 入場無料(事前予約不要)
▶ スタンディングとなります。
▶ 会場には駐車場がありませんので、公共交通機関をご利用ください。
▶ 出演順は、当日webでご案内します。
▶ 雨天決行。荒天の場合には中止の可能性があります。開催可否は、NEWSをご参照ください。



出演:
Abe"M"ARIA、きたまり(27日)、白井剛/Dill、灰野敬二、メガネ(座)、森下真樹/森下スタンド

照明:筆谷亮也
音響:WHITELIGHT
映像:斉藤洋
美術監修:OLEO
舞台監督:木村孔三

協力:渋谷公園通商店街振興組合

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妖精大図鑑「第八章 大天使コシラエル」@新宿眼科画廊 スペースO

妖精大図鑑「第八章 大天使コシラエル」@新宿眼科画廊 スペースO

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脚本:飯塚うなぎ
演出/振付:永野百合子

大天使コシラエルはパパリウムとママリウムの子として生まれ、いきものをつくり育てる仕事を与えられた。兄である堕天使メタファーが、ときどきやってきてはお茶を飲む。ある日、コシラエルは悩みの種のひとつを水耕栽培する事にした。そして、コシラエルは新芽におとぎ話を聞かせる。むかしむかし、この箱庭に新宿という名前がついていた頃…
そしてあらすじは全て無に帰す。

【 CAST 】

飯塚うなぎ
永野百合子
嶋野幸香

特別出演(声):萩原朔美


【 STAFF 】

音響:鈴木はじめ
照明:齋藤桜子
作曲:荒井優
宣伝美術:古澤禅
制作協力:黒澤たける
撮影:福本剛士

 2010年代が終わり、20年代が始まるまで後数ヵ月に迫ってきた。ポストゼロ年代(テン年代演劇)の象徴的存在ともいえる柴幸男によるままごと「わが星」は「最初は無」との唱和ともにスタート。宇宙の開びゃくにおけるビッグバンから太陽系の始まりを描き出す。
 一方、妖精図鑑「大天使コシラエル」は「みたことのないしろいへや」と公演会場の新宿眼科画廊を思わせる場の説明の後、「いま、このへやの そとは む」とした後、大天使コシラエルと目される人物が何かスイッチのような赤いボタンを押すと「ボタンが、はしゃいで うたっているあいだに もう宇宙のはては、とおくとおくに 行ってしまって これが ビッグバンです」とやはり宇宙のはじまりが示される。 
 実は「わが星」は今からほぼ10年前の2009年秋に初演されているのだが、この2つの作品がいずれも宇宙の誕生から終わり(死)、地球の誕生から死までの巨視的な時間を描き出しているのは単に偶然ではない気がして興味深い。
 

✅ 妖精大図鑑「第八章 大天使コシラエル」が昨日10月22日に開幕した。

エキセントリックコミックショー「永野と高城。3」@東京・ニューピアホール

エキセントリックコミックショー「永野と高城。3」@東京・ニューピアホール

出演者・高城れにももいろクローバーZ)、永野

DANCE TRUCK TOKYO 2019 DAY1@渋谷宇田川町空き地

DANCE TRUCK TOKYO 2019 DAY1@渋谷 宇田川町空き地

しでかすおともだちf:id:simokitazawa:20191026183904j:plain
五十嵐結也
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川村美紀子
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ロクディム(即興演劇)
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東野祥子
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日時:2019年10月26日(土)・27日(日)18:00-20:00
会場:渋谷 宇田川町空き地



【 入場案内 】

▶ 入場無料(事前予約不要)
▶ スタンディングとなります。
▶ 会場には駐車場がありませんので、公共交通機関をご利用ください。
▶ 出演順は、当日webでご案内します。
▶ 雨天決行。荒天の場合には中止の可能性があります。開催可否は、NEWSをご参照ください。



出演:
Abe"M"ARIA、五十嵐結也、川村美紀子、きたまり、しでかすおともだち、白井剛/Dill、灰野敬二、東野祥子、メガネ(座)、森下真樹/森下スタンド、山川冬樹、ロクディム


照明:筆谷亮也
音響:WHITELIGHT
映像:斉藤洋
美術監修:OLEO
舞台監督:木村孔三

協力:渋谷公園通商店街振興組合

ポかリン記憶舎「ミチカケ」@品川歴史館

ポカリン記憶舎「ミチカケ」@品川歴史館

 

