下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

青年団+韓国芸術総合学校+リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『その森の奥』(2回目)@こまばアゴラ劇場

青年団+韓国芸術総合学校+リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『その森の奥』(2回目)@こまばアゴラ劇場

作・演出:平田オリザ 韓国語翻訳:イ・ホンイ フランス語翻訳:マチュー・カペル
(新作)
マダガスカルにある、架空のフランス国立霊長類研究所。ここでは、フランス、日本、韓国の研究者たちが霊長類研究に従事している。猿そのものを研究対象としている霊長類研究者と、猿を実験材料としたい心理学者、猿のテーマパークを創りたい観光業者などの思惑が入り交じり様々な対立が起こっている。背景には、日韓の歴史問題、あるいはフランスの旧植民地の問題、マダガスカル固有の歴史の問題があり、人間関係をより複雑にしている。熱帯のジャングルの中、終わりのない議論が続いていく。
[日本語・韓国語・フランス語上演/日本語字幕付き]

青年団国際演劇交流プロジェクト2019
『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』
作・演出:平田オリザ 韓国語翻訳:イ・ホンイ フランス語翻訳:マチュー・カペル
青年団、韓国・韓国芸術総合学校、フランス・リモージュ国立演劇センター付属演劇学校による国際共同事業。日韓仏3カ国の俳優が出演する、平田オリザの最新作『その森の奥』と、<科学シリーズ>より、全編フランス語で翻案し新制作する『カガクするココロ』、無隣館三期修了公演として、青年団有志と共に上演する『北限の猿』の3本立て公演。

 今回も上演される「カガクするココロ」「北限の猿」はかつて「バルカン動物園」も加えてサル学三部作と言われていた。この「その森の奥」はその続編ということができるが、実はこの作品の一部は「バルカン動物園」とも重なる部分が多くて、上演当時のバルカン半島の内戦状態を前提として作劇された「バルカン動物園」が現在はそのまま上演するのが困難になっていることに応じて、「森の奥」の改作に際して「バルカン動物園」の要素を入れ込んだのではないかと思った。
 多言語が行き交うような群像会話劇はすでに弘前劇場長谷川孝治が国際共同製作で何度も手掛けているのを見ているので、それほど目新しいとはいえないが、日本人、韓国人、フランス人が共同作業をしているサル学研究室は話題に登場するサルについてのエピソードが日韓やフランスの植民地政策の歴史にからんだ複雑な関係と重なりあうように描かれていく。
 作品自体の構造が作品の主題と重なり合うというのが平田オリザ作品の特徴のひとつだが、「科学シリーズ」と呼ばれる作品群は典型的にそうした特徴を持っている。サルを人間のような高度な知性を持つ存在にと人工的に進化させる「ネアンデルタール作戦」というのが、このシリーズで取り上げている研究室が取り組んでいる研究なのだが、その研究の進展具合もシリーズ作品の中で描かれる。
  今回は「カガクするココロ」と「その森の奥」「北限の猿」の3作品が上演されるが、物語設定上の時系列としては「カガクするココロ」→「北限の猿」→「その森の奥」の順番になっていて、物語内の時間の進行に呼応するように平田オリザの作劇、演出もより複雑なものに進化あるいは変化しているのが面白い。
 「カガクするココロ」で登場するのはせいぜい学部生と大学生でその関係性はフラットなものだが、「北限の猿」ではそこに研究室の研究者、学際プロジェクトに参加する外部の研究者、霊長類研究所の研究者夫妻、研究者の家族、大学職員、企業で働く卒業生、学部生とより関係を広域に複雑化。さらにこの「その森の奥」ではフランス旧植民地であったマダガスカルを舞台に少数の日本人研究者に加え、現地出身者を含むフランス人研究者、韓国人研究者(在日も含む)、サルの生息地をテーマパークしようとしている日本人(ではあるが中国資本の企業の社員)とさらに複雑な関係性を描き出した。
実はこのサル学研究室に関する連作のことを以前はサル学○部作と呼んでいた時期があったように記憶している。最近は<科学シリーズ>と総称されているようだが、それは○部作というようにはっきりと言えるような作品群と言い難くなってきているのもひとつの理由だろう。
 <科学シリーズ>では先に述べたように「カガクするココロ」→「北限の猿」→「その森の奥」という時系列があると書いたが、「北限の猿」には「バルカン動物園」という続編があり、その当時はサル学三部作などと言われていた。
 ところが実は「その森の奥」で描かれる世界は「北限の猿」の未来とは言えなくもないが、「バルカン動物園」の未来ではない。つまり、人類を生み出したサルの歴史において、人類は類人猿の祖先というわけではなく、同じ先祖から分岐して別々の進化を遂げたように「その森の奥」は「バルカン動物園」と同じ過去から派生したもうひとつの未来を描いているからだ。
 だから、この2つの作品で描かれるメインのモチーフは同一なのだ。自閉症の息子を抱えて、その病気の原因をサルを実験体として用いて究明しようと考える心理学者と幼くして息子を失ったことのトラウマからサル研究にのめり込み、一度は研究者としての客観性を失うというミスまでも犯した霊長類研究者。同じ研究者でありながらおそらく絶対に折り合うことができないこの2人の対立はこの舞台ではまだ予感だけにとどまり破滅的なカタストロフィーは描かれることはないが、このことは表面的には折り合いをつけているように見えても、戦後75年近くを経過しても相互に分かりあうことが難しい日韓関係の困難さなどと重なりあっていく。

しあわせ学級崩壊「ハムレット」@中野サンプラザBASS ON TOP STUDIO

しあわせ学級崩壊「ハムレット」@中野サンプラザBASS ON TOP STUDIO


しあわせ学級崩壊『ハムレット』PV映像

原作 W・シェイクスピア
福田恆存
上演脚本・演出・演奏 僻みひなた


■ご予約
カルテット・オンライン
https://www.quartet-online.net/ticket/hype-14



■あらすじ
デンマーク王子ハムレットは、父の死後、王位を継いだ叔父・クローディアスと、母・ガードルートの早すぎる再婚に絶望している。ある日、父王の亡霊が現れ、その死因が叔父の計略によるものだったと告げられる。ハムレットは固い復讐を誓い、日夜狂人を装い、クローディアス暗殺の機会を待つ。ハムレットの狂気と不信は、次第に周囲と自身を悲劇へと巻き込んでゆく。

■キャスト
田中健介…ハムレット
福井夏…クローディアス/ホレイショー
大田彩寧…オフィーリア/ガートルード
林揚羽…ポローニアス/レイアーティー
(以上 しあわせ学級崩壊)

