下北沢通信

中西理の下北沢通信

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MONO「はなにら」@ 吉祥寺シアター

MONO「はなにら」@ 吉祥寺シアター

作・演出:土田英生
出演:水沼健、奥村泰彦、尾方宣久、金替康博、土田英生、石丸奈菜美、高橋明日香、立川茜、渡辺啓

2019年3月2日(土)~10日(日)
東京都 吉祥寺シアター

2019年3月16日(土)・17日(日)
愛知県 穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース

2019年3月23日(土)~27日(水)
京都府 ロームシアター京都 ノースホール

2019年3月30日(土)・31日(日)
広島県 JMSアステールプラザ

 MONOの設立30周年記念公演。今年(2019年)が30周年の区切りの年ということもあり、3本の本公演を行う予定だが、この作品はその第1弾となる。
多数の犠牲者が出た火山噴火災害の被災地の島で暮らす2組の「擬似家族」の物語。派手さや特異な前衛性はいっさいないけれど、さりげない描写の中に様々な人間模様を見せていく。
  MONOの最大の魅力は常にあうんの呼吸で互いに演技ができる20年以上一緒に舞台にあがり続けてきた5人の俳優(水沼健、奥村泰彦、尾方宣久、金替康博、土田英生)によるアンサンブルだ。掛け合いのシーンなどではほぼ自由自在と言ってもいいほどで他の劇団の追随を許さぬ部分もある。
 ところが一方でそのことには次第にその関係性が固定化してきてしまってどういうシチュエーションを書いても、同工異曲に見えてきかねないという問題点も含むものであった。
 そういうもろもろの状況を勘案してMONOが結論づけたのは新劇団員の補充という選択。しかもいかにも彼らのやり方らしく、新たに加わった4人の劇団員(石丸奈菜美、高橋明日香、立川茜、渡辺啓太)はワークショップなどを通じて知り合い、これまで客演の形で幾度か一緒に芝居をしたもの*1を基準に選んでおり、新劇団ながら「MONOらしい」と感じる俳優らばかりなのだ。
MONOの土田英生は初期の代表作といえる同性愛の男たちが一緒に暮らすアパートを描いた「ー初恋」*2や地域村落での町興しを描いた「きゅうりの花」など通常ではない状況のコミュニティーに属する普通の人間がどのような行動を取るかという顛末をシチュエーション劇として構築していくのが土田の得手とする作風だが、今回は多数の犠牲者を出した火山噴火災害の被災地の島で暮らす2組の「擬似家族」を時にコミカルな筆致も交えて描き出していく。
 ただ見ていると単純で軽妙なコメディーに見えるが、今回の場合であれば学校の教師(金替康博)と彼に養女として引き取られて一緒に暮らす女性の間の微妙な感情、「大家族」として共同生活している3人の男たち(水沼健、奥村泰彦、土田英生
とその子供世代の女2人、男1人、そこに兄たちには望まれない存在として島を出ていったまま戻らなかった男(尾方宣久)がひさびさに顔を見せることでさざなみが広がるようにそれぞれの持つ思いが同じではないことが、次第に顕わになっていく。
 それぞれの思いは長らく心の奥底に閉じ込めていた震災による肉親の喪失ともつながりせつないのだが、こうした細かな感情の揺れを的確に表現していくことにおいて土田の筆致は絶妙な冴えを見せていく。
そしてこの作品の最大の見所は被災から20年目の節目の年でのこの擬似家族たちの新たな関係への旅立ちは設立30年を迎えて新劇団員を迎え、新たなステージへと変貌しようとしているMONO自体のこととメタファーとして二重重ねになる構造を持っていることだろう。MONOにはよくあることだが、劇団のきわめて初期段階から参加してきた水沼健、奥村泰彦、土田英生の3人と後から新人として加わり3人とは年齢も少し離れた尾方宣久、他のメンバーとはずっと以前からの知り合いであったがライバル劇団ともいえる時空劇場(松田正隆主宰)の看板男優で、同劇団解散後MONOに参加することになった金替康博。MONOにはよくあることだが、この関係性が作品内容にも反映されていて、子供世代の4人についてもそれは同じ。だからこそ30周年記念公演としてのこの舞台の上演は「俺たちはここからだ」という宣言のようにも感じられたのだ。
simokitazawa.hatenablog.com
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*1:全員が昨年の公演「隣の芝生も。」にも出演している

*2:今でこそLGBTを主題とした物語は珍しくないが、当時は先駆的な事例であったと思う