昨年上演されたポかリン記憶舎の朗読劇「ミチカケ」の町田カナ版の再演。とにもかくにも、女郎から猫の声色まで自由自在に操ってみせる町田カナの演技が素晴らしい。朗読劇とはいうが、椅子に座って本を持っているというのももはや演出・演技の一部である。もっともこれを本を持たないで、正面を向いて座ったらそれこそ落語か講談のようになってしまう。同様の朗読劇としては白石加代子の「百物語」があるが、舞台の完成度としてはその領域に近づきつつあると感じた。 
 このところ継続的に品川宿を舞台にした連作の上演は行われていたのだが、作者である明神慈が京都に移住したこともあってもう見られないと諦めていたので今回この舞台を見ることが出来たのは非常に嬉しかった。
 品川歴史館のロケーションも雰囲気があり、良かった。

simokitazawa.hatenablog.com

 

東京芸術祭・シャウビューネ劇場「暴力の歴史」@東京芸術劇場プレイハウス

東京芸術祭・シャウビューネ劇場「暴力の歴史」@東京芸術劇場プレイハウス

原作 エドゥアール・ルイ著『暴力の歴史』(2016年)
演出 トーマス・オスターマイアー
独仏翻訳 ヒンリッヒ・シュミット=ヘンケル
トーマス・オスターマイアー、フロリアン・ボルヒマイヤー、エドゥアール・ルイによるドイツ語での初演翻案
出演 クリストフ・ガヴェンダ、ラウレンツ・ラウフェンベルク、レナート・シュッフ、アリーナ・シュティーグラー、
演奏 トーマス・ヴィッテ
演出助手 ダーヴィッド・シュトエル
舞台美術/衣装 ニーナ・ヴェッツェル
音楽 ニールス・オステンドルフ
映像 セバスティアン・ドュプィ
ドラマトゥルク フロリアン・ボルヒマイヤー
照明 ミヒャエル・ヴェッツェル
振付 ヨハンナ・レムケ
製作 Schaubühne Berlin
共同製作 Théâtre de la Ville Paris, Théâtre National Wallonie-Bruxelles and St. Annʼs Warehouse Brooklyn. 初演 2018年6月

 国民戦線のことが出てきて途中までなぜか昔の話の翻案と勘違いしていたのだが、原作も舞台もフランスで最近のことを描いたものなのだというのに見終わってから初めて気がついた。
 暴力という問題が日本にないとは言わないが、大抵は日本でのそれはDVだったり、学校や職場でのいじめだったりして、しかもそれを周囲が隠蔽するような抑圧の構造が日本では問題視されることが多い。ゲイの男性同士の性的なものを含む暴行についてこの舞台で描かれるようにその出来事そのものを直接的に描くことはないのではないか。そしてそれは日本の演劇批評の世界で時折、欧州への留学経験者がよく言及するように「こういうリアルなものが扱えるから欧州演劇は素晴らしく、日本の演劇は不徹底だ」などということではなく、感じたのは何をもってリアルとするのかの枠組みが根本的に異なるのだなということだった。
 本作品では人種や階級にともなう差別の問題を扱っているのだが。不可解なのは主人公に対する暴力事件の被疑者となるのが、北アフリカ系の移民であることだ。しかもそれを今作品ではそれを実際に北アフリカ系と見えるような俳優が演じる。いくらこの物語が小説家エドゥアール・ルイが実際に体験した事件を基にした小説「暴力の歴史」を原作にしているとはいえ、これだけ移民の問題が取りざたされて時に、北アフリカ系の移民が大学生である主人公に対して性暴力を振るった事件を主題とすることは移民に対する偏見や差別を助長するということの批判は起こらないのであろうかという不思議である。
 この作品では同じく同性愛者(ゲイ)である主人公に対する北フランスの貧しいエリアの住民である主人公の家族の偏見が赤裸々に語られるのだが、テキスト全体が一人称で描かれていることもあり、差別される当事者、暴力を受けた被害者としての主人公の立場は強調されはするが、主人公の親族に対する差別意識やそれと同根である移民に対する差別意識は正面からは批判されにくいような構造となっている。しかも観客からそのことが批判されるということがあまりないという欧州の現代の状況はどういうことなのかというのを舞台を見ている最中、ずっと感じ続けたのである。

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

第2回 劇カフェ 「大正天皇をめぐる二つの舞台ー『治天ノ君』と能『大典』」@座・高円寺地下3階 けいこ場2

第2回 劇カフェ 「大正天皇をめぐる二つの舞台ー『治天ノ君』と能『大典』」@座・高円寺地下3階 けいこ場2

 