  しあわせ学級崩壊によるシェイクスピア劇を見るのは「ロミオとジュリエット*1に続き2本目。 大音量のEDMの音楽に乗せて、セリフをラップのような抑揚でフレージングしていくのがしあわせ学級崩壊のスタイル(様式)ではあるのだが、もともとライトバースという韻文の一種で語られたシェイクスピアのセリフはこの形式によく乗って、疾走感を感じさせた。このスタイルで「マクベス」「オセロ」などシェイクスピアの別の作品も見てみたいと思った。
 4人の俳優が複数の役柄を兼ねながら演じるために少し分かりにくいところはある*2が、テキストは原戯曲通りにまともに上演すれば3時間以上になるところを上演時間1時間に収めているため、大幅にカットされている場面が数多くある。とはいえ、前半部分はほぼ原戯曲の通りの物語として上演されるために大音量の音声空間でかならずしもセリフが聞き取りやすいとはいえない観劇環境ではあるが、「ハムレット」の筋立てをある程度知っている人であれば、セリフの流れを掴み取るのはそれほど困難なことではなかった。
 ただ、後半部はかなり今回のしあわせ学級崩壊オリジナルの解釈が入り込んでいるように見えてその分分かりにくい。ただ、上演としてはそこが興味深く思われた。本来「ハムレット」では唯一のヒロイン役とはいえオフェーリアは物語中盤で悲劇的ともいえる死を迎え、クライマックスシーンには出てこないのだが、今回のバージョンでは物語上の死後もハムレットにまとわりつくようにして、死霊あるいは怨霊的なものとして、舞台内に存在しており、ハムレットが物語結末に向かって、父王の仇をとるために復讐を試みるというよりも、レイアティーズとの決闘など自らが自滅していくような行動をとることの裏にはオフェーリアやその父ポローニアスに対する無慈悲ともいえる行為のため、破滅に向かってレミングの群れのように突き進んでいくことにはハムレットに付きまとう霊的存在がそう仕向けているからという風にも見えるのが今回の舞台の特徴だ。そして、そうした魔力も持った霊的な存在としてのオフェーリアを見事に演じた大田彩寧の演技がきわめて魅惑的であった。

この日の上演は高田馬場の録音スタジオを会場に行われスタンバイパフォーマーはそこに立ってマイクを持ってセリフを語るということになる。
 この場合、観客はその内側に自由に陣取るということになる。そこに音場のような空間が出来ているといいのだが、このスタジオは狭すぎるために音がぶつかりあって喧嘩してしまっていたからだ。 

 前回のシェイクスピア公演「ロミオとジュリエット」のレビューで上記のようなことを書いたが、録音スタジオが今回は中野サンプラザの地下にある施設だったことを除けば会場についての印象としてはほぼ同じようなことを感じた。ただ、「ロミオとジュリエット」では俳優が全員ゴーグルのようなものをつけていたため、表情や顔が分からなかったが、これだけの轟音のなかで演技を行うということになれば表情や顔は大きな武器になるし、特にこの劇団は福井夏(クローディアス/ホレイショー)や大田彩寧(オフィーリア/ガートルード)ら意志の強そうな目力を感じさせる女優がいるだけに顔を見せなかった前回の演出は大切な武器を自ら封印してしまった感が強く、「ハムレット」の方がこの劇団の魅力がストレートに伝わりやすいような内容となっていたと思う。
 会場ということに関しては前回公演でクラブ会場やライブハウスなどの方が適しているのではないかと書いたが、今回はライブハウスに会場を変えての公演も見ることができそうなので、感想はその後にも書きたいと思う。

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:男優の田中健介はハムレット役だが、残りの3人の女優はいずれも複数の役柄を演じ分けている。

更級日記考―女性たちの、想像の部屋@市原湖畔美術館

更級日記考―女性たちの、想像の部屋@市原湖畔美術館


【展覧会概要】
会期:2019年4月6日(土)~2019年7月15日(月・祝)
開館時間:平日/10:00~17:00、土曜・休前日/9:30~19:00、日曜・祝日/9:30~18:00
(最終入館は閉館時間の30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
料金:一般800 (700)円/大高生・シニア(65歳以上)600(500)円。
()内は20 名以上の団体料金。中学生以下・障害者手帳をお持ちの方とその介添者(1 名)は無料。

【展覧会について】
いまから1000年前の平安時代上総国〔現在の市原市〕に暮らす13歳の少女、菅原孝標女が京の都、そして源氏物語の世界にあこがれるあまり綴り始めた日記― それが「更級日記」です。日記文学の古典として名高い「更級日記」は、現実世界の暮らしに一喜一憂しながらも、少女時代の物語世界への夢を抱き続けた、ひとりの女性の約40年が綴られています。その世界観は現代に生きる女性の共感を大いに呼ぶことでしょう。女性たちによる「日記的表現」のもつ記録、創作、想像の世界とはいったいどんなものでしょうか? 本展では、「更級日記」を出発点に12組の女性アーティストによる多様で、独自で、そして親密な、想像の世界を紹介します。

【参加作家】50音順
碓井ゆい、UMMMI.、大矢真梨子、今日マチ子荒神明香、鴻池朋子
五所純子、小林エリカ、髙田安規子・政子、光浦靖子矢内原美邦、渡邉良重
【関連イベント】
市原湖畔美術館 企画展「更級日記考―女性たちの、想像の部屋」関連イベント
『日々』ーミクニヤナイハラプロジェクトー

作・演出:矢内原美邦/出演:橋本和加子・八木光太郎/映像・美術:高橋啓

会場:市原湖畔美術館 企画展示室内、多目的ホール

定員:各回30人

 古典日記文学更級日記』に着想を得た、女性アーティストによるグループ展である。『更級日記』は、平安時代中期の日記文学で著者は菅原孝標女。日記とはいうが、リアルタイムの日記ではなく、彼女が13歳の時から始まり、宮仕えや結婚を経て、夫との死別までの約40年の、女性の半生をいわば回想録のように和歌を交えて綴っている。特に源氏物語に強く憧れた少女時代の描写が魅力的で、現実世界の暮らしに一喜一憂しながらも、物語世界への夢を抱く世界観は、現代に生きる女性の共感を呼ぶとともに、「日記」の面白さを伝える。
 展覧会では「日記」をモチーフに、アート、デザイン、 マンガ、お笑い、ダンスなど、多様な分野で活動する女性の表現を紹介。参加作家は、碓井ゆい、UMMMI.、大矢真梨子、今日マチ子荒神明香、鴻池朋子、五所純子、小林エリカ、髙田安規子・政子、光浦靖子矢内原美邦、渡邉良重の12組。

リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『カガクするココロ』@こまばアゴラ劇場

リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『カガクするココロ』@こまばアゴラ劇場

作・演出:平田オリザ フランス語翻訳:マチュー・カペル
(1990年初演)*科学シリーズ第1作
フランスの某国立大学の生物学研究室。
類人猿の成長過程を操作し、猿を人間に進化させるという壮大なプロジェクト「ネアンデルタール作戦」が準備されている。この研究室に集められた様々な分野の研究者、学部学生などによって遺伝子操作や分子化学の話題が繰り広げられる中、恋愛、就職、失恋による自殺未遂、結婚など様々な人間関係が展開していく。生命倫理という壮大な問題を抱えつつ、実生活のだらしなさが渾然一体となって、漂流していく物語。
今回は、初演から三十年、国内外で上演され続けてきた『カガクするココロ』を、フランスを舞台に翻案し上演する。そこには現代フランス社会を生きる若者の群像が鮮やかに描かれる。
[フランス語上演/日本語字幕付き]

『その森の奥』

島田曜蔵 申 瑞季 村井まどか 森内美由紀 佐山和泉 森 一生
キム·ヘヨン ファン·リハン チョン·テゴン ソ·ジウ ナム·ダソム キム·ソイ
ロマン·ベルトラン アシール·コンスタンタン エステル·デルヴィル ロール·デコン アントナン·デュフートレル イザベラ·オレクショフスキー


『カガクするココロ』

ガブリエル·アレ クレール·アンジュノ カンタン·バリフ マティアス·ボードワン ロマン·ベルトラン エレーヌ·セルル アシール·コンスタンタン エステル·デルヴィル ロール·デコン アントナン·デュフートレル ニナ·ファビアニ マリーヌ·ゴドン イザベラ·オレクショフスキー ニコラ·ヴェルディ

「カガクするココロ」は1990年初演の平田オリザの初期作品のひとつ。今回はリモージュ国立演劇センター付属演劇学校からの委嘱に基づき、舞台を現代のフランスの国立大学の生物学研究所に翻案して、再制作している。初演版には学部生の模擬講義のリハーサルの形で科学の進歩による人類の明るい未来が語られる。それはもちろん作者がそれをそのまま信じているというわけではなく、若干のアイロニー(皮肉)が込められているシーンではあるのだが、今回のフランス版ではそれが完全にカットされている。ひとつにはおそらく、フランスの大学のカリキュラムの中では日本版でやられた模擬授業のようなシチュエーションが生まれることが考えにくいということと、1990年時点ではまだある種の人々には楽観的に語られることのあった科学による明るい未来が一般人にとってさえ説得力を持つものとしては語りにくくなっているという時代の空気の変化があるのかもしれない。

劇団4ドル50セント スマホドラマ劇場版「あなたがいなくて僕たちは」@原宿駅前ステージ

劇団4ドル50セント スマホドラマ劇場版「あなたがいなくて僕たちは」@原宿駅前ステージ

総合プロデュース:秋元 康
作・演出:山崎彬(悪い芝居)
監修:丸尾丸一郎(劇団鹿殺し)

出演
湯川玲菜、前田悠雅、福島雪菜、谷口愛祐美、岡田帆乃佳、仲美海、立野沙紀、隅田杏花、田代明、樹亜美、堀口紗奈、乃々、中村碧十、うえきやサトシ

 山崎彬らしい舞台だった。この劇団は秋元康とエイベックスの松浦勝人の共同プロデュースということになっていて、それだけでも「ははーん」などと訳知り顔をする人が一定数はいそうだが、驚いたのは舞台自体は小劇場の若手劇団のような手作り感が満載で好感を持った。
 とは言うもののそうした枠組みならではのギミックはある。それは今回の舞台は「あなたがいなくて僕たちは」は同名のスマホドラマの劇場版として上演された。そしてそのドラマは劇団メンバー全員が本人役で実名で登場。劇団の実質的指導者でこれまで公演での作演出を務めてきた丸井丸一郎が突然亡くなってしまい、残された劇団員がそれぞれどうするのかというフェイクドキュメンタリーのような体裁のものとなっている。

青年団+韓国芸術総合学校+リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『その森の奥』@こまばアゴラ劇場

青年団+韓国芸術総合学校+リモージュ国立演劇センター付属演劇学校『その森の奥』@こまばアゴラ劇場

作・演出:平田オリザ 韓国語翻訳:イ・ホンイ フランス語翻訳:マチュー・カペル
(新作)
マダガスカルにある、架空のフランス国立霊長類研究所。
ここでは、フランス、日本、韓国の研究者たちが霊長類研究に従事している。
猿そのものを研究対象としている霊長類研究者と、猿を実験材料としたい心理学者、猿のテーマパークを創りたい観光業者などの思惑が入り交じり様々な対立が起こっている。背景には、日韓の歴史問題、あるいはフランスの旧植民地の問題、マダガスカル固有の歴史の問題があり、人間関係をより複雑にしている。熱帯のジャングルの中、終わりのない議論が続いていく。
[日本語・韓国語・フランス語上演/日本語字幕付き]

青年団国際演劇交流プロジェクト2019
『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』
作・演出:平田オリザ 韓国語翻訳:イ・ホンイ フランス語翻訳:マチュー・カペル
青年団、韓国・韓国芸術総合学校、フランス・リモージュ国立演劇センター付属演劇学校による国際共同事業。
日韓仏3カ国の俳優が出演する、平田オリザの最新作『その森の奥』と、
<科学シリーズ>より、全編フランス語で翻案し新制作する『カガクするココロ』、無隣館三期修了公演として、青年団有志と共に上演する『北限の猿』の3本立て公演。

 今回も上演される「カガクするココロ」「北限の猿」はかつて「バルカン動物園」も加えてサル学三部作と言われていた。この「その森の奥」はその続編ということができるが、実はこの作品の一部は「バルカン動物園」とも重なる部分が多くて、上演当時のバルカン半島の内戦状態を前提として作劇された「バルカン動物園」が現在はそのまま上演するのが困難になっていることに応じて、「森の奥」の改作に際して「バルカン動物園」の要素を入れ込んだのではないかと思った。
 多言語が行き交うような群像会話劇はすでに弘前劇場長谷川孝治が国際共同製作で何度も手掛けているのを見ているので、それほど目新しいとはいえないが、日本人、韓国人、フランス人が共同作業をしているサル学研究室は話題に登場するサルについてのエピソードが日韓やフランスの植民地政策の歴史にからんだ複雑な関係と重なりあうように描かれていく。

ダダルズ♯2『顔が出る』@SCOOL

ダダルズ♯2『顔が出る』@SCOOL

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作・演出 大石恵

出演
横田僚平(オフィスマウンテン)、大谷ひかる(三条会)、釜口恵太、永山由里恵(青年団

公演日時

7/4木 19:30
7/5金 19:30
7/6土 14:00/19:00
7/7日 14:00
7/8月 15:00

チケット

2,800円(事前予約・当日精算)3,300円(当日)

