下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

ももクロファンクラブ(ANGEL EYES)限定イベント「男祭り2019大阪秋の陣」@大阪城ホール

ももクロファンクラブ(ANGEL EYES)限定イベント「男祭り2019大阪秋の陣」@大阪城ホール

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【日程】2019年10月22日(火・祝)
【会場】大阪府大阪城ホール 【MAP】
【時間】open 11:30 / start 13:00 / (14:30終演予定)【9/25(水)情報更新】
男性限定ライブとなります。

▼詳しくはこちら!
https://www.momoclo.net/pub/pc/information/?id=5160

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 最近のももクロはパフォーマンス力、歌唱力が上がったことで、どのライブにいっても「これはよかった」としか思わないのだが、そういう中でもこの日のライブは「よかった」(バカが書いたものに見えるかもしれないが、批評的言辞をなにも挟む余地がないほどだ)。舞台前方のモニターに煽りの文字列が映し出されるのだが、それを見ていて思ったのは最近大箱ライブでは新規のファンの比率が増えたこともあり(古参ファンが高齢化したとの説もある)、ももクロの最大の武器であるモノノフのコールが薄くなったのではないかとの意見がチラホラあり、この日は一番コアなファンが密度の高い現場に参集しそうな機会であることからして、ここで特に古参の男性ファンに見本演技を見せてもらいモノノフにおけるコール文化を立て直そうという狙いがあるのではないかと感じた。そして、実際のライブのコールもそうした観測にも一理はあるのではと感じさせるほどの熱気のある現場となったのではないだろうか。
 応援団風の衣装で男装しているせいもあるのだが、かわいいとか美人というのではなく、とにかくカッコいい。確実にジャニーズファンや宝塚ファンの女性を魅了するようなオーラを感じた。不思議に思うのはこういうカッコよさは男性よりもより一層女性に対して訴求力がありそうなのに男性ファンしか見ることができないAEイベント「男祭り」でこれをやるのはどこかミスマッチではとの考えが脳裏をかすめたが、男である私にとっても十分魅力的だったので、これはこれで良かったのかもしれない。
 セットリストは近来稀なストロングスタイル。ファンなら「キミとセカイ」
「CONTRADICTIN」「仮想ディストピア」の冒頭3曲を見ても最近は年齢も年齢だからなどとすかすこともあるももクロだが、真っ向勝負でモノノフに挑んできたことが分かるだろう。
 さらには「レディ・メイ」で少し大人の色気を見せて撹乱しながらも、「ロードショー」「サラバ」「Chai Maxx」「行くぜっ!怪盗少女」と一気に畳みかけていく。さらに緩急って何のこと?と「あんた飛ばしすぎ!!」、ひさびさに聴く「境界のペンデュラム」「GODSPEED」とくればファン倶楽部イベントの皮をかぶってはいたが男祭りに相応しい超弩級のがっつりライブだったのである。