第2回 劇カフェ 「大正天皇をめぐる二つの舞台ー『治天ノ君』と能『大典』」
トーク】 山本健一演劇評論家、AICT会長)
      小田幸子 (能・狂言研究家、AICT事務局長)
【日時】2019年10月24日(木)
       18:30~20:30(予定)
【会場】座・高円寺 地下3階 けいこ場2
(JR中央線高円寺駅北口 徒歩5分)
【参加費】一般=500円、AICT会員・学生=無料
 ★事前申し込み不要
AICT会員の方々を招き、専門的かつ分かりやすいトーク&レクチャーを繰り広げる「劇カフェ」。
令和の改元にちなみ、本年度は「演劇は天皇(制)をどう表現してきたか?」をテーマに選びました。
第2回は、大正天皇をめぐる古典劇(能)と現代劇を取りあげます。平日の夜、刺激的な一夜を座・高円寺でともに過ごしましょう。

◎第2回 劇カフェ
 大正天皇をめぐる二つの舞台──
『治天ノ君』と能『大典』



【問い合わせ】aictjapan@gmail.com
【主催】国際演劇評論家協会日本センター/シアターアーツ
【協力】NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺



劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』は、近代史の中で人間の姿を抉るこ劇団の代表作です。大正天皇一家へのレクイエムですが、明治、大正、昭和三代の天皇制の本質を、人間ドラマとして描き出しました。平成が終わった今、この天皇家三代の物語はどのような世界を見せるのか、再演舞台(10月3日~14日、東京芸術劇場シアターイースト)を参考に振り返りたいと思います。

能『大典』は、大正天皇即位祝賀として上演されました。令和の改元に伴い、2019年に何度か上演されています。横浜能楽堂で7月20日に上演された『大典』は現代にふさわしい改定版でした。能と天皇のかかわりを、即位儀礼を軸に考えてみたいと思います。

 能・狂言研究家の小田幸子が大正天皇の即位祝賀として上演され、
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『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT』第101夜 @フジテレビNEXT

『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT』第101夜@フジテレビNEXT

オトナゲスト
真心ブラザーズ
小柳ゆき
K
chay

opening act: TEAM SHACHI

しおこうじ(玉井詩織×坂崎幸之助)

生演奏
ダウンタウンしおこうじバンド



セットリスト
M01:The Show(村長&いづみさん/Lenka)
M02:FLOWER REVOLUTION (玉井詩織&いづみさん/THE ALFEE)
M03:Rocket Queen feat. MCU (TEAM SHACHI feat. MCU/TEAM SHACHI)
M04:わたしフィーバー (TEAM SHACHI/TEAM SHACHI)
M05:光るソラ蒼く (K/K)
M06:イムジン河 (K&村長/ザ・フォーク・クルセダーズ)
M07:あなたのキスを数えましょう〜You were mine〜 (小柳ゆき玉井詩織小柳ゆき)
M08:Prelude (小柳ゆき&竹上/小柳ゆき)
M09:dogma (やまもとひかる/やまもとひかる)
Go!Go! BANDGIRLZ
M10:拝啓、ジョンレノン (BANDGIRLZ=玉井詩織、やまもとひかる、/真心ブラザーズ)
M11:わしらのフォーク村 (吉田拓郎吉田拓郎)
M12:うら楽章ミュージシャン (真心ブラザーズ真心ブラザーズ)
M13:マイバックページ (真心ブラザーズ&村長/真心ブラザーズ)
M14:みんながいるから (あいらもえか&桜井秀俊/あいらもえか)
M15:ガチンコ3のテーマ (あいらもえか&桜井秀俊/あいらもえか)
M16:どか〜ん (真心ブラザーズ真心ブラザーズ)
M17:空にまいあがれ (オールキャスト/真心ブラザーズ)
M18:伝えたいこと (chay/chay)
M19:全部抱きしめて (オールキャスト/吉田拓郎)

