日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団の平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静かな」という言葉が独り歩きしている感があるが、ここで登場したのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこれを「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」に入れられる。
90年代を席巻した「関係性の演劇」
「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義や現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。
平田オリザの名前をまず出したが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのは平田ひとりにとどまらなかったからだ。愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバ・システムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治(弘前劇場)、さらに独自の個性を持つはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)、長谷基弘(桃唄309)らもいた。それぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ、この流れは2000年代にも続き三浦大輔(ポツドール)、前田司郎(五反田団)らも登場した。
以上の流れの中では「関係性の演劇」は「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇(ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザの青年団と関係する作家だったことだ。
「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品、作家を取り上げながら検証していきたい。
多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて
多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げたい。東京デスロックは今年7月に「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)を横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。それを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけでもない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなどの役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク、その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。
プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛(エロス)とは何か」だ。「饗宴」では饗宴の席に複数の登場人物が現れ、「愛とはなにか」がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じるのと少し似た感覚を感じさせたことだ。終わった後になにか作者の主張するものやイメージをただ受け取るのではなく、主題に関する何か(「シンポジウム」なら「愛とはいったい何なのか」)について静かに自分で思索してみたいという感覚だ。
東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年から青年団の演出部にも所属、東京デスロックも青年団の傘下だった時期もあったが、現在は完全に独立している。ただ、多田個人は東京デスロック以外にこちらは群像会話劇系の芝居を上演している「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けていることもあり、青年団演出部に所属し続けている。
初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせることだ。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 「3人いる!」の初演は2006年。チェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離した演劇を上演したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。
次の作品「再生」では多田のスタイルはまた大きな変化をとげた。「再生」では表題通りまるでビデオが再生されるように同じストーリーが舞台上で3回繰り返されるというものだ。当時話題になっていたネットによる集団自殺という物語があって、集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまう。実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てではなく激しい動きをともなう上演を3度繰り返させることで、俳優の身体が疲弊してくる。その「疲弊」を生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けを試みた。
2007年からの「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで2次元のキャラではなくて、生身の人間だということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。「LOVE」もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩する。激しい動きと倒れる、また立ち上がるという繰り返しはここでも現れ、「人間が生きていくことの根源的なあり方」が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年—2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を下敷きにしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。
2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけている。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げる。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。
柴幸男:ポストゼロ年代演劇の旗手
多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をテキスト段階からの設計ではるかに精緻に展開してみせ、2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。
柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。
これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。
柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールで上演したが代表作である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。
以上のように平田オリザらの「群像会話劇」は多田、柴らがチェルフィッチュの岡田利規の動きと呼応するように「役」=「役者」の1対1対応の自明性を疑うようなさまざまな実験を試みていく過程で解体されていった。もっとも今回もここでは多田、柴の2人を紹介したが1990年代の「群像会話劇」の担い手が平田だけではなかったように問題意識を共有する作家が相次ぎ登場して、相互に影響を与えながら大きな流れのようなものを作っていったことが「ポストゼロ年代演劇」台頭につながっていく。
平田オリザと「世界の映し絵としての演劇」
「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こったのが平田オリザの青年団と関係する作家だったことが不思議だと指摘したが、それは実は必然だったのではないかというのが今回の論考の趣旨だ。「群像会話劇」「現代口語演劇」といった様式は解体されたが、「関係性の演劇」は平田からこれらの作家に受け継がれた。
「関係性の演劇」は「登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法」と冒頭近くで書いた。これを平田は別のところで「世界の映し絵としての演劇」などと表現している。舞台上で提示されるのは「世界はいかにあるのか」ということのモデルであるということだ。
平田は著書で自分の演劇のことを饒舌に語るが、いくつかの主要な作品について平田自身は指摘しない重要な特徴がある。それは簡単に言うとその作品で示される主題がその作品のなかで提示されている関係性ないし、構造とメタフォリカルに呼応しているという構造を持つということだ。
実は平田は初期の著作である「演劇入門」で現代口語演劇を説明するのにフッサール、メルロポンティ—の現象学を援用してそれを説明する。簡単に言えば「不可視である内面をカッコに入れる」というようなことなのだが、そのためになぜか現象学の著書ではなくヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を引用する。このことはそのころから私のなかで引っ掛かりを感じさせていたのだが、「論考」といえば「言語は、世界と同型であり、世界の写像である」という「写像理論」ではないかと思い至り錯誤の理由が氷解した。
「関係性の演劇」は「世界は、物の総体ではなく、ことがら(事実)の総体である」という「論考」冒頭の言葉に触発されて平田のにとっての演劇の本質で「現代口語演劇」「群像会話劇」といった様式はそれを実現するためのひとつのツールにすぎない。ここまでくれば平田のいう「世界はいかにあるか」を提示するという演劇観が一見様式に大きな違いがあっても、例えば多田、柴ら後進の作家たちを見るとそれぞれの代表作である「再生」「わが星」がいずれも「世界はいかにあるのか」のひな形として提示されており、そうした作品に関する構え方は平田から受け継がれていることが分かる。
松井周:現代口語演劇から遠く離れて
次にサンプルの松井周を紹介したい。松井を最後に持ってきたのは彼の場合にはそれが「関係性の演劇」なのかどうか、簡単には言い切れないような多様な要素を孕んでいるとも感じられるからだ。松井は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で創作活動をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を劇団として旗揚げしたのは2007年と俳優としてのキャリアと比べ遅い。そのスタイルも「通過」など初期作品では典型的といっていい群像会話劇かつ現代口語演劇だった。
ところが近作では「群像会話劇」「現代口語演劇にはとどまらない形式にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きに原作ではオイディプスにあたる主人公、ノブオに唐組の久保井研を迎え、随所に唐十郎らからのモチーフの借用をちりばめるなどアングラ演劇との接近も試みた。様式が会話劇から大きく離れたのは越後妻有トリエンナーレで滞在制作され作品の構想を固めたまつだい「農舞台」で上演されたプレ公演「遠足の練習」が野外劇だったということも関係があるかもしれない。
冒頭のシーンはいきなり主人公の飼育しているネズミ(を演じている俳優)によるかなり長いモノローグ(ひとり語り)からはじまる。従来からあった群像会話劇・現代口語演劇的な部分に加えて、遊戯的なやりとりも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がった。
ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を踏まえたという意味ではこの作品は多田淳之介が近作でシェイクスピアなど古典劇の枠組みを踏まえて自らの作品を展開してきたのと類似する部分がないではない。両者の演劇のスタイルに似ているところはあまりないが、松井も同様にこの「永い遠足」で「世界の映し絵としての演劇」を提示しようとしている。そして、それは原作を下敷きとしながらもそれとは異なった寓話的な絵として提示されていく。「オイディプス王」は誰もが知るように息子による父親殺しの物語だ。フロイトが指摘したように母親と母子相姦が大きな主題ではあるがその前に父を殺すことではじめて、母子相姦が可能になる。
しかし「永い遠足」では主人公であるノブオは父を殺していない。いや実は殺しているのかもしれないが、そのことは物語のなかでは明確には描かれていない。さらにこの物語では母子相姦によって生まれた娘アイカとノブオとの関係にその軸足が移っている。ノブオの行為ももちろん原作同様に「穢れ」の一部としては扱われているが、「穢れそのもの」として扱われるアイカに物語の中心は移っている。タブーである母子相姦の結果として、赤ちゃんポストに遺棄された存在として。母子相姦そのものではなく、そこから産まれた子供が罪の産物であり「穢れ」であるという発想は「オイディプス王」にはない。アイカとノブオの近親相姦が舞台上で描かかれることはないが、ノブオを父親と知らぬアイカが売春行為としてそれを求める場面はあり、原作のオイディプスの属性に近いのはこの「永い遠足」ではノブオでなくアイカだと考えてもいいほどだ。「永い遠足」は古典を踏まえながらも松井独自の世界観を提示した。
多田、柴、松井は平田オリザの影響の下で出発しながらもいずれも群像会話劇、現代口語演劇からは離れていった。しかし、「関係性の演劇」(あるいは群像会話劇ではないそれはもはや平田のスタイルと区別するために「世界の映し絵(写像)としての演劇」など新たな名前を与えた方がよいのかもしれないが)に代表される平田の演劇観は彼ら後継者にも正当に引き継がれている。
今回はページ数の関係もありこの3人しか取り上げることができなかった。「関係性の演劇」には地域言語を現代口語に取り入れた青森県を拠点に全国的に活動する長谷川孝治とその影響下に劇団を開始した畑沢聖悟、山田百次らの活動、岩松了の影響の強い岩井秀人、さらには平田流とはまったく違う新しい会話劇の確立をめざしたいという松田正隆の挑戦など取り上げるべき主題はいくつもある。あるいは平田オリザの演劇のどこが「世界の映し絵(写像)としての演劇」なのかについても具体的な作品を例にとって筆を尽くすことはできなかった。いつか項を改めてぜひそれも執筆したいと思う。
(中西理)