下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンスなど様々な文化的事象を批評するサイト。

円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」@北千住BUoY

円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」@北千住BUoY

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作・演出
カゲヤマ気象台


浜松公演(ワーク・イン・プログレス公演)
2019年8月3日(土)

会場
浜松市鴨江アートセンター
浜松公演の詳細はこちら


東京公演
2019年8月8日(木)〜12日(月祝)

会場
BUoY

人々

カゲヤマ気象台*(作・演出・音響)、キヨスヨネスク(出演)、田上碧(出演)、日和下駄*(出演)、山田亮太(詩作指導)、笠井康平(いぬのせなか座 | 舞台美術)、黒木晃(編集)、大田拓未(デザイン)、三野新(写真)、みなみあかり(ACoRD | 照明)、河野遥(ヌトミック | 制作)、中村みなみ(制作協力)=円盤に乗る派プロジェクトチーム

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の2都市を拠点として活動する。2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度にセゾン文化財団ジュニア・フェローに選出。近作に『幸福な島の誕生』(2019)『正気を保つために』(2018)『シティⅢ』(2017、第17回AAF戯曲賞大賞受賞)など。

キヨスヨネスク

俳優 1992年東京生まれ。
声と身体の関係、声と演技の関係から声の身体性(声の肌理)に注目し表現を試みている。あらゆる文化や時代、ジャンルにおける身振りや声の表現をリソースに駆使して自身の身体を作っているところ。俳優として自身の作品を作っていく。パフォーマンスユニット「humunus」を結成。ソロプロジェクト「蝸牛二噛ム」などがある。


田上碧

歌手/アーティスト。 自身の声と言葉を用い、「歌」を探求する。2014年頃より、野外から劇場空間まで、幅広い場でソロパフォーマンスを行う。 生身の体から出る歌声と言葉を通して、人は現実の音響空間や体のあり方を捉えなおせるという考えのもと活動している。 近作に、屋外を走って移動しつつ大きい声で歌う『地球のほう』(2016)、部屋の壁に口をつけて歌い唾の跡を残すパフォーマンス『遠くまでコンクリートで』(2017)などがある。

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。横浜国立大学卒。俳優、ライター。コンテンツを使ってあれこれする仕事している。 人が集まることと伝え方を考えることが好きなので、コミュニケーションが主軸となる集まりをやっています。

山田亮

詩人。1982年生。詩集に『ジャイアントフィールド』、『オバマ・グーグル』(第50回小熊秀雄賞)。2006年よりTOLTAで活動。TOLTAでの主な制作物に書籍『この宇宙以外の場所』(2018年)、展示「質問があります」(2017年、アーツ前橋)、舞台作品「人間関数―トルタオーディオブック」(2017年、BUoY)。

笠井康平(いぬのせなか座)

1988年生まれ。東京都在住。会社員。著作に『私的なものへの配慮No.3』(2018)。

黒木晃

雑誌「Curtain」編集・発行人。書店 UTRECHT /NOW IDeA に勤務し、TOKYO ART BOOK FAIR の運営にも携わる。2017年より、WEBメディアM.E.A.R.L編集業務も担当。


大田拓未


1988年東京都生まれ。フリーランスのグラフィック・エディトリアルデザイナーとして活動中。2017年より自身のデザインスタジオ「.otd」を主催し、マーチャンダイズ・プロジェクト「PP_PP」を今年スタートさせた。
www.o-t-d.jp

三野新

1987年福岡県生まれ。写真家・舞台作家。ニカサン主宰。2017年より主に舞台芸術を制作するカンパニーであるニカサン(2 か3)を主宰。「恐怖の予感を視覚化する」ことをテーマに作家活動を行っており、見えないものを見る手法として、物語・写真行為・演劇を横断的に試行/思考しながら制作している。
www.aratamino.com


福尾匠

1992年生まれ。横浜国立大学博士後期課程、日本学術振興会特別研究員。現代フランス哲学、批評。著書に『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018年)

安藤朋子

1977年太田省吾(劇作家・演出家)主宰の劇団転形劇場に入団、1988年劇団解散後も太田と共に活動を継続し、数々の国際プロジェクトに出演。2001年演出家藤田康城、詩人・批評家倉石信乃らとARICAを創設、国内外で新作を発表し続けている。主な出演作品に『水の駅』『↑』(転形劇場)、『KIOSK』 『しあわせな日々』『孤島』(ARICA)など。2005年カイロ国際実験演劇祭でARICAの『Parachute Woman』(演出/藤田、テクスト/倉石)が最優秀ソロパフォーマンス賞受賞。

岸井大輔(劇作家)

劇作家。1970年生。他ジャンルで追求された形式化が演劇でも可能かを問う作品群を発表している。代表作「potalive」「東京の条件」「好きにやることの喜劇」「始末をかく」。現在、形式の演劇性について考え、美学の講座・対話の場を各種構築中

小宮麻吏奈(アーター/Arter)

1992年アメリカ生まれ。クィア性と身体性、その行き先の時間というテーマから出発し、「人類における新しい生殖の可能性」を自身の身体を起点に、パフォーマンス、映像、インスタレーションなど複数のメディアを通して模索している。これまでの主なプロジェクトに、「小宮花店」という花屋の経営や「野方の空白」というスペースの運営など。現在は、再建築不可の土地にて共同プロジェクト「繁殖する庭」を運営中。

