下北沢通信

中西理の下北沢通信

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りゅーとぴあ×杉原邦生 KUNIO10『更地』@世田谷パブリックシアター

りゅーとぴあ×杉原邦生 KUNIO10『更地』@世田谷パブリックシアター

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京都造形芸術大学(当時)時代の恩師でもあった太田省吾の作品『更地』を杉原邦生が演出。杉原にとっては9年前にも上演した作品の再演ともなった。おそらく、この上演は見る側の年齢によって受ける印象がかなり違うのではないかと思ってしまった。作品内にはっきりと描かれてわけではないが、私のような老人には生を終えた人間がそれぞれの人生を振り返って俯瞰して見ているように見えるからだ。これはソーントン・ワイルダーの「わが町」と同じような構造で、実は杉原邦生版『更地』の初演で、太田省吾を柴幸男「わが星」の手法で描いたと評したのだが、その時は円形のステージやセリフをラップにしているなど表層的な部分ばかりに目がいっていたのだが、今回の上演を見て、この両作品にはもっと深いところで通底したところがあるのではと感じた。
もっとも柴幸男との関連において語るなら、主題の共通性としては一人の女性がうまれてから死ぬまでを描いた「あゆみ」があり、こうした柴作品の傾向をセカイ系的な心性と評したこともあった。そして、それはロロの三浦直之ら同世代の作家に広く感じられる特徴であり、杉原にもそれを共有している部分はある。
セカイ系とは非常に単純な見方をすれば男女間の恋愛など卑近な出来事が社会などを介さずに世界の運命などの壮大なイメージと直接つながってしまうような感性のことだ。もちろん、太田省吾はセカイ系などという概念が生まれるよりずっと以前に活動しており、それをわざわざセカイ系などと評することはナンセンスであることを承知であえて評するのだが、例えば「水の駅」における個人とセカイの関係性にも似たようなことを感じることができるかもしれない。
とはいえ、ここでは太田省吾がセカイ系であると言い切るよりも、太田の描いた劇世界に杉原がそういうものを読みとったと考える方が真実には近いかもしれない。

【作】太田省吾
【演出・美術】杉原邦生
【音楽】Taichi Kaneko 【照明】高田政義(RYU)
【音響】稲住祐平(エス・シー・アライアンス)
【衣裳】藤谷香子(FAIFAI)

【出演】南沢奈央 濱田龍臣

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