- 作者: 麻耶雄嵩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/08
- メディア: 文庫
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もっとも、実はこの問題の解答には私が「これを使うとどんな奇怪な状況でも作れるのでできれば避けたほうがいい」と個人的に思っているトリックが実は使われていたので、たぶんそこは無意識に避けて通るというところがって、たとえどれだけ真剣に考えてもおそらく解答には至らなかったとも思われるが、これも別に禁じ手というわけではないので、それを瑕疵とするのも作者にとってフェアではないであろう。
これも個人的なことになるが、このアリバイトリックを読んで思い出したことがある。それは京大ミステリ研時代に同期入部の友人が発表したある犯人当てのことであった。それはやはりここまでではないけれど、かなり複雑な間取りの家のなかに結構大勢の人間がいて、そこに大量殺人犯が出現して出会う人という人をばったばったと殺して回るというもので、読み上げ犯人当てとして発表されたのだが、問題編が終わった後、それを聞いた人間は皆呆然、それはだれひとりとして犯人を当てるどころか、問題の前提となる起こった事柄の状況さえ理解できないからだった(笑い)。
どうやら、後で出題者本人に話を聞いてみたところ、殺された順番とその時に犯人が通ったと推定される経路から犯人が絞られるという意図だったようなのだが、読み上げの犯人当てで登場人物表はあった(記憶があいまいだが、確かあったはず)としても、人物の把握さえできていない段階で、次々と殺されてもメモさえとれないのであった(笑い)。
麻耶雄嵩の「木製の王子」はもちろん読み上げ犯人当てではないし、この時の犯人当てと同一視するわけにもいかないのだが、実は先ほどの犯人当てではデビュー作品だったということもあって作者は「そのぐらいのことは簡単に分かると思っていた」と回想したのが思い出されたのだ。実はこの後でそれじゃ少なくとも状況は分かりやすい作品を書かなきゃと思って、当時私も彼同様犯人当てがなんなのかをよく理解していなかったこともあり、ほとんど全員に当てられてしまうという苦い目にあうのだが、これはまた別の話。
念のために断っておくと麻耶雄嵩はまったく世代が異なるので当然この犯人当ても知らないはずだが、この「木製の王子」を読んで思うのは理系の頭のいい人が書きそうな作品だということなのである。
麻耶雄嵩の作品を読んで思うのはその論理的な整合性への異常なまでこだわりである。そこが麻耶雄嵩と後続の作家で彼と比較されることの多い、清流院流水、舞城王太郎らとの大きな違いだ。ただ、それは(あるいはその多くは)描写のなかに埋め込まれていて、かならずしも表面化しない。不親切といえば不親切きわまりないともいえなくもないが、麻耶がそれを説明しないことには「そんなことはだれにも自明なことじゃないか」と思っているふしがあるのじゃないかというのが、作品からひしひしと感じられるからだ(笑い)。
論理性への異常なこだわりというのはひとつには彼が前述した京大ミステリ研特有の犯人当て体験*1を経由して育ってきているからともいえるのだけれど、冒頭で過剰性と書いたのはそれだけじゃない麻耶雄嵩ならではのそれが行き過ぎてしまうとこんな変なものが生まれてきてしまうという奇想の面白さ*2があるからだ。
この作品の読後感としては例にたがわず「なんじゃこりゃ。あほか」なのだが、そんな物語をストーリーの途中にはさみこまれた一見どういう関係なのかが、にわかには分かりがたい描写との整合性において捉えなおした時に「この話のためになんでここまで」という脱力感さえ生まれてくる。それが麻耶の邪悪な魅力かもしれない。