大人計画「まとまったお金の唄」(大阪厚生年金会館芸術ホール)を観劇。
松尾スズキの新作。大人計画はクドカン人気もあってますますチケットがとりにくくなっているうえ、本多劇場の東京と違い大阪厚生年金会館芸術ホールと箱も大きくなっているから、見に行こうというモチベーションが昔と比べかなり下がっていたのだけれど、当日券予約というのがあるのを知り、だめ元だと思い予約してみたら、返却チケットがあったのか、なんと前から2列目センターやや下手寄りという絶好のポジション。
おかげで役者の小技を含め、料金分は十分に楽しませてもらった舞台であった。ただ、これはもう今言っても団菊婆の類で、もはや詮無いことではあるのだけれど、「ファンキー!!」「マシーン日記(初演)」「Heaven's Sign」というこの劇団の最高の時期を知る人間としては毒が薄くなっていて、万人受けはするかもしれないけれど、「これは最高。めちゃ傑作」などとは言えないのだけれど、だからと言ってまったくつまらないのかといえば十分に面白くはあるし、これは別に大人計画だけじゃなくて、カルトで尖がっていた劇団がメジャーになっていく過程で、以前に持っていた辺境なるがゆえのエネルギーを失っていくという宿命として諦めるしかないのかもしれない。
例えばこの芝居は万博の時期、1970年の大阪を舞台にしているのだけれど、これはどうだったのか。私は大阪のネーティブな人間ではないから、気になって許しがたい、というほどではないけれど、やはり、役者の大阪弁には聞いていて気になるところはあって、そのせいで中途半端なものになっていた気がしてならなかった。狂言回し的に登場する平岩紙が大阪万博ではなくて、オオチャカ万博と言っているから、いっそ大胆にデフォルメして、架空の都市オオチャカを舞台にして、言葉なんかも含めて、大阪の人間を徹底的に敵に回すようなことをあえてやってしまえば面白かったんじゃないかと勝手に思ったりもしたのだが、この舞台に出てきた大阪/東京の関係がどうにもステレオタイプで、気に入らない。これは松尾の頭のなかに大阪ではなくて、「大阪万博」がまずあったからなのかとも思うのだが、その一方で「お金」=大阪という短絡な発想ではとの思いを否定しきることもできず、その辺りのスタンスがどうにも居心地が悪かったのだ。
さらに言えば私が最近の大人計画を物足りなく思うもうひとつの理由は今の大人計画を支えている中核となっている俳優は阿部サダヲであり宮藤官九郎であるのだが、彼らは芸達者で器用でもあり、うまい役者でもあるが、「ファンキー!!」「Heaven's Sign」で主役をやっていた山本密や当時脇役として異彩をはなっていた正名撲蔵、客演だが常連であった井口昇のような本当の意味での狂気をそのうちに抱えている感じがしない。いくら熱演して狂気を演じてみても、それは狂気を演じているという風にしか私には見えないのだ。
そして、自分の作演出の時には物語を担うような役では登場するのが難しい松尾スズキは仕方ないにしても、現有メンバーのなかで唯一、それが可能であるかもしれない荒川良々に吉本新喜劇を彷彿とさせるような役作りでお母さんを演じさせるというのはそれが今回は夫の死によって壊れていく役であるということを勘案してみても、やはり戦略的な失敗ではないかと思ってしまうのである。
もっとも、壊れていく人間の静かだがそれゆえ恐ろしい狂気のようなものは以前の松尾スズキにおいては舞台を支える最重要なモチーフであったが、この芝居ではもはやそうではなく、それを求めてしまうのはないものねだりなのかもしれない。
というのは正直言って以前のような突き放した悪意というのではなくて、この芝居から感じたのは過ぎ去ってしまったこの時代へのノスタルジアではないかと思ったし、それは特にギャグにしてはいたけれども、岡本太郎に対する捉え方にシニカルさよりも、共感を感じさせられた。それは「ファンキー!!」「マシーン日記(初演)」「Heaven's Sign」に登場する愚かさゆえに欲望の前に滅んでいく人間たちへのある意味、冷徹な視線とは違い、愚かしい存在としての人間観は相変わらずでも、言葉として使うのが恥ずかしいが、登場人物への「愛」を感じてしまったからだ。もちろん、「愛」はこれまでもあったけれども、それは恥ずかしいという認識が松尾にはあって、倒錯したアンビバレントな形でしか登場しなかったのが、こういうストレートな形で出ているところに大きな変化を感じるのだ。
狂言回し役の平岩紙が結局なにだったのかというのは舞台の最後で分かるのだけれど、そういうことは予想してなかったんで思わずホロリとしてしまったじゃないか。大人計画は実はハートウオーミングな演劇だったのか(笑い)。
この芝居を見ての最大の収穫は市川実和子。この人映画などでは繊細な美少女を演じていたのを見たこともあるが、よくよく見るとアニメ顔。しかも、アニメのギャグ部分で主人公の女の子がデフォルメされて崩れた時に見せるような顔とすごく似ているんじゃないかという新しい発見があった。そして、そういう彼女の新たな魅力をうまく拾い上げた松尾の演出ももちろんあるが、見ている限りそれを出演者のだれよりも嬉々として演じている彼女の存在もあって、この芝居でのはまり方は大人計画のどの役者よりも大人計画的だったからだ。
松尾と共演した「イン・ザ・プール」をはじめ、最近の映画では見逃しているものが多いし、テレビドラマなどもフォローできていないから、どこかでコメディ*1の才能を発揮した場面があったのかもしれないけれど、ここでの役柄は私にとっては目からうろこという部分もあって、この芝居の最中どうしてもついつい彼女の方に目がいってしまう。そういう得がたい魅力があった。
*1:というよりはギャグだろうか