下北沢通信

中西理の下北沢通信

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 映画「花とアリス岩井俊二監督)を見る。
 映画「きょうのできごと a day on the planet」http://www.kyodeki.jp/(行定勲監督)を見る。
 見たい映画を見逃してしまうことが多いので、珍しく観劇などの予定がない日を利用して「花とアリス」「きょうのできごと a day on the planet」の2本をはしごした。
 最近しばらくご無沙汰だった岩井俊二だが花とアリス「1980」に出演していた蒼井優が出演していたので興味を持ち、見に行くことにした。「Love Letter」もそうだったが、この監督は若い女優の使い方が抜群にうまい。鈴木杏演じる少女「花」の嘘に周囲が振り回されるという物語自体はたわいのないともいえるわけだけれど、この年頃の少女だけが持つ大人でも子供でもない危ういキラメキをそのまま封印したようにしっかりと写し取っている。
 物語の中心となるのは片思いした先輩にストーカーのように付きまとい、自分が先輩と付き合っていたという嘘で先輩は記憶喪失だったということにしてしまい自分の身勝手な恋愛を成就しようと企む花(鈴木杏)の物語で、こちらはどちらかというと恋愛コメディといっていいのだが、親友で花の嘘によって先輩の元彼女だということにされてしまい、先輩と会っているうちに好きになってしまい板ばさみに悩むアリスを演じる蒼井優がいい。
 アリスはどうやら父母の離婚により父親と離れて暮らしているのだけれど、先輩につく嘘がすべて父親と一緒に暮らしていた幸福な時代への思い出と重なり合っていることが分かってきて、その嘘のせつなさが映画が見終わった後のせつなさに重なりあってくるような仕掛けがこの映画には仕掛けられている。それで最初のうちは花の行動に困ったやつだと笑っているうちに思わずほろりとさせられてしまう。
 この映画はまた花とアリスの友情についての物語でもある。そして、ここで大きな役割を果たすのがバレエであるというところも私の琴線に触れた。早くも今年の映画ベスト候補有力である。
 一方、きょうのできごと a day on the planet」は京都を舞台にした青春群像劇。時代は違うが私も青春時代を京都で送ったので、それを「GO」の監督がどんな風に料理するのか興味を引かれた。
 京都の大学院に進学する正道(柏原収史)の引越祝いに集まった6人の大学生たち。映画監督を目指している中沢(妻夫木聡)と恋人の真紀(田中麗奈)、その同級生のけいと(伊藤歩)、大学の友人西山(三浦誠己)と坂本(石野敦士)、後輩かわち(松尾敏伸)。みんな、いろいろな思いを抱えて酔っぱらった……。そして、テレビの画面には、波打ち際に打ち上げられたクジラと、それを様々な思いで眺める人たちや、ビルとビルの間の壁に挟まって動けなくなってしまった若者(大倉孝ニ)とそれをなんとか救おうとする消防隊員(津田寛治)の姿が映し出されている……。
 たった一日だけれども、ひとりひとりが胸の中にたくさんの思いを抱え、たくさんの出来事や、感情に出会っている。そして、夜が来て、また次の日の朝を僕たちは迎える……。
 関連サイトに掲載されいたあらすじを紹介すると以上のようなことになるが、なんの変哲もない1日を取り上げてその日にそれぞれに起こった出来事を同時進行の群像劇として描いていく。
 これは非常に個人的なことでしかないけれど、うん十年前に京都で私も似たような1日を送った日があったなと思うと永遠に過ぎ去った日を思ってせつない気分になってしまった。実はつい最近、関西にすんでいる大学時代の知人が家庭の都合で遠方に引っ越すことになり、その送別会を京都でして短い時間ではあったけれど大学時代の友人何人かと顔を会わす機会があり、お互い歳をとったなと実感したのと、ほぼ前後してやはり京都時代からの友人の消息で心配されるようなことを聞かされたということがあって、映画を見ているうちにそういう仲間と京都で一緒にいた頃のことを思い起こしてしまい、いろいろ身につまされてしまったということがあった。
これはもちろん、今を描いた物語であることはゲームに興ずる登場人物や物語のなかに占める携帯電話の重要性などで分かってはいるのだけれど、京都にはどこかいつの時代も変わらないある空気のようなものを感じるのだ。
 「きょうのできごと」という題名はこの映画の原作となった短編小説集の表題であるとともに映画のなかに登場するテレビのニュース番組のタイトルでもある。
 映画を見て逆にこの原作の小説がどうなっているのかにちょっと興味が湧いているのだが、映画では仲間たちが参加している引っ越し祝いでの飲み会の場面を中心にそれに参加している人物のそれぞれのその前後のエピソード、さらにニュースに映し出される浜に打ち上げられた鯨とビルとビルの間の壁に挟まった男のエピソードがところどころに挿入される。
 ちょっと面白いのは最初のうち時系列で同時進行的に描かれているのかと思われるそれらのエピソードが実は一部は順序が逆になっていたりするところだ。例えば冒頭の場面で車に乗って正道の家に向かうかのように見えた中沢ら3人のシーンは実はそこからの帰り道だというのが、後から違うカットでこの場面が繰り返されることで分かるのだが、この場面を冒頭に提示することで、
この3人の微妙な関係が大人数の宴会場面に入る前に分かる仕掛けになっているわけだ。
 これは登場人物それぞれの微妙な関係性が浮かび上がっていく過程で見る側がこの順番で情報を知ってほしいという作り手の巧妙な仕掛けがあるためで、この辺りは一見、淡々と描写しているように見えるこの映画に実は作者の
企みが隠されているところだと感心させられた。
 役者では映画のほとんどの場面で酔っ払ったままの田中麗奈も悪くはないが、かわちの恋人役で後半登場する池脇千鶴が魅力的だった。