 いろんな演劇の中でこれまで何度もいたたまれない場面の描写を目にしてきたことはあるのだけど、この作品のはトップ3に入るような体験だった。こういうのだと大抵は耐えきれなくなる前に誘導路を用意しておいてそのいたたまれない感情の捌け口を笑いに昇華させていくのが普通なのだが、大石恵美さんのはそうでなくて、あくまでも絶対に逃がさないというばかりに俳優も見ている観客も追い詰めていくのが、これまで他ではあまり見たことがない面白さだ*1
 笑いはあまりないので、そういう感じはあまり受けないが、作品全体の構造はシティボーイズのコントとそっくりだ。シティボーイズでは一見して少しおかしな人(大竹まこと)に普通の人(きたろう)が巻き込まれてしまいひどい目に会う。そこに一見ではそれほど変でもない人(斉木しげる)が現れるが、実はそれがとてつもなく異常な人で彼の介入により状況はとめどなくエスカレーションしていく。
 ダダルズでは大竹まこと的な役割の「少しおかしな人」というのが、横田僚平(オフィスマウンテン)と大谷ひかる(三条会)の2人になっていて、この2人は付き合っているようなのだが、彼女(大谷)に借りた6万円を勝手に赤の他人である男(釜口恵太)にあげてしまい、それにもかかわらずカップルの男の方は「お金を返してほしい」という手書きポスターのコピーを壁に何ヵ所も貼り付けたり、それをネットにアップすることで炎上させたりしている。それが現在でふたりは別れようという話になっているのだが、この関係がどろどろでそれだけで相当に面倒くさい。
 そして、この面倒な2人の関係に金を返しに来た男(釜口)は巻き込まれてしまう。一刻もはやくその場から去り、逃げたくても逃げられない苦境に陥るというのが前半部分だ。こういう風に書くといかにもナンセンスコメディにありそうなシチュエーションにも思えてくるだろう。そして、普通はこういう関係性は道具として図式的に提示されることが多いが、ここでダダルズがそういうものと異なるのは横田と大谷の演技がこの2人の感情の揺らぎをまるで微分するかのようにこと細かく表現していて、特に横田の演技が演じている人の変さをステレオタイプな「変な人」としてではなく、コミュニケーション障害か別の理由かで意思の伝達が円滑にならない人のあり得るかもしれない一つの姿として提示してみせていることだ。
 これだけでも冒頭に書いたような「いたたまれない場面の描写」というのは十分すぎるほどなされている。ところがこの作品の凄さはここにさらに永山由里恵演じる本当におかしい人が登場することで、一触即発の空気感を醸し出してみせることだ。
  

*1:けっこう見るには体力消耗する。

第1回 劇カフェ 「能と天皇―儀礼としての能を考える」

第1回 劇カフェ 「能と天皇儀礼としての能を考える」

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本年度から「劇カフェ」と題し、AICT会員の皆様を招き、演劇についての専門的でわかりやすいトーク&レクチャー企画を行うこととなりました。

まず初年度は「演劇は天皇(制)をどう表現してきたか?」を年間テーマとし、第1回となる今回は「能」を取りあげます。
明治維新を境に、軍国主義化を進める日本国家に能が演劇としていかに関わったかに焦点を当て、第二次大戦時の新作『忠霊』『御軍船』や、皇室をはばかり上演自粛・停止した『蝉丸』と『大原御幸』の問題などを取り扱う予定です。

◎第1回 劇カフェ 「能と天皇儀礼としての能を考える」
トーク】小田幸子(能・狂言研究家・AICT事務局長)
【聞き手】山本健一演劇評論家・AICT会長)
【日時】2019年7月2日(火)18:30~20:30(予定)
【会場】座・高円寺 地下3階 けいこ場2(JR中央線高円寺駅北口 徒歩5分)
【参加費】一般=500円、AICT会員・学生=無料 ★事前申し込み不要

【問い合わせ】aictjapan@gmail.com
【主催】国際演劇評論家協会日本センター/シアターアーツ
【協力】NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺

 劇カフェはこの日聞き手も務めた山本健一国際演劇評論家協会日本センター会長による新企画で今回が第1回目となった。今回は能・狂言研究家である小田幸子氏がトークを担当。専門である能において戦時に禁止あるいは自粛された演目『蝉丸』『大原御幸』と新作能『忠霊』『御軍船』をつい通じて伝統芸能とそれが時の政治にかかわっていくさまが小田氏の解説と聴き手の山本会長の司会によって引き出されていったのは興味深いことではあった。
 実はこの劇カフェの企画については私自身もスタッフとして関わることになったのだが、この日はまさに学会での発表やシンポジウムのようにも見え、もう少しラフな感じの茶話会的なものを予測していた私としては来年以降メインで何かを発表することにもなりそうなのだが、少し困惑を隠せなかったのも確かなのだ。いずれにせよそれはまだ来年のことなので、これからこの劇カフェの内容としても適当な主題がなにかあるかを考えていきたいと思う。

「ポストゼロ年代演劇の新潮流  平田オリザを継ぐものたちvol.1 ゲスト山田百次」@SCOOL セミネールin東京

「ポストゼロ年代演劇の新潮流  平田オリザを継ぐものたちvol.1 ゲスト山田百次」@三鷹SCOOL セミネールin東京

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山田百次
【日時】2019年7月1日(月)p.m.7:30~
【ゲスト】山田百次(劇団ホエイ、劇団野の上)
【場所】三鷹SCOOLにて (JR中央線三鷹駅南口・中央通り直進3分 右手にある「おもちゃのふぢや」ビル5階)
【料金】前売:2000円
当日:2500円 (+1drinkオーダー)

セミネールに向けて


 平成が終わり、令和の時代が始まった。この機を捉えて個人的に「平成の舞台芸術30本」を選んでみた。その中で直近の10年に著しい活躍をした作家、演出家の作品も何本か選ぶことになったが、今回のゲスト、山田百次もそのひとりである。青年団の演出部所属、青年団の俳優である河村竜也とともに劇団ホエイを設立。昨年上演した「郷愁の丘ロマンピア」は岸田國士戯曲賞の最終選考にノミネートされた。出演した舞台の演技も高い評価を得るなど俳優としての存在感も増してきている。今回は山田百次をゲストにその舞台の魅力に迫っていきたい。
 私が平成の演劇の基点と考えているのが平田オリザの「東京ノート」だ。平田の影響力は及んでいるのはかならずしも平田と同じような現代口語演劇、群像会話劇の作家にとどまらない。「ポストゼロ年代演劇」の若手の作家たちにもそれぞれの立場で平田を継承しよういう気鋭の作家は登場している。セミネールでは今後こうした新たな動きを起こす中核となりそうな作家たちを取り上げていきたい。
 平田オリザと同様現代口語演劇の初期を牽引した劇作家・演出家に弘前劇場長谷川孝治がいた。今回取り上げる山田百次は俳優としてその弘前劇場に長らく所属して、演劇人としての礎を築いた。同劇団退団後上京。青森在住の女優らと立ち上げた「劇団野の上」での活動をへて、劇作家としての研鑽を積み現在は青年団演出部に所属している。
  「郷愁の丘ロマンピア」「喫茶ティファニー」など代表作では経済優先の戦後の日本のあり方から取り残されたような人々を取り上げ、現在共同主宰する「劇団ホエイ」は乳製品を作る際に搾りかすとして捨てられてきた「乳清(ホエイ)」が食品として再活用されるように辺境や周縁の地に光を当て、そこに埋もれていた出来事を掘り起こす劇を作ることを目指している。