青年座「東京ストーリー」(松田正隆作)@下北沢駅前劇場

青年座「東京ストーリー」(松田正隆作)@下北沢駅前劇場

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 青年座「東京ストーリー」(下北沢駅前劇場、23日ソワレ)を観劇。岸田國士戯曲賞を受賞した「海と日傘」など長崎三部作から幾星霜、青年座に最後の作品として「天草記」を提供したのは19年前のことだ。いまでこそマレビトの会で前衛演劇の旗手とも目される松田正隆だが、かつては長崎三部作などに代表される群像会話劇(現代口語演劇)の名手で、三部作のほか演出家としての平田オリザと組んで「月の岬」で読売演劇大賞も受賞している。
 当時の傑作群とはテイストは違うけれど、松田正隆の新作はやはり刺激的で面白い。今回の主要登場人物は東京近郊でシェアしてマンションに住む3人の女性(杉村佐和子、杉村彩芽、梅崎奈奈)だ。ここでは彼女らの心情に寄り添う形で「東京の現在」が描かれていく。松田が初期作品で繰り返し描いてきた家族の姿はここにはほとんどない。哲学を教える大学教授(佐和子)を3人のうちのひとりに設定し哲学的な思考を巡るあれこれが作品の中に盛り込まれているが、こうした中には同じく大学で教える松田自身の最新の思索も反映されているのだろうと思う。
 金澤菜乃永の演出は巧みな空間構成が見事であった。以前の松田正隆の戯曲はほとんどが卓袱台のあるお茶の間的な空間で物語がリアルタイムで展開したため、リアルなセットのもとでのリアルな会話劇の体裁で上演されることが多かった。今回の青年座の舞台は柱だけのある普請中の家のような美術セットで柱と柱の間に張った紐のようなものをシーンごとに張り直し、そこをさまざまな場所として見立てていく。

 松田の場合は以前の作品では現代ではなく、戦中や戦後すぐなど過去の出来事が描かれることが多かったが、フェスティバルトーキョーで3年間にわたって上演された「福島を上演する」など現在の現実のスケッチを基とするマレビトの会の最近作を経ての新境地といえよう。新たなマスターピースの誕生を予感させる作品となったのではないかと思った。
 特に「記憶についての思考」はマレビトの会以降の松田正隆の演劇論にもリンクしている。劇中で描かれる世界認識の原理がそのまま作家の方法論につながるという作品構造は平田オリザの「東京ノート」と同型といえる。表題が小津安二郎の「東京物語」から取られているのも偶然とはいえまい。
かつての盟友であり、ライバルの平田オリザに対する挑戦状といえるかもしれない。

(2000年9月下北沢通信日記風雑記帳から青年座「天草記」、青年団プロデュース「月の岬」について書かれた部分の引用)
9月13日  青年団プロデュース「月の岬」について感想を書こうと思う。もっとも、今回の舞台は初演の後深読みレビューで書いたことがはたして的をえていたのかというのを考えながら見ていたのだけど、これはやっぱりそうなんじゃないかという確信を強く持った。ただ、芝居を見てちょっとびっくりさせられたのは
この芝居では私が深読みレビューでこの物語の核と考えた深層(佐和子と亡くなった父親の関係)どころか、そこで表層的フェーズと考えていた姉弟の疑似近親相姦的な関係性さえもこの芝居では明示されてはいないということに気が付いたことだ。


 もちろん、このフェーズでの隠された関係性が明示ではなく、暗示的な描写で提示されるということはやはり以前いくつかのレビューをこのページで書いた岩松了の作品(「スターマン」「虹を渡る女」など)にも見られることで、なにも松田の専売特許というわけでもない。「月の岬」の特徴はその隠された関係がさらに物語に基調低音のように流れている神話的な構造と呼応するようなメタ構造を持っていることで、こうした趣向により「現代における神話」を構築しようとしたところにあるのではないかと思う。


 長崎から少し離れたところにある島を舞台に設定したところにもそういうことがうかがえるし、直子に佐和子が憑依したかに見えるラスト近くのシーンなどにそういう意図を色濃く感じさせられるところがある。平田オリザによる演出はこの芝居の日常性を強調した散文的なものとなっており、神話的な側面を隠ぺいするような形で上演されるので、それはこの芝居ではそれほど目立ったものとしては提示されないのだが、例えば宮城聰など「神話的なるもの」により親和性の高い演出家が演出したらどうなるだろうか。芝居を見ながらそんなことも考えてしまった。

