下北沢通信

中西理の下北沢通信

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丘の上から舞台を見下ろす謎の男は誰? さいたまゴールド・シアター最終公演「水の駅」@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

さいたまゴールド・シアター最終公演「水の駅」@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

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蜷川幸雄が設立したシニア世代の劇団さいたまゴールド・シアターの最終公演として太田省吾の沈黙劇「水の駅」(構成・演出・美術:杉原邦生)が上演された。
「水の駅」については今回演出の杉原による前回公演(森下スタジオ)のほか、太田省吾演出の舞台(湘南台)、最近では青年団による上演などいくつもの舞台を見ているが、今回の舞台は人間の生と死の根源に迫り、これまで見た中でも「決定版」を思わせるようなきわめて印象的な舞台であった。
「水の駅」は台詞がいっさいなく、舞台の中央に水が流れ続ける水道の蛇口があり、ほぼ何もない舞台の上手奥から下手手前に舞台を横切る斜めのラインとしての導線に沿って、ひとりまたひとりとパフォーマーがゆっくりとした足取りで現れ、水場に立ち寄って、下手手前に設けられた花道的な通路に消えていく。
非常に単純な仕掛けでありながら、そこにはセリフがないことで、私たち観客はそこから無限といってもいいディティールを感じ取ることができる。現れ、そして去っていく姿は途中からどうしても「人の一生」を象徴するようなものとして、立ち現れてくる。そして、そういう風に見て取る時に真ん中に置かれた水場の流れる水は時に「欲望」「性的な行為」など「生きること」の隠喩のように見えてでくるのだが、今回はそれを平均年齢80歳を超える年輪を感じさせるパフォーマーが演じることで「生と死」のコントラストが他の舞台とは比べ物にならないぐらい克明に感じられたのである。
この舞台でもうひとつ印象的だったのは「なにもない舞台」と先ほどは書いたけれども、舞台下手奥にはごみの堆積物で作られた巨大な山のような装置がおかれて、そこには
ひとりの年老いた男(高橋清)がいてこの舞台が始まった瞬間から少しだけ見え隠れしながら、パフォーマーたちを見守り続けている。その姿はちらちらとは見えるので、いつどのようにそこから降りてきて作品にからんでくるのだろうと思いながら待ち続けるが、男は最後まで降りてくることはない。これが何なのかと頭の片隅で考え続けていたのだが、最後の挨拶で天井部分から蜷川幸雄の写真がプリントされた巨大な幕が吊されたのを目にした瞬間にあれは「蜷川幸雄だったんじゃないか」というのが氷解して、思わず涙腺崩壊しそうになった。
 そして、この下界を見守る人は杉原邦生にとっては蜷川というだけではなくて、杉原の京都造形芸術大学時代の恩師でもある太田省吾のことも投影されていて、そこにはこうした先達から受け槻ぎ自分がこの舞台を作っていると自負も込められているのではないかと思ったので ある。
さいたま芸術劇場の次期芸術監督には近藤良平が就任することがもうすでに決まっているが、まだ早すぎるとは思うが、次の次ということを考えるとこれまでは蜷川幸雄に評価され、蜷川の死がなければ蜷川の評伝劇を上演するはずであった藤田貴大の名前などが取り沙汰されていたが、この舞台で杉原も有力な候補のひとりに浮上したのではないか。そういう意味ではKUNIOですでに何度か上演経験のあるシェイクスピア劇を今度はこのさいたま芸術劇場で上演してもらいたいと思う。
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2021年12月19日(日)~26日(日)
埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:太田省吾
構成・演出・美術:杉原邦生
出演:さいたまゴールド・シアター(石井菖子、石川佳代、大串三和子、小渕光世、上村正子、北澤雅章、佐藤禮子、田内一子、高橋清、滝澤多江、竹居正武、谷川美枝、田村律子、都村敏子、遠山陽一、林田惠子、百元夏繪、渡邉杏奴) / 井上向日葵 / 小田豊

※高橋清の「高」ははしご高が正式表記。