下北沢通信

中西理の下北沢通信

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CONNECT(劇団子供鉅人とCurriculum Vitae)@精華小劇場

Curriculum Vitae「寿唄 hogiuta」と子供鉅人「157」(精華小劇場)を観劇。

 ■CONNECTとは・・・

大阪市の芸術文化拠点施設である大阪市立芸術創造館と精華小劇場が連携して
ジャンルを超えた新しい舞台芸術の可能性を秘めた新進アーティストを発掘し
広く紹介しようという企画です。

応募者の中から1次審査を経てまず8団体・個人が芸術創造館で公演をし
その中から2団体・個人を審査員が選出し、精華小劇場で再演します。
ただし、その際には、講評会等の意見を考慮して改訂した作品として再演します。

 CONNECTは以上のように芸術創造館のホームページ*1に説明されている大阪市舞台芸術アーティストの発掘・紹介事業である。昨年の11月23、24、25日に大阪市芸術創造館でノミネート8劇団(集団)による公開審査発表会があり、選ばれた2劇団(集団)がこの日作品を上演した。
 若手アーティストの発掘コンペでは東京のガーディアンガーデン演劇フェスティバル*2が有名で、若干の中断期間を挟みながらもこれまでに14回実施され、演劇のみならずダンスにも足を広げ、その後現代演劇、コンテンポラリーダンスにおいてリーディングカンパニーとなる集団を次々と発掘してきた。少し名前を挙げるだけでも演劇ではチェルフィッチュヨーロッパ企画、庭劇団ぺニノ、 ゴキブリコンビナート 、ロリータ男爵……。ダンスでは珍しいキノコ舞踊団イデビアン・クルーニブロール……。すでに解散してしまった猫ニャーやハイレグジーザスも含め、このユニークなラインナップを見れば、このフェスティバルがいかに通常の演劇祭などと異なるある意味偏ったとも思われる選出基準で上演劇団を選択し、それが現代演劇にインパクトを与えてきたのかが分かるであろう。
 この種の企画には関西では神戸アートビレッジセンターKAVCチャレンジシアターがあるが、今回のCONNECTがユニークなのは審査員に演劇の専門家ではなく、後藤ひろひと(Piper)、谷口純弘(FM802「digmeout」プロデューサー)、服部滋樹(graf代表)、東野祥子(BABY-Q主宰)、ヤノベケンジ(現代美術作家)という関西のこの手の企画としてはきわめて特異な人選をしてきたところである。実は企画の情報を知ったのが本当に直前のことで、観劇スケジュールがすでに動かしがたく、公開審査発表会が見られなかったのが今でも悔やまれたのだが、少なくとも現時点での評価は置いておくとしても、今回上演した2集団の作品が通常この会場である精華小劇場で上演されているような演劇とはかなり趣きを異にしているように感じられてそこが面白かった。
 Curriculum Vitae「寿唄 hogiuta」はともに京都造形芸術大学の卒業生である女性2人(渡守希、濱見彰映)によるパフォーマンスで、見た印象としては「北村想のテクストを太田省吾が無言劇として演出した」というような感じのものと私には思われた。通常の演劇とは明らかに異なる志向性だし、ダンスとも言いがたいという意味で特異なスタイルだとは思うけれども、これが現時点で舞台作品として一定以上の水準の舞台作品として成立しえていたかということになると微妙である。「太田省吾の演出で」と書いたのは台詞がなく、通常の動きよりも非常にゆっくりとした動きで俳優が動くということに若干の共通点があることと、これはもっと直接的だが音源のクレジットに「京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科 2005年度太田省吾演劇クラス『小町風伝』」とあり、そのことから彼女らがおそらく太田省吾の教え子ではないかということがうかがえたからだ。
 「北村想……」はいまさら言わずもがなだが、表題が「寿唄 hogiuta」ではこれはだれがなんといおうと北村想の代表作であり80年代小劇場演劇の金字塔ともいえる北村想「寿歌」のことを見る前から連想せざるをえない。アフタートークの様子からはひょっとしたら、原テキストがこれだということはちょっとしたら違うのかもしれないと後から思い出したのだけれど(表題も「歌」じゃなくて「唄」となっている)、本人が違うといおうとあるいはまさかとは思うけれども知らないとしても、日本演劇においてはこの表題をつけた瞬間に北村想の「寿歌」のことは無視できないのだ*3。 
 そして、そこでどう思われたかというと太田省吾と書いた時に考えた身体性からも、北村想と書いた時に考えたテキストへの批評性からも現状では中途半端で学生の習作以上の水準のものとは思われなかった。実はこのCurriculum Vitaeという集団は「身体性」ということからいえば日本の伝統芸能なかでも神楽(かぐら)を基礎に置いているらしいのだが、この公演を見ただけでは残念ながら、「だから特異である」という意味でのその身体表出のありようを感じ取ることは困難であった。太田省吾のような演出というのは一見ミニマルな風に見えながら、実はその底に豊穣なディティールを潜ませているということがあり、だから例えば「水の駅」のような作品が一見単純に見えながらその実際の舞台が見飽きないのに対し、この日の演技からはやはりそういう豊かな身体的ディティールというのはパフォーマーの訓練不足で感じ取ることができず、それゆえ少なくとも現時点ではもう少し何かないとこれで集中力をもって見続けるのはつらいというのが正直なところであった。
 一方、子供鉅人の方は以前から名前は耳にしたことがあるけれども、実際に作品を見たのは初めてである。こちらも普通の演劇というわけではなくて、パフォーマンス的な要素を多く含ませたもので、生演奏のバンドをフィーチャリングした一種の音楽劇の体裁をとっている。

 
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*1:http://www.artcomplex.net/webpan/sche.php?blogid=4&archive=2007-11-23

*2:http://rcc.recruit.co.jp/gg/engeki/engeki_oubo.html

*3:それは表題に「泉」とつければつけた本人が意識してまいと見る側がだれもが、これはデュシャンを下敷きにした作品だと思わざるえないのと同じである