下北沢通信

中西理の下北沢通信

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玉田企画「サマー」(2回目)@下北沢・小劇場B1

玉田企画「サマー」(2回目)@下北沢・小劇場B1

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玉田企画「サマー」2度目の観劇。舞台を見ている時に感じるなんともいえない「いたたまれなさ」では共通点があるのだが、小松台東「てげ最悪な男へ」ではそれが「嫌な感じ」になり、玉田企画はそれが笑いへと昇華される。それぞれ舞台に関して作者が意図した通りの効果が実現されており、そこに何の問題もないのだが、何がこの違いにつながるのだろうと考えながらこの舞台を見ることになった。
興味深いのは冷静になって考えてみると「サマー」に出てくる男たちも女性たちにとって「最悪な男」という意味では甲乙つけがたいほどに最低であるのではないのかということだ。折り合いの悪い父親が再婚した結婚式に自分は欠席したうえに同居相手を出席させて自分のやりたいことへの資金援助を代わりに依頼させる男(山科圭太)。同居相手が妊娠中なのにそれを放置して連絡を絶ったネットの知人(女性)を見つけようとストーカーまがいのことをしている男(前原瑞樹)。彼も酷いがそれを面白可笑しく番組に仕立て上げようとしているテレビクルーも酷さに於いては引けをとらないのだ。
その酷さは人間関係におけるいたたまれなさを引き起こすのだが、そこでの観客の印象は「てげ最悪な男へ」と「サマー」では大きく違う。そういえば、これと似たような印象をどこかで感じたことがあったと記憶をさらっていたら思い出したのはポツドール「男の夢」と玉田企画「あの日々の話」との印象の違いなのであった。考えてみるとポツドール三浦大輔の作品にもいろいろと酷い男が出てくることが多くて、その点では玉田と三浦と松本の劇世界には相通じるところがあるのだが、そのうち玉田真也の作品だけが笑うことができるのはなぜなのだろう。「てげ最悪の男へ」で観客である私たちが嫌な気分になるのは例えば松本哲也が演じるクズ男が傍若無人に振る舞う時に彼の行動の暴力性をあたかもその場に一緒にいて体感するように感じる。それに対して、玉田の舞台ではそこにどのように愚かしくもクズのような人間がいても、私たちはただそれを金魚鉢を覗き込むように観察するに過ぎなくて、そこに自分自身が巻き込まれていくことはない。それゆえ、私たちはその人間たちの愚かしさ、酷さを笑える立場に身を置くことができるのだ。
 そして、「サマー」は物語の構造がいろんな秘密を隠し持つ人間たちが最後の最後に一堂に集められて、クライマックスに向かって流れ込んでいくような構造を持ちながらももっとも悲惨なカタストロフィーを迎えるシーンは意図的にカットアウトされ描かれないで、その直前に暗転で物語は終わり、ラストの幕切れに続くような作りになっている。これは未完の悲劇のような構にになっているが、ロミオとジュリエットの悲劇的な死を迎える前の「ロミオとジュリエット」の前半が喜劇になっているように「未完の悲劇」としての喜劇的な日常を描いた作品になっているのである。

作・演出:玉田真也
出演:浅野千鶴、神谷圭介、今野誠二郎、玉田真也、深澤しほ、堀夏子、前原瑞樹、森本華、山科圭太