多田淳之介×きたまり/KIKIKIKIKIKI「きたまりダンス食堂vol.5」@京都

多田淳之介×きたまり/KIKIKIKIKIKI「きたまりダンス食堂vol.5」@京都

 きたまりの即興ダンスなのだが、今回は東京デスロックの多田淳之介が選曲を担当、両者のコラボ作品と言ってもおかしくない公演となった。
 本当に多田淳之介のやりたい放題という選曲でこの曲選びの選択自体が、単に好きな曲を並べたというものではなく、演劇における脚本のように物語的な流れを与えるものとなっている。こういう時の多田淳之介の才能は「再生」や「RE/PLAY」 で既に明らかになっていることだが、今回は3時間という長尺の時間をもらってやりたいこと全部盛りという内容でおおいに楽しませてもらった。
とはいえ、強調せねばならないのはまずダンサー・パフォーマーとしてのきたまりの素晴らしさだ。3時間という長丁場たったひとりで踊り続けるわけだが、観客側もそれを見続けることになるわけだが、それでも退屈してしまうことがなかったのはきたまりが魅力溢れるダンサーだったからに尽きる。最近、コンテンポラリーダンスの作品で「ただ実験的なだけでは、見ていて退屈してしまう」などの感想を抱くことが時折あるのだけれど、演劇と違いことさらダンスの場合、批評の対象とすることは難しいのだが、「ダンスの魅力」における「ダンサーの魅力」が大きな役割を果たしていることが大きいことは否定できない。
 日本の代表的なダンスカンパニーを振り返ってみてもH・アール・カオスの白河直子、じゃれみさ(砂連尾理+寺田みさこ)の寺田みさこ、BATIKの黒田育子、BABY-Qの東野祥子、そしてもちろんKARASの勅使川原三郎、ヤザキタケシ(アローダンスコミュニケーション)。これらのダンスには優れたダンサーの存在が必須であった。きたまりはこうしたダンサーと並んで何の遜色もない優れた資質を持っている。というか、3時間の即興という条件を考えると前に挙げた存在のうちでも特別な存在感を持つ。それというのも舞踏出身だが、音楽に合わせての感情表出や激しい動きによるエネルギーの爆発など表現の領域がかなり広いからだ。
 とえいえ、多田淳之介の選曲はそうしたきたまりの手癖を見透かしたように畳み掛け、負荷をかけてきた。この企画の話を最初に目にしたときに見にこようと思ったのは私がきたまりをまるでアイドルのように追っかけているオタクだからというわけではなく、多田淳之介(選曲)、きたまり(即興ダンス)、上演時間3時間というのを聞いたときにこれは絶対多田淳之介にとって「再生」「再/生」「Re:Play」と続く、音楽に合わせて身体に負荷をかけることで現れてくる身体のありようを見せていく作品群の重要な最新作になるに違いないという確信があったからだ。そういう意味で選曲において、多田がどのように曲を入れてくるか。そしてそれは「再生」ないし「RE/PLAY 」の選曲と幾分重なり合うようなものとなることで、前作のイメージを喚起するものとなるんじゃないかと予想していた。そして、その場合、一番注目していたのは多田がいろんな作品のクライマックスで1曲だけ使うことが多い、Perfumeの楽曲をどこで使うのかということでもあった。
 そして、それは見事に的中したと言いたい所ではあるのだが、多田の選曲は完全に私の予想の斜め上を行っていたのだ。曲名は忘れたが最初の1曲目が終わった冒頭近くの場面でいきなり「RE/PLAY」のクライマックス場面で何度も何度もリピートされるPerfumeの「glitter」が突然始まったのだ。これは使われるとしてももう少しクライマックス場面でと予測していたのでいきなりここでというのはかなりの驚きであった。

Perfume GLITTER
(続く)

即興で踊る180分。お食事と、お酒と、そしてダンス。

即興で踊る180分。お食事と、お酒と、そしてダンス。 ダンサー・コレオグラファーのきたまりが、完全即興を己に課す「きたまりダンス食堂」。 2018年10月に行った初回は、3日間それぞれ異なるミュージシャンと切り結ぶ1時間のセッション。 2019年1月に臨んだ2回目は、iPodからランダムに流れてくる楽曲と無音の時間を織り交ぜておよそ1時間半。 2019年4月の3回目は、選曲にryotaroを迎え2時間、 2019年7月の4回目は選曲に原田忍を迎え、2時間半を踊り切った。 今回、きたまりが挑むのは選曲に多田淳之介を迎え、3時間踊り続けます。途中入退場自由! Ur食堂自慢のディナープレートと一緒に、心ゆくまでお楽しみ下さい。

劇団大阪「麦とクシャミ」(山田百次作品)@谷町小劇場

劇団大阪「麦とクシャミ」@谷町小劇場
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作:山田百次 演出:小原延之

あらすじ

北海道、洞爺湖近くにある壮瞥村。1943年暮れ、突然、村の地面が隆起し、噴火活動が始まった。それは少しずつ麦畑と集落を飲み込んでいつしか新山となった。日本は戦争真っ只中。突如現れたこの不気味な火山のことは、国民が動揺し士気が下がるという理由で、世間には情報を伏せられていた。

キャスト

津田ひろこA/浜志穂B

名取由美子A/小石久美子B

山内佳子A/福本奈津季B

清原正次

上田啓輔

松下和馬A/大西哲史B

篠原康浩

スタッフ

照明:つぼさかまりこ(演劇集団あしたかぜ)

音響:工藤仁美

舞台監督:石井満(フリー)