山本浩貴(いぬのせなか座)


1992年生まれ。いぬのせなか座主宰。同メンバーのhとともに、デザインや編集、パフォーマンスの制作を行うほか、雑誌等へ批評や創作を寄稿。主なテクストに「新たな距離 大江健三郎における制作と思考」(『いぬのせなか座』1号)、「制作的空間と言語 「あそこに私がいる」で編まれた共同体の設計にむけて」(『エクリ』)ほか。主な編集・デザインに「現代詩アンソロジー「認識の積み木」」(『美術手帖』2018年3月号)、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座叢書3)、『これは演劇ではない DOCUMENT BOOK』(「これは演劇ではない」実行委員会)ほか。

「これは演劇ではない」に参加した集団には「現代口語演劇ではない」「リアリズム演劇ではない」などの共通点はあるが、実は様式的に近く見える作家にも互いに違いがあり、その差異がそれぞれどうなのかということを考えさせることにフェスティバルの面白さはあった。
 なかでも、考えさせられたのはカゲヤマ気象台(円盤に乗る派)。フェスの時点では複数回観劇したが、それが目指しているのが何なのかが正直言ってつかみかねた。
 今回の舞台を見て分かったような気がしたのは円盤に乗る派の舞台がテキスト、発話、身体の3つの要素全てにおいて、現代口語演劇(特に平田オリザの演劇の組合せ)を完全に否定し、その逆を意図的に選択しているように見えることだ。
 演劇はセリフによる説明(提示)と身体所作で登場人物が置かれている状況のディティールを観客に想起させようとする。それはリアリズム演劇のスタイルをとらないマレビトの会でさえもそうである。だが、カゲヤマ気象台の作品はそうではない。この作品でも登場人物はトイレ、戸外、レストランなどを行き来するが、この舞台を見ていてもそれが具体的にどんなところなのかのディティールをまったく想起することができない。そして、それは想起できるイメージに幅を持たせることができるということでもある半面、具体的なイメージがほとんど焦点を結ばない場合もある。
 登場人物にしても3人の俳優(キヨスヨネスク、田上碧、日和下駄)が演じる3人の人物は完全に抽象的な存在というわけではなく、それぞれの属性を持ってはいるようなのだが、全員が10歳だという以上のディティールは皆目分からない。そもそもそれだって端的に言ってそう(10歳)には見えないし、俳優も子供に見えるような演技はいっさいしていない。
 カゲヤマ気象台の作品の言語テキストは2つの系列がある。ひとつは舞台が始まる前から壁に映写されている文字としてテキスト。実はアフタートークでこのテキストは舞台装置の一部と見なされており、作品を構成する要素の一部ではあるが、カゲヤマ気象台以外の人間が提供したもので、セリフと響きあってひとつの世界を作るものの、セリフなどと明確に連関しているものではない。
 もうひとつがセリフとして発話される言葉で、こちらも通常の意味での会話体ではない。セリフとして発話はされるが、発話している人物が誰かに向けて話しかけている発話ではなく、俳優は与えられた言語テキストに声を与え、それを提示する。つまり、セリフと話者の間には明確に距離があり、発話された言葉は会話としてではなく、発話者と独立した「言葉」として観客に受容される、ということになる。それゆえ、円盤に乗る派の舞台では3人の登場人物が出てきて、一見会話のようにセリフを交互に発話してもそれは会話ではないし、話者の内面がそのまま表出されるのがモノローグだとすればこれはモノローグでさえもない、ということになる。
 そして、実は円盤に乗る派においてもっとも特異的であるのは実は身体なのかもしれない。身体と発話するセリフは互いに独立していると書いたが、セリフと身体の分離というのはSPACや山の手事情社をあげつらうまでもなく、昔から「語りの演劇」系の集団でよくやられてきた。ところで円盤に乗る派の身体の特徴はパフォーマーが提示する身体に何らかの表出の意思やあるいはそれとは逆の無作為に出てくるノイズ性などがいっさい感じられないことだ。そのあり方は「オブジェ」的*1と評しても間違ってはいないだろう。
その結果、この舞台は全体として具体的な舞台美術などは最小限であるのにもかかわらず現代美術で言うインスタレーションのように感じられる。物語や具象的なイメージがあるわけではないけれども、優れたインスタレーション作品がそうであるようにそれは全体として「ある世界」を表象するものとなっている。それは様式は違うけれどかつてダムタイプがそうであったようなものと近い存在感を持っているように思えた。それゆえ、これをインスタレーション演劇と呼びたくなったのである。
 
清潔でとても明るい場所
使用曲セットリスト
Organic Steps 尾島由郎

Yoshio Ojima - Organic Steps

Peace(Go Slowly) Morgan Fisher

Peace(Go Slowly) by Morgan Fisher


いかれたBABY Fishmans

Fishmans いかれたBaby 1993

Chromatique ヴァンゲリス

Vangelis Opera Sauvage Chromatique

*1:ただこんな風に書いたら、俺たちはモノじゃないよと、キヨスヨネスコや日和下駄は文句が言いたくなるかもしれない。声と言葉そして身体のあり方にも自覚的な俳優陣だからこそこういう効果が生まれると思う。