【予約・お問い合わせ】
●メール simokita123@gmail.com (中西)まで 件名、山田百次とし、お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTELをご記入のうえ、 上記アドレスまでお申し込み下さい。ツイッター(@simokitazawa)での予約も受け付けます。
電話での問い合わせ
090-1020-8504 中西まで。

平成の舞台芸術30本

東京ノート 青年団 平田オリザ
三月の5日間 チェルフィッチュ 岡田利規
呼吸機械 維新派  松本雄吉
S/N ダムタイプ
ダーウィンの見た悪夢 上海太郎舞踏公司 上海太郎
月の岬 青年団プロデュース(松田正隆)
わが星 ままごと 柴幸男
3年2組 ミクニヤナイハラプロジェクト 矢内原美邦
家には高い木があった 弘前劇場  長谷川孝治
天守物語 ク・ナウカ 宮城聡


再生 東京デスロック 多田淳之介
カラフルメリィでオハヨ ナイロン100℃  ケラリーノ・サンドロヴィッチ
ファンキー! 大人計画 松尾スズキ
阿修羅城の瞳 劇団☆新感線  いのうえひでのり
じゃばら 遊気舎 後藤ひろひと 
非常怪談 ジャブジャブサーキット はせひろいち
サマータイムマシン・ブルース ヨーロッパ企画
愛の渦 ポツドール 三浦大輔
耳をすませば シベリア少女鉄道 土屋亮一
It was written there 山下残


Finks レニ・バッソ 北村明子
四谷怪談 木ノ下歌舞伎  木ノ下裕一・杉原邦あ
娘道成寺 きたまり(木ノ下歌舞伎)
フリル(ミニ) 珍しいキノコ舞踊団
夢+夜~ゆめたすよる~ 少年王者舘
あの日々の話 玉田企画  玉田真也
月と牛の耳 渡辺源四郎商店(弘前劇場)  畑澤聖悟
郷愁の丘ロマンピア 劇団ホエイ  山田百次
夕景殺伐メロウ デス電所 竹内佑
スチュワーデスデス クロムモリブデン 青木秀樹

(順不同、同一作家は2本選ばず)


山田百次一人芝居「或るめぐらの話」

オフィスコットーネプロデュース「夜が摑む」大竹野正典没後10年記念公演 第2弾 第29回下北沢演劇祭参加作品

山田百次の演劇世界「ポストゼロ年代演劇の新潮流  平田オリザを継ぐものたちvol.1 ゲスト山田百次Web講義準備」@三鷹SCOOL セミネールin東京

「ポストゼロ年代演劇の新潮流  平田オリザを継ぐものたちvol.1 ゲスト山田百次」Web講義準備@三鷹SCOOL セミネールin東京

【日時】2019年7月1日(月)p.m.7:30~
【ゲスト】山田百次(劇団ホエイ、劇団野の上)
【場所】三鷹SCOOLにて (JR中央線三鷹駅南口・中央通り直進3分 右手にある「おもちゃのふぢや」ビル5階)
【料金】前売:2000円
当日:2500円 (+1drinkオーダー)

青年団周辺の作家たち

 日本の現代演劇の新たな動きはほとんどが平田オリザの率いる「青年団」周辺から出てきているのではないかと考えています。2008年から17年までの10年間を見ても新人劇作家の登竜門とされる岸田戯曲賞受賞者を前田司郎(08)、柴幸男(10)、松井周(11)、岩井秀人(13)と4人を劇団関係者から輩出。さらに受賞には至ってないもののそれ以降も毎年のように青年団からは最終候補に複数の作家が名を連ねています。今回取り上げた山田百次も「郷愁の丘ロマントピア」が今年の岸田戯曲賞最終候補に選ばれていて、その年には青年団演出部からは松村翔子(モメラス)も最終候補に名を連ねて*1います。
 各種戯曲賞の受賞(せんだい短編戯曲賞に綾門優季が第1回、第3回、柳生二千翔が第4回受賞、AFF戯曲賞山内晶が第18回受賞、高山さなえ近松賞受賞、大池容子が北海道戯曲賞など) も相次いでいます。これまでもひとつの劇団が複数の劇作家を生み出した例はありましたが、多くの場合複数の書き手がいる時期はあってもそれは過渡的なものでした。現在の「青年団」のようにいわば孵化器として新たな劇作家・演出家を生み出すためのシステムを持っている劇団はありませんでした。
 青年団は前田、柴、松井、岩井らを継ぐ世代にも数多くの俊才を抱えています。そのなかにはかなりのキャリアを持つ中堅作家からポストゼロ年代以降に登場した新鋭までがおり、次世代の才能がしのぎを削っています。中でも私が現在注目しているのが「青年団リンク ホエイ」の山田百次(やまだ・ももじ)です。プロデューサーの河村竜也(青年団俳優部)と劇作家・演出家・俳優の山田百次(青年団演出部・劇団野の上)によるプロデュースユニットで「郷愁の丘ロマントピア」上演の後に青年団から独立して「ホエイ」となっています。
 山田百次は2015年から青年団演出部に所属しているが、元来は青森県の劇団である弘前劇場の出身で。弘前劇場は地方の一小都市に本拠を置きながら、海外公演でも高い評価を受けるなど全国レベルで見ても高水準の舞台成果を上げているきわめて稀な劇団です。その特徴は日常語としての津軽弁(地域語)を駆使する現代口語演劇であること。作演出を担当する長谷川孝治は平田と並ぶ現代口語演劇の騎手であり、山田はそこでつちかってきた日常語としての地域の言葉の活用に加え、地域語を表意だけではなく「もの」的に使用することや隠喩(メタファー)を多用することなどで、我々の世界の成り立ちを多層的に再構築する独自の劇世界を確立しつつあります。

弘前劇場長谷川孝治

 実は山田百次が10年前に弘前劇場を退団し上京した際にそれを取材し制作したドキュメンタリー番組があり、今回は参考のためにその一部を見ていただきたいと思います。(後半あるものが映りますが、それは愛嬌ということで。)

その1 弘前劇場という劇団
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NHKドキュメンタリー「上京」から抜粋
simokitazawa.hatenablog.com
その2
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その3
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 約10年前に上京し弘前劇場を退団した女優らとともに「劇団野の上」を設立し本格的な劇作を開始しました。その活動ぶりが青年団で中心俳優だった河村竜也の目に留まり、彼らは2013年12月に青年団若手自主企画 河村企画として北海道三部作の最初の作品となる「珈琲法要」を上演し、その後のホエイにつながる活動を二人三脚で始じもました。