舞台美術:馬場富子

衣裳:名取由美子・なかたさゆり・津田ひろこ

小道具:山下久美子・松下和馬・浜志

装置製作:安田幸二(夢工房

宣伝美術:JAM. COVER

舞台助手:篠原康浩・清原正次

演出助手:上田啓輔・岡田悠希

制作:山内佳子・河合由香里・福本奈津季・大西哲史

記録映像:溝口隆徳

 山田百次(青年団演出部、劇団ホエイ)の戯曲を小原延之が演出。小原はそとばこまち出身で、同劇団座長時代から社会的な主題を群像会話劇のスタイルで展開するのに長けており、評価に値する作品を上演していた。最近の活動状況はあまり知らなかったのだが、この二人の組み合わせがどのような化学反応を起こすのかに興味があり、大阪まで出掛けて観劇することにした。
「麦とクシャミ」は太平洋戦争末期の昭和新山誕生の顛末を題材にしている。戦争に天変地異というシリアスな主題をペーソス溢れるタッチで描き出した。1807年に北海道のオホーツク海沿岸で起きた歴史上に埋もれた史実を掘り起こして舞台に仕立て上げた。舞台ではこの地に日本各地から流れ込んできたきた人々が暮らしているという状況を設定。異なる地域言語が同じ舞台で共存するカオスな場を描き出し、ここに満洲から戻ってきた陸軍軍人を配し、彼にノモンハン事件のことを語らせる。こうした仕掛けで北海道の寒村で起こった珍事と戦時の大陸の状況を二重重ねにして見せていく。
 公演はABのダブルキャストで行われたが、私が見たのはAキャスト。この舞台には幾つか政治批判的な文脈の内容のエピソードが含まれ、新劇系の劇団が上演するとなると作品のそうした側面のみがことさら強調されることになりはしないかと若干の危惧があったのだが、小原の演出はさすがにそういうことはなく、オーソドックスかつ丁寧に作品のよさを引き出すことに成功していたのではないかと思う。
 小原もわざわざ北海道まで出掛け、登場人物の小松のモデルとなった三松氏の功績を展示した三松正夫記念館を訪問、館長の話を直接聞くなど並々ならぬ意欲を持ってこの作品の演出に臨んだようだ。昭和新山のことだけではなく、ノモンハン事件、シベリア抑留、国債のデフォルトなど日本の戦時下、終戦後のいろんな出来事が盛り込まれたこの舞台の細部にまで目配りをした演出に感心させられた。
 初演の劇団ホエイにはあり、この日の上演では少し弱く感じられたのは主婦3人による爆笑もののやり取り。ただ、こればかりは初演の劇団ホエイ(青年団リンク ホエイ)のバージョンはおばさん役で怪獣的に強烈な個性を発揮する女優3人(中村真生、緑川史絵、宮部純子)を取り揃え、それぞれにあてがきするような会話により、爆笑場面を作っていた。ゆえにそれを模倣するのは無意味でもあるし、実際無理だろう。今回の上演では笑いの強度こそ薄かったものの、それぞれの人物の境遇とそこから来るそれぞれの思いは観客にも十分伝わったと思うし、それで十分だと思う。
 舞台装置を吊り上げることでのスピーディーな場面転換など演出面の工夫も効果的で、なかなか素晴らしい上演であった。弘前劇場時代の先輩である畑沢聖悟の作品はこの劇団大阪をはじめ、井上ひさし原作の新作戯曲をこまつ座に書きおろすなど、いまや新劇系劇団での上演はそれほど珍しいことではなくなっているが、山田百次作品ももっと上演されればと思う。個人的には在日韓国人の問題を描いた「喫茶ティファニー
*1は在日が多数住みポピュラリティーも高い関西での上演は非常に意味深いと思うのだが。