 青年座によって上演された松田正隆の新作「天草記」はこれまでの松田作品とはかなり毛色が違うために「静かな演劇」を創作してきた松田が新境地に挑戦したなどと表層的には捉えられがちだが、「現代における神話」の構築という切り口で考えるのならば「月の岬」と通底している。もっとも、「月の岬」では隠ぺいされていた神話性はここではだれの目にも露わな形で表れている。実はこの2つの物語にはモチーフやそれを扱う筆致があまりにも違うので見過ごされがちだが、閉塞された場所にいる家族共同体が外部からの侵入者により崩壊し、その後、そこには新たな共同体が誕生するという同じ構造を持っている。ところがこの2つの作品が大きく違うのは「共同体」を基準に考えた時に「月の岬」が内部(信夫)に近い視点で描かれ、直子の視点では描かれていないのに対して、「天草記」の方は現代日本からのエグザイル(逃亡者)として、この土地に現れる3人の侵入者の視点によって描かれていることである。もちろん、基本的には芝居は小説とは違い厳密にいえば視点というものがあるわけではないのだが、全体の構造として、芝居に入りこんでいく際にそちらの視点に近い視線で物ごとを眺めることを誘導されるような仕掛けがあるということをいいたいのである。


 閉ざされた家族共同体の共通点は「月の岬」ではインセストタブー、「天草記」ではカニバリズムあるいは殺人と通常の社会における禁忌にかかわることが行なわれている(あるいは少なくとも行なわれているかもしれないと暗示される)ことにある。すなわち、通常の社会規範から排除されるようなことがそこでは許容されるということにあって、それは当然、外部の目から見たらある種のグロテスクとなる。「月の岬」ではそういうことは感じられないのだが、それはあくまで内部の視点で見ているからである。


 もっとも「天草記」を見て感じるのは同種の構造を持っていても切り口の違いにより、語り口つまり芝居のスタイルの違いは現れてくるわけだが、表層の部分で日常会話劇というスタイルを持つ「月の岬」が表現として陶冶され、松田正隆作品としての完成度の高さを感じるのに対して、「天草記」では「月の岬」「海と日傘」などで一応の完成の域に達したと思われる会話劇ほどの方法論に対する確信が感じられず、手探り状態の苦吟を感じてしまうことである。


 劇作家に限らず作家(表現者)には大きく分けて2種類のタイプがあるのではないかと以前から考えている。ひとつは若くしてひとつのスタイルを確立して同工異曲などと陰口をたたかれながらも、自己の表現を深化、完成させていくタイプ(小津安次郎などはこのタイプの典型だと考える)、もうひとつは自己の表現のたえざる否定により常に新たな表現を追い求めていくタイプである(典型的にこのタイプと思われる芸術家はパブロ・ピカソである)。


 私は松田正隆という劇作家は典型的に前者のタイプだと考えていたので、最近の松田のもがきぶりにはちょっと当惑させられているところがある。おそらく、枠を破りたいというやむにやまれぬ内的衝動のようなものがあるのだろうというのは想像できるのだが、自己の心情を露わに表出するような芝居においては台詞における微妙な手触りとか、一見いわゆる劇的なシチュエーションからはほど遠い日常的な描写の底から立ち上がってくる心理のドラマ性といった松田戯曲の持つ最良の資質(と少なくとも私が考えているもの)が生きてこない感じがしてしまうからだ。もちろん、「天草記」のようなこれまでの枠組みをはみだす作品は新たな演劇の可能性を内包していることも確かで、先の書いたように「現代の神話の構築」という側面から言えばこの作品にも松田の表現の特徴はしっかりと刻印されてはいる。


 特に若くして「海と日傘」「月の岬」という小津の例えるならば「麦秋」「東京物語」にも匹敵すると思われる現代演劇の古典を書いてしまった松田にとってはそれを乗り越えてより高みに達するためには一見、回り道とも思われるような苦難の道をあえて 歩まねばならないのかのかもしれない。だから、松田の今後がどうなるのか期待をもって見守っていきたい。 

作 =松田正隆
演出 =金澤菜乃英
美術 =秋山光洋
照明 =中川隆一
音響 =長野朋美
衣裳 =藤田友
舞台監督 =尾花真
製作 =森正敏
=小笠原杏緒

キャスト

杉村佐知子 津田真澄 (大学教授)


杉村彩芽 田上唯
(佐知子の姪。3人組コントグループの代表)



梅崎奈々 野々村のん
(不動産屋の事務員)


宇田川 石母田史朗
(大学教授。佐知子の同僚)


薬師 前田聖太
(宇田川のゼミ生)


柴崎

松川真也
(薬師の先輩)


戸倉

山賀教弘
(奈々から空き家を紹介される男)


吉岡リコ

世奈
(コントグループのメンバー)


筒森さゆり

角田萌果
(コントグループのメンバー)