劇団ホエイの非日常系作品群

 劇団ホエイには大別すると2つの系譜の作品があります。ひとつは社会の周縁で起こる非日常的な出来事を描いていく作品群です。一昨年(2017年)に上演された「小竹物語」は非日常系作品の典型で、公演会場となった小竹向原にあるアトリエ春風舎を舞台にこの場所から怪談をネット配信する怪談師らを登場させて、そこで起こる怪異譚を描き出しました。
作品冒頭で河村竜也が演じる高橋という男が「私はもうすぐあちらの世界(と舞台方向を指す)に行ってしまいますが、またこちらの世界に戻ってくるかもしれません。その時はどうぞよろしく」と客席の中央部分に設けられたネット配信の中継ブースの中から、客席に向かって話しかけます。最初に見た時にはただの前説だと思って、その意味するものをうっかりして見落としていましたが、実はこの部分が非常に重要なのです。
 「小竹物語」は通常交わることがない「あちらの世界」と「こちらの世界」を対比させ、その境界を揺さぶろうとします。この場合「あちら」はまず舞台であり、「こちら」は客席です。舞台とは役者たちが演じている「作品の劇世界」のことであり、それが「客席側の現実」と対比されます。
 「小竹物語」では劇場から怪談イベント「小竹物語」をネット配信しようとしている怪談師たちが描かれていますが、劇中のイベントで語られるという体で観客である私たちは「怪談」を見ることになります。本当に怪談イベントに参加している場合なら目的はあくまで「怪談」であり、さらに言えばそこで語られる怖い話を体験すること自体が目的となります。
 「怪談」にはいろんなタイプの話がありますが、多くの場合、この世にありえないような種類の怪異が語られます。実際の怪談イベントでも「怪談」(あちら)とそれを語る「怪談師」(こちら)というあちら/こちらの二重構造はあります。けれども「小竹物語」では「怪談語り」もそれを語る怪談師もともに俳優が演劇の一部として演じていて、観客である我々はそれを舞台の外側から俯瞰してみるという構造となっています。
 劇中では「死んでいる」(あちら)と「生きている」(こちら)という2つの状態も対比されます。劇中で高橋は量子論などを引用しながら、「生」と「死」はどちらも量子の振動の状態であり、「それは別々のものではなく、つながっている」と語るのですが、それがこの劇の後半に起こる大きなパラダイムシフトの伏線となっているのです。「小竹物語」の後半部分では外部からの正体不明の闖入者として山田演じる謎の男が登場して最後には河村演じる高橋を殺してしまう。つまり、冒頭の高橋の「私はもうすぐあちらの世界(と舞台方向を指す)に行ってしまいますが、またこちらの世界に戻ってくるかもしれません」という「あちら」という言葉はここでは「死の世界」も指しているダブルミーニング(二重の意味)になっていたのです。
 このように作品外部の人間が作品に介入していくという構造は実は「郷愁の丘ロマントピア」の山田百次が演じる演技にもつながっています。そういう意味では「小竹物語」と「郷愁の丘ロマントピア」はまったく作風の違う両極端の作品にも見えますが、実は手法的には呼応するような部分もあるのです。
 今年(2018年)の夏に再演された「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」もやはりそうした系譜の作品です。田舎の中学校の分校を舞台にそこで引き起こされる集団ヒステリーを描き出されています。
 「雲の脂」では全国から捨てるに捨てられぬ念の詰まったモノたちを一手に引き受けているある辺境の神社を舞台にその没落を現代の日本の滅びの形と重ね合わせました。これらが非日常系の作品群です。

