福留麻里ソロダンス ワーク・イン・プログレス「まとまらない身体と」
ダンサー・振付家 福留麻里*1の約5年ぶりのソロダンスプロジェクトが ワーク・イン・プログレス「まとまらない身体と」である。面白いのは実際に見に行くまではしかるべき未来に「まとまらない身体」というダンス作品を上演するための準備過程(プロセス)としてのワーク・イン・プログレスと思いこんでいたが、そうではないことだ。これは永遠に変化し続けることはあっても最終的なアウトプットとしてのダンス作品上演には向かわない、一連のプロセス自体が作品なのだ。
福留麻里はダンスデュオ「ほうほう堂」*2のひとりとして毎年のようにコンテンポラリーダンスのコンペティションにノミネートされたり、ダンスショーケースに選ばれていたコンテンポラリーダンス界のトップランナーのひとりといっていいが、最近はより実験的な他のアーティストらとの共同制作などに軸足を置いていた。コロナ禍のこともあり今回初めて知ったが子供の出産などもあり、現在は山口県に拠点を移しているようで、そこからどんな新しい作品が登場してくるかは大いに注目である。
過程自体が作品と言うのは現代美術には実例はある(クリストのラッピングプロジェクト、中ハシ克シゲの"ZERO Project"などが有名)けれども、パフォーミングアーツではあまり聞いたことがなくて、コンセプトとしてはこれとはだいぶ違うけれど京都のダンスカンパニー「Monochrome Circus」が以前行ってきた「収穫祭」プロジェクト*3が思い浮かぶ程度。試みとしては非常に野心的だと思う。
作品自体はどういうものかというと福留真理が日常の中で収集してきた短い動き(音楽でいうフレーズのようなもの)が現在までに90個少しあって、まずは福留はそのうちのいくつかの動きをその場で選択して、15~20分程度動いてみせる。動きには身体だけを使うもの以外にも現場にいろいろ置かれている小道具(オブジェ)を使って行うものもあり、それをダンスと呼ぶことが適当かどうかは分からないけれども、動きをつないで一連の動きにしたものを観客(というかその場に居合わせた参加者)に見せていく。
それが一段落したところで一度質問タイムがあって、今度はそれぞれの動きがどうやって生まれたものなのかを「この動きについて教えて」のようなやりとりで紹介する。実はこのやりとりがただ解説するというようではなくて、ところどころで「どんな風に見えたか」というような問いをして、そういう見え方みたいなものを今度は動きというか、振付の解釈にフィードバックしていく。
そういう仕掛けで動きないし振付がどんどん進化していく。ここにこの作品のプロセスの面白さがあると感じた。この質問コーナーの面白さは時折観客が一連の動きの中に踊り手が意識しているわけではない「こういう動き」みたいなものを読み取ることがあり、そういうものが出てくると今度はそれはどこでどんな動きを読み取ったのかなどを聞き出して、新たな「動き」として収集し、日常生活の中での動きの収集にとどまらず、そういうことでも動きを増やしていくのである。
それが終わった後、今度は最初の動きの中で動いた動きをつないでもう一度踊るのだが、これは最初から最後まで同じ動きをトレースするというのではなく、前にやった動きをその場その場で選びながら踊るのだ。これを見ていて非常に興味深く思ったのはそれを対象としてみる場合にこちらは踊る人ではないので最初は大雑把に感覚的に把握しているに過ぎなかった作品の動きが知っている動きがそこここで登場することで、ひとかたまりのダンス作品のようなものとして把握しやすくなったことに気が付いたからだ。作品自体にほとんど言葉は登場しないけれど、動きに張り付けた言葉のレッテル(動きに名前をつけて、それを把握する作業)が間に介在することで、ただのいろんな動きという以上の意味合いが生じてくるのだ。
ダンスは色々なことからはじまって、その一つひとつの゙行き交う場所が 踊る身体です。 それぞれにバラバラなダンスのはじまりが、なるべくまとまりのないまま 集合できるような時間について、つながりのないものがつながっていくことについて、それを見るということについて考えながら進んでいます。2021年2月から1年かけて、様々な変化をからだで辿りながら、
50以上の小さな振付を作ってきました。
振付は増えていき、繰り返される上演を終えても完成することなく続いていきます。
むすびつき ほどけて 消えていく 小さなはじまりの残像集。ダンス:福留麻里
セノグラフィー:佐々木文美
宣伝美術:伊東友子
制作:萩谷早枝子
協力:時里充
主催:ローディング・エレファント