劇団ホエイ「麦とクシャミ」2016年年間ベストアクトに選定
simokitazawa.hatenablog.com
「麦とクシャミ」はホエイの歴史劇第2弾。太平洋戦争末期の昭和新山誕生の顛末を題材にしている。逞しい女優3人(中村真生、緑川史絵、宮部純子)の存在感が魅力的な舞台で緊迫した状況にもどこか呑気な男たち。戦争に天変地異というシリアスな主題をペーソス溢れるタッチで描き出した。1807年に北海道のオホーツク海沿岸で起きた、津軽藩士大量殉難事件を描いた「珈琲法要」に続き北海道を舞台に歴史上に埋もれた史実を掘り起こして舞台に仕立て上げた。舞台ではこの地に日本各地から流れ込んできたきた人々が暮らしているという状況を設定。京都、岩手、広島の異なる地域言語が同じ舞台で共存するカオスな場を描き出し、ここに満洲から戻ってきた陸軍軍人を配し、彼にノモンハン事件のことを語らせる。こうした仕掛けで北海道の寒村で起こった珍事と戦時の大陸の状況を二重重ねにして見せていく。その手つきはなかなか鮮やかなものだった。

広瀬泰弘氏による劇評
blog.goo.ne.jp

演出の小原延之の過去作品
simokitazawa.hatenablog.com
simokitazawa.hatenablog.com

東京塩麹 『ジャーニー』 @横浜STSPOT

東京塩麹 『ジャーニー』 @横浜STSPOT

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東京塩麹
東京塩麹は演劇パフォーマンス集団「ヌトミック」を主宰する額田大志がリーダーを務める8人組バンド。自らは「ミニマルミュージックをベースに、テクノ、ヒップホップなどを取り入れたサウンド」と説明しているようだが、打楽器の醸し出す複合リズムをもとに構築されたソリッドな構成で、いわゆるポップスのような大衆性はないが、センスのよさは感じさせる(と書いても音楽の説明表現が下手すぎて全然伝わらないか)。

人前に立ち、大勢で音を鳴らし、目の前の誰かに届き、身体が震え、脳内でイメージが湧き上がる。そんな原始的な演奏行為を、東京塩麹が「旅」に変換した2年ぶりの新作単独公演。全編を映像と共に届けます。今のところ、始まったら止まらない予定です。

出演:東京塩麹

日程:2019年10月18日(金)・10月19日(土)
18日(金)19:30
19日(土)14:00 /18:00


クレジット:
作曲 額田大志
映像 タカラマハヤ
舞台監督 熊木 進
音響 山川 権(MR SOFT LLC.)
制作補佐 鈴木啓佑
共催 横浜アーツフェスティバル実行委員会
主催 STスポット

横浜音祭り2019 共催
フェスティバル/トーキョー19 連携プログラム

東京塩麹: 2013年始動。東京から世界に向けて、新世代のミニマルを発信する8人組バンド。 ミニマルミュージックをベースに、テクノ、ヒップホップなどを取り入れたサウンドで、ディスクユニオン主催『DIM.オーディション2016』に選出。2017年、1stアルバム『FACTORY』をリリース。同作はNYの作曲家スティーヴ・ライヒから「素晴らしい生バンド」と評された。翌年にはFUJI ROCK FESTIVAL’18へ出演。 ライブ活動のみならず、趣向を凝らした単独公演の開催や塩麹の中にDLコードを封入した「ビン詰め音源」の販売、広告音楽なども手掛ける。 http://shiokouji.tokyo/

チケット取扱い・お問合せ:
STスポット
[TEL]045-325-0411
[MAIL]tickets@stspot.jp
[予約フォーム]http://stspot.jp/ticket/

SPAC「寿歌」@静岡芸術劇場

SPAC「寿歌」@静岡芸術劇場

 演出:宮城聰
 作:北村想
 出演:奥野晃士、春日井一平、たきいみき

10月12日(土)、13日(日)、19日(土)、20日(日)、26日(土)
 各日14時開演

核戦争後の荒野をさすらう旅芸人ゲサクと無垢な少女キョウコ、そこに現れる謎の男ヤスオ。アッケラカンとした会話と、チンドンの歌と
踊りが繰り広げられる世紀末喜劇。1979年に劇作家の北村想が発表し、80年代の小劇場演劇の潮流を決定づけたとも言われる伝説の戯曲『寿歌』を、宮城は「現代の預言の書」と捉え、寿ぐ。2018年、愛知県芸術劇場との共同企画で、全国7都市を巡演。美術家のカミイケタクヤが手掛ける圧巻の終末世界が、静岡芸術劇場に出現する。

演出家プロフィール
宮城聰 (みやぎ・さとし)

