振付・構成・演出:伊藤千枝
出演:山田郷美 篠崎芽美 茶木真由美 中川麻央 梶原未由 伊藤千枝
主催:珍しいキノコ舞踊団共催:神戸アートビレッジセンター 指定管理者 大阪ガスビジネスクリエイト株式会社
関西への珍しいキノコ舞踊団*1の登場は公演という意味ではびわ湖ホールの「Flower Picking」(2003年)以来でずいぶんひさしぶりである。公演回数が2ステージのみと少なかったせいもあるかもしれないが、この日は超満員の客席で、関西のダンスファンのこの集団への期待の大きさを感じた。もう少し頻繁に関西にも来てほしいのだが、今回の神戸公演が実現しただけでも僥倖としなければいけないか。
過去の作品の名場面集ということであったが、オムニバスという雰囲気はあまりない。珍しいキノコ舞踊団は割と最近まではほぼすべての公演をフォローしてきた数少ないカンパニーのひとつだったのだが、ここ最近はいくつか見逃した公演もあり、そのせいかもしれないが、曲からいうとおそらくこの作品からという場面も今回のツアーに合わせて細かく作り直していて、舞台美術もツアーバージョンに変化している。新人の梶原未由、準新人の茶木真由美、中川麻央が中心的な役割を担い、旗揚げ以来のメンバーが何人か姿を見せていないことも加わり、ほぼ新作という印象が強い*2。
作品の冒頭で伊藤千枝がマイクを持って「私にはいつも帰る家が2つある。ひとつは自分の家で、もうひとつは『キノコの家』だ」というような趣旨のことを語るのだが、その瞬間そう言えばこの神戸アートビレッジセンターでの前の公演が「私たちの家」という作品で、今回の作品でもそういう自分たちの家のようなインティメートさを感じさせる場面が出てくるのだが、そういう風に考えれば珍しいキノコ舞踊団は10年の時間を超えてこの懐かしい家に帰っていた。こんな風に考えたのである。もっともその時のメンバーは井出雅子、樋田佳美、山田郷美、佐藤昌代、伊藤千枝、小山洋子、山下三味子の7人ですから、小山の姿は裏方としてロビーで見かけたものの実際に舞台上に戻ってきたのは山田郷美、伊藤千枝の2人なわけですが(笑)。
そういえば「私たちの家」*3も「家」も主題にしていたが、この作品には「家まで歩いてく。」@彩の国さいたま芸術劇場小ホール、あるいは「また、家まで歩いてく。」@スパイラルホールからの抜粋と思われるシーンがあって、小さな家(部屋)状の舞台美術をいくつも引っ張りだしてきていて、それでさらに伊藤が冒頭で話していた話を勘案すると「そうか伊藤にとって家は繰り返し登場する非常に重要なモチーフだったんだ」ということに今さらながら思い至ったのですが、そういえば家そのものだけではなく、キノコの舞台には「家」を象徴するような食卓のイメージ(つまり、椅子やテーブル)も繰り返し登場するなと気がついた。そういえば、今年の新作はそのものの「The Rainy Table」*4だった。もっとも、例えばピナ・バウシュにもローザスにもオハッド・ナハリンにもいずれも主要な作品に椅子が重要なモチーフとして登場するようにダンスにとって、身近な日常的な素材として椅子やテーブルを使うは当たり前のことではあるようなのだが、これについてはもう少しその意味するところをいろいろと考えて見る価値があるかもしれない。
というのはじゅんじゅんSCIENCEとMonochrome circusの新作も机を主題とした「D E S K」でこれも「The Rainy Table」と並んで今年のベストアクトに選ぶような秀作であり、当然これにも机と椅子が登場するのだけれど、Monochrome circusと珍しいキノコ舞踊団、そして水と油では同じように机と椅子が登場するといってもその意味合いがずいぶん違うのではないだろうかと思い当ったからだ。
少し話がずれてしまったようだ。「家」いう意味ではつながりはあるものの「私たちの家」との比較をしてみると、この10年の間に(当然のことだが)珍しいキノコ舞踊団が表象する世界はずいぶん変化していることが分かってきて興味深い。もっとも直接に10年前の公演を思い出すのはさすがに難しいので当時書いたレビューから少し引用してみると
「私たちの家」は「少女」「夢」「遊び」といったキノコ特有のコンセプトを凝縮した形に戻った感じ。ただ、ダンスそのものの振付は単に仕草性を重視さたものから、もう少し構成的なものとなっており、近作の流れを受け継いでいる。全体としてはダンス作品というより、セサミストリートのような良質の子供番組を思わせる雰囲気。その中に自然にダンスの振付が溶け込んでしまっているのがキノコならではの構成といえそう。
ということになる。その世界の特徴を一言でいえば「夢見る少女」ということになるが、今回の「珍しいキノコ物語」は「少女」「夢」「遊び」というような要素は捨てることなく受け継ぎながらも、そこに単に子供の視点だけではなく、母親、大人の視点を付加されるようになっている気がした。
そしてダンス自体の変化も大きい。当初の珍しいキノコ舞踊団の振付はユニゾンや対位法によって構成されたいわば一種のミニマリズムと<カワイイ>仕草性のサンプリングが主体であったが、現在のキノコはコンタクトから創出されたようなリフトや柔軟かつ強靭な身体による複雑なポージングの連鎖など個々のダンサーが持っている技術を表に出すことに昔ほどの躊躇がない。
つまり、最近の東京のダンスのひとつの傾向が桜井圭介氏が提唱した「コドモ身体」的なものだとすれば、その意味合いは「アンコントロール=制御不能」ということだから、現在のキノコははっきり「コドモ身体」ではないといえる。それでいて、「Cool JAPAN」的な意味合いにおける「カワイイ」文脈にははっきりと関係づけられそうだから、そこのところが面白いところだ。
*1:セミネールWEB講義録 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000412
*2:見逃した「珍しいキノコ大図鑑」@ル・テアトル銀座とほぼ同じ内容との説も聞いたが未確認
*3:珍しいキノコ舞踊団レビュー集 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20090410
*4:WONDERLAND http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=1063