「北海道三部作」で描く周縁の悲劇

 もうひとつの系譜が北海道に題材をとった歴史劇「北海道三部作」と呼ばれるシリーズです。「郷愁の丘ロマントピア」はこちらに含まれます。
 津軽藩士大量殉職事件を描いた「珈琲法要」が「北海道三部作」の第一弾。これは同劇団の出世作で1807年に北海道のオホーツク海沿岸の極寒の蝦夷地で多数の津軽藩士が病に倒れた亡くなった歴史上の悲劇を現代口語津軽弁で描きました。これまで札幌での二度の上演や韓国公演でも好評を博しています。
 「麦とクシャミ」はホエイの歴史劇第2弾。こちらは太平洋戦争末期の昭和新山誕生の顛末が題材で「珈琲法要」に続き北海道を舞台に歴史上に埋もれた史実を掘り起こして舞台に仕立て上げました。逞しい女優3人(中村真生、緑川史絵、宮部純子)の存在感が魅力的な舞台で緊迫した状況にもどこか呑気な男たちも登場。戦争に天変地異というシリアスな主題をペーソス溢れるタッチで描き出しました。舞台ではこの地に日本各地から流れ込んできた人々が暮らしているという状況を設定し、京都、岩手、広島の異なる地域言語が同じ舞台で共存するカオスな場を描き出し、ここに満洲から戻ってきた陸軍軍人を配し、彼にノモンハン事件のことを語らせました。こうした仕掛けで北海道の寒村で起こった珍事と戦時の大陸の状況を二重重ねにして見せていく。その手つきは鮮やかなものでした。
 これらはいずれも純然たる歴史劇であり、登場人物が話す地域の言葉(方言)が交錯するものの戯曲の構造はリアルタイムで進行する群像会話劇で、平田オリザ流の作劇を思わせるところがあります。それに対して「郷愁の丘ロマントピア」では夕張の炭鉱町を舞台に、数十年にわたるその盛衰をそこで働く男らの人生をからめて群像劇として描きだし、より大きな歴史的な時間の流れを射程に入れる新たな作劇手法を開拓しました。北海道三部作はこれで完結したが、今回開拓した手法はホエイならびに劇作家、山田百次の創作活動に新たなフィールドをもたらすことになるかもしれない。
 舞台では男らが80~90歳代にならんとする現代から、炭鉱でバリバリと働いていた若かりし時代までを時代は交錯しながら役者たちによって瞬時に演じわけていくのだが、観客がそれを不自然ではなく受容できるのは導入部で上演のルールが示されるからだ。まず登場人物は俳優によって完全にリアリズムで演じるというわけではありません。先述した「××が演じる○○」が中間項として入り込んでいるのが「郷愁の丘ロマントピア」の作劇の特徴なのです。ここで 描かれるのは「大夕張」と呼ばれている地域です。夕張市には北炭(夕張鉱業所・平和鉱業所)・三菱(大夕張鉱業所)の3つの炭鉱があったが、現在の夕張市街地はすべて北炭があった地区である。これらの地域は同じ夕張市内といっても離れた場所(20キロ程度離れている)にあった。三菱合資会社大夕張大夕張炭鉱のあった大夕張地区は全盛期には2万人近くの人口をかかえていたが、廃坑とともに人口は激減した。現在はダムの完成にともないかつての市街地はほとんどシューパロ湖の底に沈んでしまった。劇団のホームページには「いま、町を弔う。」の煽り文句もあったが、この「郷愁の丘ロマントピア」はその意味で国策の犠牲となって湖の底に消えていったいまはない町への鎮魂歌といってもいいのかもしれない。
劇の冒頭、前説に山田百次が現れる。彼は「本日は青年団リンク ホエイの公演にご来場、まことにありがとうございます」と観客に向け挨拶する。続いて「皆さん夕張市はご存知ですか?」などとこれから始まる芝居の概要を話し出す。そのままニット編みの帽子をかぶり、「申し遅れました。わたくし山田百次が演じる今回の役名は鈴木茂治と申します」などといい最初は自分が演じる役の人のことを「彼は」などと三人称で説明するのだが、「彼は御年92となりました」などといいながらいつのまにか腰をかがめた老人の演技に入っている。演技スタイル自体は例えば意図的に平板なセリフ回しを多用するマレビトの会などとは違って、普通の会話口調に近いが、この舞台では「登場人物は○○」というだけではなく、登場シーンで「松本亮演じる加藤謙三が来ました」と他の俳優のセリフによって説明されることで「俳優、××が演じる○○」という二重性がたえず呈示される。この導入部で山田はこの上演におけるルールを観客の前に提示していく。この舞台の主要登場人物は茂治と謙三のほか、地元で写真屋をやっている片腕の中村三郎と孫娘に車いすを押されて出てきた島谷紀男の4人。この二人も最初の登場シーンではいずれも茂治演じる山田自らの口から「やっときたのは河村竜也演じる中村三郎85歳」「武谷公雄演じる島谷紀男86歳」とそれぞれの現在の年齢とそれを演じる俳優の名前が紹介される。実はこれも前述したように観客に役柄とそれを演じる俳優の二重性を絶えず意識させ続ける狙いがある。舞台上の俳優は老人の声色を真似てまで老人のような演技をするわけではないが、こうした意識づけにより、俳優のちょっとした姿勢の違いだけで、それぞれの俳優が老人なのか、若者なのかを認識できるようになる。
 チェルフィッチュ岡田利規は「三月の5日間」で役と俳優の分離を方法論的に提示し、後に続くポストゼロ年代演劇の作家たちに大きな影響を与えたが、俳優と役柄の二重性を可視化していくようなホエイの演技法もその延長線上にあるといえるかもしれない。
 この作品では暗転や照明の変化などもいっさいないままに時空が次々と転換する。老人たちが昔のことを回想する会話の最中に両腕がまだある若き日の三郎が突然登場したり、車いすの紀男が帽子をとって立ち上がるような比較的分かりやすいきっかけで一瞬で時空が転換することが何度か繰り返されたうえで、中盤以降はそうした場面転換のルールが観客にも浸透したかと判断されて以降はもっと無造作に融通無碍に時空の転換が行われることで、平田オリザ流の一場固定の現代口語劇では描写することが難しい、戦後すぐから高度成長時代をへて、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていく歴史の流れを描き出した。
 山田がその経歴からしても弘前劇場長谷川孝治青年団平田オリザの強い影響を受けていることは間違いない。ただ、90年代を代表する「関係性の演劇」の作家のなかでもこの「郷愁の丘ロマントピア」はもうひとりの重要な劇作家のことを思い起こさせた。それは桃唄309の長谷基弘である。もっとも長谷川や平田の場合とは異なり、おそらく山田は桃唄309の全盛時代を見ていないと思われるので、長谷と山田には直接的な影響関係はないのではないかと思われる。
 桃唄309の長谷基弘の作劇の特色は一場の群像会話劇が多い関係性の演劇に時空を自由な転換させながら場面転換させ、無造作につなぐ手法を持ち込んだことだ。「関係性の演劇」の多くの作家が一場劇ないしそれに近いスタイルだったのに対し、長谷は短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独自のスタイルを開拓した。時空を自由に往来する劇構造は従来、映画が得意とし演劇は苦手としてきた。それは映画にあるカット割りが、演劇にはないからだ。ところが、短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独特の作劇・演出の手法は映画でいうところのカットに準ずるような構造を演劇に持ち込むことを可能にした。演劇で場面転換する際には従来は暗転という手法が使われましたが、これを多用すると暗転により、それぞれの場面が分断され、カットやコラージュ、ディソルブといった映画特有の編集手法による場面のつなぎのようなスピード感、リズム感は舞台から失われてしまいます。これが通常、劇作家があまりに頻繁な場面転換をしない理由なのだが、これに似た効果を演劇的な処理を組み合わせることで可能にした。
 こうした手法で長谷は一場劇では描くことが難しい長い歴史の中での出来事や大きな共同体の中の群像劇を描き出してきた。長編新作「風が吹いた、帰ろう」(座・高円寺2016年)はこうした手法を駆使してハンセン病とその療養施設がある島・大島の歴史に迫った作品。「風が吹いた、帰ろう」は瀬戸内海に浮かぶ離島、ハンセン病元患者の療養所の島「大島」とその歴史をモチーフにしています。現地での綿密な取材を元にはしていますが、単純に歴史を再現したドキュメンタリー演劇ではないところが特徴。
 このような主題ではハンセン病患者らの遭遇した様々な悲劇的な状況に焦点をあてて描写しがち。ただ、それだけでは現代の我々にとっては「かつてあった悲劇」は歴史上の遠い出来事のようにしか感じられず、実感を持つことは難しいのです。長谷の作劇が巧妙なのは登場人物が「大島」数十年の歴史を担う島の療養所に暮らす患者たちの物語と並行してそれとは一見無関係なシェイクスピア劇を上演する劇団、現代の東京に暮らす人々とより私たちに近い複数の人物の描写が同時進行させていく。
 それらの人物は実は島の出来事と完全に無関係というわけではあ。登場人物の一人にはハンセン病のために戸籍から抜かれた祖母がいて、そのために縁談が壊れたことに後になって。この気が付きます。このように歴史上の出来事は「過去に終わったこと」ではなく、現在にも脈々とつながり、影を落としているんだということを描写してみせる。もうひとつの特徴はそれらの場面が単に現在・過去の出来事が交錯させて描くだけではないことです。リアルな筆致による現代口語劇とダンスや劇中劇など異なる位相にある描写を取り混ぜ、それを積み重ねていくことで「現実の重層性」を再構築しようと試みています。例えば老女となった元患者が島での出来事を回想するシーン。ここでは回想を語るだけでなく、彼女がまるで演出家のように振る舞い、周囲にいる人たちを当時そこにいた人物として配役していき、さらに演技指導なども行う。こうした「メタ演劇」の手法も取り入れることで、こうした当時の現実から様々な距離感をとる描写を複雑に組み合わせ演劇でしかできない「過去の再構成」をしているのだ。
 長谷の代表作が「私のエンジン」(1995年)で、これは戦争に政治的に巻き込まれていく若い芸術家たちの群像を描いた作品で、平田オリザらのいわゆる現代口語演劇では歴史を描くとしても例えば「ソウル市民」がそうであるように時代を象徴するようなある時点での切り取られた「1時間半」を描くということに限定されたが、長谷は時系列を自在に日常描写のスケッチ的な積み重ねていくことによって、戦争などの大きな歴史的な出来事を俯瞰していくことに成功。「私のエンジン」に続き、「この藍、侵すべからず」「五つの果実」と彼が戦争3部作と名付けた「歴史劇」を創作。現代の話、虚構の話なども組み入れられるなど構成はより複雑になっているが最新作「風が吹いた、帰ろう」も大きな意味で言えばこうした作品の系譜につながるものといえそう。
 90年代を代表する「関係性の演劇」の劇作家の中で平田の手法を受け継ぐ作家は数多い。長谷川が提示した地域言語についてのこだわりも小松台東の松本哲也ら受け継ぐ作家が出てきてはおり、広い意味では山田もそのひとりではあると思ってはいる。ただ、長谷はどちらかというと孤高の存在であり、類似の手法を追求した劇作家もこれまでいなかっただけに今回の「郷愁の丘ロマントピア」で山田が短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという手法を試み始めたことは今後長谷だけでは組みつくすことができなかったこの手法で描き出せる演劇の主題に新たな光が照射されそうで、今後のホエイの演劇が生み出す可能性が本当に楽しみで仕方ないのである。