1959年東京生まれ。東京大学で演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。14年アヴィニョン演劇祭から招聘された『マハーバーラタ』の成功を受け、17年『アンティゴネ』を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演。アジアの演劇がオープニングに選ばれたのは同演劇祭史上初めてのことであり、その作品世界は大きな反響を呼んだ。平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。19年4月フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」(2回目)@こまばアゴラ劇場

劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」(2回目)@こまばアゴラ劇場

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ジャブジャブサーキット(はせひろいち)は青年団平田オリザ)、弘前劇場長谷川孝治)、桃唄309(長谷基弘)らと並んで、90年代後半の「関係性の演劇」を代表する劇団(劇作家)である。その作風には大きく2つの特徴があり、それが「関係性の演劇」の作家たちのなかではせの存在を目立たせている。そのひとつはその作品の多くが広義のミステリ劇(謎解きの構造を持つ物語)であること。もうひとつがはせ作品のなかで積み重ねられる小さな現実(リアリティー)の集積がより大きな幻想(虚構)が舞台上で顕現するための手段となっていることである。

 演劇的なリアルがそのもの自体が目的というわけではなく、日常と地続きのようなところに幻想を顕現させるための担保となっているという構造は実は平田ら同世代の作家よりも、五反田団(前田司郎)、ポかリン記憶舎(明神慈)ら私が「存在の演劇」と位置づけているポスト「関係性の演劇」の作家たちとの間により強い類縁性を感じさせるもので、その意味では世代の違う両者をつなぐような位置に存在しているといえるかもしれない。

 リアルな日常描写の狭間から幻想が一瞬立ち現れるというような構造の芝居ははせが幻想三部作と呼んだ「図書館奇譚」「まんどらごら異聞」「冬虫夏草夜話」ですでにほぼ確立されていたが、その後に上演された「非常怪談」「高野の七福神」といった作品では作品のなかに漂う幻想との距離感がより一層近しいものとなり、いわばひとつの作品世界のなかに日常世界と幻想世界が二重写しのように描かれるという手法が取られた。

作・演出:はせひろいち


ウチの代表作と言われる「非常怪談」(初演1997年)と、表裏を成す作品が書きたかったんです。いわゆる「葬儀モノ」なんですが、ありがちなお涙モノや親戚がもめたり、死の謎を巡ったり等ではなく、いつも以上にはんなりとした会話劇に仕上がりました。誰にも必ず訪れる「死」という現象について、いろんな角度から向き合える構造になってると思います。7月に先行した名古屋公演でもその辺の共感は高かったですね。(文責はせひろいち/作・演出)

’85年、岐阜大学OBを中心に旗揚げ。’91年から東京、’97年から大阪でそれぞれ定期公演を始め、以来3大都市巡業スタイルに。観客との想像力共有を信じ、細かい会話研究を武器に、演劇に残されたリアリティと知的エンターテイメントを追求している。’93年池袋演劇祭優秀賞、’95年と’97年にシアターグリーン賞、’01年と’06年に名古屋市民芸術祭賞。なお、代表のはせひろいちは、’99年、’04年、’06年の3回、岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされている。



2019年7月撮影
撮影 中野俊


出演

栗木 己義、荘加 真美、空沢 しんか、伊藤 翔大、中杉 真弓、髙橋 ケンヂ、山﨑 結女
林 優花、松本 詩千、岡 浩之、三井田 明日香(劇団B級遊撃隊)、はしぐち しん(コンブリ団)

スタッフ

照  明 福田 恒子
音  響 杉田 愛憲
舞台美術 JJC工房
舞台監督 岡 浩之
宣伝美術 石川 ゆき
制  作 劇団ジャブジャブサーキット

劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」@こまばアゴラ劇場

劇団ジャブジャブサーキット「小刻みに 戸惑う 神様」@こまばアゴラ劇場

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作・演出:はせひろいち出演
栗木己義、荘加 真美、空沢 しんか、伊藤 翔大、中杉 真弓、髙橋 ケンヂ、山﨑 結女、林 優花、松本 詩千、岡 浩之、三井田 明日香(劇団B級遊撃隊)、はしぐち しん(コンブリ団)

