下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」@フェスティバルホール

モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」フェスティバルホール)を観劇。

イッツ・ア・ビューティフル・デイ: カンパニー全員
フレディ: ジュリアン・ファヴロー
タイム/レット・ミー・リヴ: カンパニー全員
ブライトン・ロック: ダリア・イワノワ、エリザベット・ロス、ティエリー・デバル、ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ那須野圭右、エミリー・デルベ
ヘヴン・フォー・エヴリワン: アレッサンドロ・スキアッタレッラ、ジル・ロマン
天使: エクトール・ナヴァロ
ボーン・トゥ・ラヴ・ユー: エリザベット・ロス、ダフニ・モイアッシ
モーツァルトコシ・ファン・トゥッテ:ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ那須野圭右、エミリー・デルベ
モーツァルト「エジプト王タモス」への前奏曲:ジル・ロマン
ゲット・ダウン・メイク・ラブ: カテリーナ・シャルキナ、ジル・ロマン、ダリア・イワノワ、ティエリー・デバル、ジュリアン・ファヴロー
モーツァルト「協奏曲第21番」: ダリア・イワノワ、ティエリー・デバル、アレッサンドロ・スキアッタレッラ、ヴィルジニー・ノペ
シーサイド・ランデヴー: カトリーヌ・ズアナバー
テイク・マイ・ブレス・アウェイ: カテリーナ・シャルキナ、ジル・ロマン
モーツァルトフリーメーソンのための葬送音楽」:ジル・ロマン
Radio Ga Ga: ドメニコ・ルヴレ
ウインターズ・テイル: 那須野圭右、アレッサンドロ・スキアッタレッラ、ヴィルジニー・ノペ
ミリオネア・ワルツ: アルトュール・ルーアルティ、ジュリアーノ・カルドーネ、ヨハン・クラプソン、ニール・ジャンセン、ヴァランタン・ルヴァラン
ラヴ・オブ・マイ・ライフ―ブライトン・ロック: ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ那須野圭右、エミリー・デルベ
ブレイク・フリー(フィルム): ジョルジュ・ドン
ショー・マスト・ゴー・オン: カンパニー全員

 ジョルジュ・ドンとフレディ・マーキュリー。ともに若くしてエイズのためにその命を散らした二人の天才的アーティストにベジャールが捧げた祈りのような作品がこの「バレエ・フォー・ライフ」である。ただ、この作品は単に鎮魂というか2人の死を悲しんでいる、それだけではない、この世に生まれて、生きて死んでいくこと、そして、死んで行くものたちの命が確実に次の世代に受け継がれていくこと。作り手であるベジャール自身も昨年亡くなって、その追悼公演としての意味もこめて、彼のカンパニーであったモーリス・ベジャール・バレエ団による今回の上演を見たとき、最後の「ショー・マスト・ゴー・オン」の響き渡るフィナーレを見ながら、この作品にベジャールが込めた意味とそれを受け継ぐ、新芸術監督のジル・ロマンをはじめとするベジャール・バレエ団のメンバーの心意気が伝わってくるような気がさせられて、思わず目の奥に熱いものがこみあげてきそうになった。そういう意味で古典的な名作である「ボレロ」もいいけれど、それ以上に今も生き続ける作品としてベジャール追悼にはふさわしい舞台となったのではないかと思う。
 不世出の振付家としてのベジャールの才能はもちろんではあるのだけれど、バレエという総合芸術であるからこそ可能であったさまざまな才能の出会いの場としての「作品」ということをこの作品を見ていて思った。そもそもバレエの伴奏音楽としてクイーンの音楽を使用するというだけでも、驚きの発想ではあるのだけれど、それだけならばローラン・プティによる「ピンク・フロイド・バレエ」の前例もあるし、コンテンポラリーダンスの音楽にロックをはじめとするポピュラー音楽を使うということは珍しくはないだろう。ただ、これがクイーンの音楽を組曲的に全面的に使用した長編バレエであり、しかもそれだけではなくて、それと対比するかのようにモーツァルトの楽曲を同時に使用して、ひとつの作品にしよう、あるいはできると考えたベジャールの発想は天才的だったと思う。
モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」
イッツ・ア・ビューティフル・デイ(クイーン)〜タイム/レット・ミー・リヴ

Ballet for life - モーツァルト「協奏曲第21番」