ホエイ

Biography
2019年4月 ホエイ『喫茶ティファニー』東京公演
simokitazawa.hatenablog.com

2019年2月 『郷愁の丘ロマントピア』第63回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート
simokitazawa.hatenablog.com

2018年8月 ホエイ『スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア』東京公演
2018年1月 ホエイ『珈琲法要』札幌公演 《札幌演劇シーズン 2018-冬》
2018年1月 青年団から独立
2018年1月 青年団リンク ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』東京公演

2017年9月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』光州、ソウル公演《韓国》
2017年8月 青年団リンク ホエイ『小竹物語』東京公演
simokitazawa.hatenablog.com

2016年11月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』札幌公演 《TGR札幌劇場祭2016》
2016年10月 青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』津公演
2016年8月 青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』東京公演
 逞しい女優3人(中村真生、緑川史絵、宮部純子)の存在感が魅力的。緊迫した状況にもどこか呑気な男たち。戦争に天変地異というシリアスな主題をペーソス溢れるタッチで描き出す。1807年に北海道のオホーツク海沿岸で起きた、津軽藩士大量殉難事件を描いた「珈琲法要」に続き北海道を舞台に歴史上に埋もれた史実を掘り起こして舞台に仕立て上げた。
2016年3月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』七戸公演
2015年12月〜2016年1月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』東京公演
2015年3月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』新潟公演
2015年2月 青年団リンク ホエイ『雲の脂』
 青年団では今年から演出部に所属することになった山田百次(劇団野の上・青年団リンク ホエイ)の活躍も目立った。「雲の脂」は地方にある神社が舞台だ。江戸末期における蝦夷地での津軽藩士の悲劇を津軽方言を生かした会話劇で「珈琲法要」、東京を舞台に東京と青森の言葉を逆転させた「東京アレルギー」などこれまでの山田作品は津軽方言など地域の言葉を生かした作品が多かったがこの「雲の脂」ではそれを捨て、どこだという場所は特定されないが人里離れた田舎町の神社に起こるなんとも不可思議な出来事を描き出した。ただ、共通点はあってそれは作品がいずれも中央と対比されるような形で放置されたような周縁の出来事を描きだしていることでこの「雲の脂」でも忘れられた神社、その敷地にある廃物が捨てられいる池。いろんな意味が汲みとれそうな寓話的なエピソードを連ねて現代日本を戯画化していく。
2014年10〜12月 青年団リンク ホエイ『珈琲法要』津、稚内弘前公演
2014年7月 青年団リンクへ昇格
2014年3月 青年団若手自主企画 河村企画『スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア
simokitazawa.hatenablog.com

2013年12月 青年団若手自主企画 河村企画『珈琲法要』
simokitazawa.hatenablog.com


劇団野の上都道府2県ツアー「ふすまとぐち」三重公演宣伝用

10代より青森を拠点とする劇団、弘前劇場で俳優活動を始める。2008年から活動拠点を東京に移す。その後、津軽弁を多用する劇団野の上という団体を旗揚げ、作・演出・出演を行う。
2013年『東京アレルギー』で第19回劇作家協会新人戯曲賞、最終候補に入選。
2016年『珈琲法要』札幌劇場祭TGR2016最優秀作品賞受賞。
その他に津軽弁による一人芝居『或るめぐらの話』を全国各地で行うほか早稲田大学での講義での上演も行った。また俳優としてサンプル、てがみ座、小松台東、札幌座など客演多数。
平田オリザが主宰する劇団、青年団演出部所属。劇作家協会会員。

弘前劇場主要作品[編集]
(いずれの作品も地元および首都圏での公演は行われている)
「職員室の午後」(1992年、1993年(改訂版)、1995年、2006年)
「家には高い木があった」(1994年、1999年、2004年、2005年、2011年)
「茜色の空」(1996年)
「休憩室」(1997年、2008年)
アメリカの夜」(1998年)
「夏の匂い」(1998年、2006年)
秋のソナタ」(1998年、2002年)
「春の光」(1999年、2005年、2010年)
「冬の入口」(2000年、2001年、2007年)
「召命」(2000年、作・演出 畑澤聖悟)
「三日月堂書店」(2000年、2010年)
「月と牛の耳」(2001年・作・演出 畑澤聖悟)
「香水」(2001年)
「職員室5:15p.m.」(2001年)
インディアンサマー」(2002年、タイ+フィリピン+弘前劇場 国際共同作品)
「俺の屍を越えていけ」(2003年・作・演出 畑澤聖悟)
「あの川に遠い窓」(1999年、2003年、出演 山田辰夫・村田雄浩)
「今日もいい天気」(2003年・作・演出 畑澤聖悟)
「季節のはざま」(2003年)
「背中から四十分」(2004年・作・演出 畑澤聖悟)
「賢治幻想 電柱柱の歌」(2004年・作・別役実
「真冬の同窓会 」(2007年)
檸檬/蜜柑」(2008年)
「いつか見る青い空」(2008年)
「アザミ」(2001年、2002年、2009年)
「アグリカルチャー」(2009年)
「夜のプラタナス」(2010年)
「地域演劇の人々」(2010年)
「海辺の日々」(2011年)
「素麺」(2012年)
「最後の授業」(2013年)
「四人目の黒子」(2014年)

*1:いずれも残念ながら受賞は逃した