スタッフ
照  明 福田 恒子
音  響 杉田 愛憲
舞台美術 JJC工房
舞台監督 岡 浩之
宣伝美術 石川ゆき
制  作 劇団ジャブジャブサーキット
ウチの代表作と言われる「非常怪談」(初演1997年)と、表裏を成す作品が書きたかったんです。いわゆる「葬儀モノ」なんですが、ありがちなお涙モノや親戚がもめたり、死の謎を巡ったり等ではなく、いつも以上にはんなりとした会話劇に仕上がりました。誰にも必ず訪れる「死」という現象について、いろんな角度から向き合える構造になってると思います。7月に先行した名古屋公演でもその辺の共感は高かったですね。(文責はせひろいち/作・演出)

’85年、岐阜大学OBを中心に旗揚げ。’91年から東京、’97年から大阪でそれぞれ定期公演を始め、以来3大都市巡業スタイルに。観客との想像力共有を信じ、細かい会話研究を武器に、演劇に残されたリアリティと知的エンターテイメントを追求している。’93年池袋演劇祭優秀賞、’95年と’97年にシアターグリーン賞、’01年と’06年に名古屋市民芸術祭賞。なお、代表のはせひろいちは、’99年、’04年、’06年の3回、岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされている。

 
 22年前に初演された代表作「非常怪談」は2014年に地元の岐阜と三重県のみで再演されたが、とある地方都市の家族の葬儀を描いた葬儀ものの好舞台だった。この分野には弘前劇場「家には高い木があった」、最近の作品でも小松台東「山笑う」など群像会話劇の良作がある。これは家族、親族から近所の人、職場の人ら様々な人物が出入りしてもおかしくはないシチュエーション(平田オリザによればセミパブリックな空間)は群像会話劇を作りやすいからかもしれない。
 はせひろいち作品では平田オリザを彷彿とさせるような現代口語の群像会話劇のなかにこの世のものならぬ怪異が極めて自然な形で溶け込んでいる。「非常怪談」ではその怪異が民俗学的な伝承の対象となるようなもの*1で、そういう異界のものたちが弔問客として普通の人間と交ざりあって来場するような劇空間があくまでリアルな日常劇の形で立ち現れてくるのだ。
 そのための重要な武器が岐阜方言である。ゆっくりとしたテンポとのどかな空気感がいつのまにか観客をはせひろいち独自の世界に引き込んでいく。この舞台の冒頭で僧侶役を演じる栗木己義はこの劇団の看板男優だ。今回の役柄はこの舞台の芯を担うものとは言いがたいのだが、この人のとぼけたやりとりに笑っているうちに観客ははせの世界にいつのまにか巻き込まれているという意味ではやはり得がたい存在である。
 この舞台のもうひとつの仕掛けは葬儀の主が年齢は異なるもののはせ同様に地方で劇団をしている劇作家であることだ。はせが自分自身をモデルにしたような登場人物を舞台に載せることはいままでもないではなかった。しかし、あくまでライターや雑誌記者、作家などに役柄が変更されており、劇作家、しかも地方の劇団主宰者が出てくるのは初めてだ。 
 興味深いのは葬儀モノでは通常生きている人間の会話から亡くなった人の人となりが観客の脳裏に構築されるというのが常道だが、この舞台では死者の霊(?)が普通に舞台上に現れ、やはりもう死んでいるかつての劇団仲間の親友、先に若くして亡くしている妻と日常的な会話を交わす。舞台上の一緒にいても、亡者が直接声をかけたり干渉しない限り、生きている人は死者の姿を見ることはできないが、死者は生者の声も姿も見ることができる。これをひとつのローカルルールとして後は通常の会話劇同様に舞台は進んでいき、いつの間には観客もそれを自然なものとして受容していく。はせの場合、この辺りの手触りが本当に巧みだ。
 そして面白いのは「非常怪談」ではあくまで観客の視線は日常から非日常を見るというものであったが、「小刻みに戸惑う神様」での作者(観客)の視線は限りなく死者からの視線に近いように思われた。そして、これが「非常怪談」から22年の歳月を越えて「小刻みに戸惑う神様」で再度葬儀ものの舞台に挑戦するに至った心境なのかもしれない。
 最後に家を飛び出している劇作家の息子の愛人(一緒に暮らしていた)と名乗る謎の若い女が出てくる。これは明らかに「非常怪談」のヒロインへのオマージュだと思う。そして、この女が本当に愛人だったのかどうかも芝居の中からだけでははっきりとは分からない*2、実は隠し子の可能性も残してはいるからだ。
 最後に「小刻みに戸惑う神様」を受けて、「非常怪談」の再演をぜひやってほしいという気持ちが高まっている。4年前の再々演はあるものの「非常怪談」は初演・再演時のヒロイン役だった一色忍の印象が強く、これまでは「再演しない方がいいかも」と思っていた。しかし、やはり再演してほしい。ヒロイン役は劇団内外を含めてのオーディションがいいのではないかと思う。

それにしてもこう言う言い方をするとそれこそ贔屓の引き倒しと見なされかねないと思うが、90年代以降の現代演劇を俯瞰してみたとき、ジャブジャブサーキットのはせひろいち、弘前劇場長谷川孝治、桃唄309の長谷基弘の3人は現在の(特に東京での)知名度はその実力に比べると不当に低い。
 平田オリザ松田正隆、深津篤史(故人)ら岸田戯曲賞を受賞した作家らに比べて、劇作家としての実力はなんら遜色のないものであり、本人も健在である今、こういうことを言うのもなんなのだが、近年亡くなった深津や大竹野正典の作品が再演による再評価を得ているように、より若い世代の演出家による上演も見てみたいところなのだ。
 とは言え、会話の中からその背後にあるリアルな幻想を立ち上げていくはせひろいちの作品は山田百次らより若い世代の作家との近親性も高いのである。若い作家や演劇ファンにもまずぜひ一度は見てほしい作家なのだ。
平成の舞台芸術30本 「非常怪談」もその1本
simokitazawa.hatenablog.com
広瀬泰弘氏の劇評
blog.goo.ne.jp

*1:河童や座敷わらしが登場

*2:「非常怪談」ではヒロインは葬儀の主の隠し子だった。

歌舞伎座十一月夜の部「三人吉三巴白浪」「二人静」

歌舞伎座十一月夜の部「三人吉三巴白浪」「二人静

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夜の部

令和元年度(第74回)文化庁芸術祭参加公演

河竹黙阿弥

通し狂言

一、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)

序幕
二幕目

三幕目


大詰
浄瑠璃 大川端庚申塚の場
割下水伝吉内の場
本所お竹蔵の場
巣鴨吉祥院本堂の場
裏手墓地の場
元の本堂の場
本郷火の見櫓の場
「初櫓噂高音」

和尚吉三 松緑
お坊吉三 愛之助
お嬢吉三 梅枝

手代十三郎 巳之助
伝吉娘おとせ 尾上右近
釜屋武兵衛 橘太郎
八百屋久兵衛 橘三郎
堂守源次坊 板東亀蔵
土左衛門伝吉 歌六

世阿彌元淸 原作


坂東玉三郎 補綴

二、二人静(ふたりしずか)

静御前の霊 玉三郎
若菜摘 児太郎
神職 彦三郎

 「三人吉三」は歌舞伎では通常「大川端庚申塚の場」のみが上演されることがほとんどだが、この日は珍しい全編通しでの上演となった。人間関係も非常に複雑で交錯しているので、理解するのは簡単ではないが、この演目については通し上演を基本とする木ノ下歌舞伎で見たことがあったのが、理解の助けになったかもしれない。
三人吉三巴白浪』の通し。配役は梅枝のお嬢、松緑の和尚、愛之助のお坊、右近のおとせ、巳之助の十三郎、歌六の伝吉。梅枝は初役、愛之助は十年ぶりということだったが、なかなかに良かった。河竹黙阿弥ではなんといっても黙阿弥調といわれるセリフの口跡のよさが重要だが、梅枝、愛之助の声のよさが目立った。
三人吉三」が面白いのはインターテキスト的に複数のテキストが重層的に呼応するような構造となっていることだ。お嬢吉三が幼少の頃、「お七」と名づけられ女の子として育てられたというのが、最後の 本郷火の見櫓の場の八百屋お七への見立てとつながっていくところなど重層的な趣向が通し狂言だと初めてつながってくるところもいかにも歌舞伎らしいところかもしれない。
三人吉三巴白浪 | 歌舞伎演目案内 – Kabuki Play Guide –

別冊「根本宗子」 第7号「墓場、女子高生」@下北沢ザ・スズナリ

別冊「根本宗子」 第7号「墓場、女子高生」@下北沢ザ・スズナリ


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脚本:福原充則
演出:根本宗子
出演:根本宗子、藤松祥子、安川まり、小野川晶、山中志歩、尾崎桃子、近藤笑菜、椙山さと美 もりももこ、小沢道成、ゆっきゅん、天野真希、川本成
2019年10月9日(水)〜22日(火)@ ザ・スズナリ

「墓場、女子高生」は福原充則の作品で、ENBUフェスタ公演として2010年に初演。福原充則と富岡晃一郎が主宰するユニット「ベッド&メイキングス」の公演として2015年に上演された際に根本自身も出演した作品を今回は根本宗子の演出、主演で上演した。
 脚本の福原充則については2018年岸田戯曲賞を受賞するなど演劇においての実績もあるのだけれど、最近では話題となったテレビドラマ「あなたの番です」の脚本を手掛けるなどテレビドラマの脚本家としての印象も強いかもしれない*1
 この舞台を見たのは根本宗子に注目していたのと青年団の藤松祥子が出演していたからなのだが、「墓場、女子高生」という舞台の名前は以前にも聞いたことがあり気になってはいた。だが、根本宗子作品ではないということは直前まで気が付いていなかった。表題に「墓場」という単語があるように表題通りに墓場が舞台で女子高生の幽霊も出ては来るけれど怪談というのではなくて、女子高生の自殺と同級生らを巡る物語をコミカルな描写を交えて描き出していく。
 自殺した女子高生の幽霊は普通は死者がこの世に何かの未練を残すからだなどというが、私(主人公)はそうじゃないという。そして、生前を知る人が死者のことを忘れなければ幽霊は存在するとも言う。でも、その説明も少しおかしい。もしそれだけが条件ならば幽霊はもっと大勢いるはずだからだ。
 見終わった直後はなぜ幽霊はよみがえったのか、そして再び自殺をしたのか、あるいは姿を消したのかがよく分からなかったのだが、女子高生が亡くなって1年もたつのになぜ女子高生たちは自らこの墓場に集まってきていたのかということを考えていた時、突如その疑問は氷解した。彼女たちはそれぞれが自らの心の中に遺書も残さず彼女が突然自殺した原因は実は自分のせいだったのではないかという自責の念を誰にも言い出せずに隠し持っていたのだということが最後に明らかになってくる。幽霊として彼女をここにつなぎとめていたのは彼女のこの世への未練ではなく、残されたものたちの心の中にある「なんとかできたのではないか」という未練の感情だった。
 そしてそれぞれの思いで墓にやってきていた同級生に「私の死はあなたたちのせいではない」と伝えるためだったんだなということに最後に気がつき、それをすませた幽霊は消えていく。ここにグッときてしまったのだった。
 もうひとつの魅力は高校生が合唱部だという設定から劇中で歌われる劇中歌。中でも根本がクライマックスの独唱部分を担当したクイーンの「Somebody to Love」は絶品であった。この「墓場、女子大生」はすでに丸尾丸一郎(劇団鹿殺し)の演出で乃木坂46中心のキャストでの上演例があるのだが、完全に音楽劇に仕立て直して、ももクロを中心にスターダストプラネットのアイドル((ももクロ+アメフラっシなら実現可能かも)をキャストにしての上演をぜひ見てみたいと思った。

*1:とはいえ、本当の意味でのヒット作は「あなたの番です」が最初かも。

DANCE TRUCK TOKYO2019@狛江多摩川河川敷=台風で中止

DANCE TRUCK TOKYO2019@狛江多摩川河川敷=台風で中止

台風19号の影響により、10月12日(土)に多摩川河川敷にて開催を予定していたDANCE TRUCK TOKYO狛江公演は、プレパフォーマンス、本公演とも中止。

出演:
Aokid、KAMOSU、小暮香帆、白井剛/米澤一平、テニスコーツ、向雲太郎


照明:久津美太地
音響:WHITELIGHT
映像:斉藤洋
舞台監督:ラング・クレイグヒル

制作協力:comaecolor
協力:狛江