下北沢通信

中西理の下北沢通信

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KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム 〜カフカ第4の長編〜」ケラリーノ・サンドロヴィッチ作演出@KAAT

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム 〜カフカ第4の長編〜」ケラリーノ・サンドロヴィッチ作演出@KAAT

【作・演出】ケラリーノ・サンドロヴィッチ
【振付】小野寺修二 【映像】上田大樹 【音楽】鈴木光介

【出演】多部未華子 瀬戸康史 音尾琢真 大倉孝二 村川絵梨 谷川昭一朗 武谷公雄 吉増裕士 菊池明明 伊与勢我無 犬山イヌコ 緒川たまき 渡辺いっけい 麻実れい 王下貴司 菅彩美 斉藤悠 仁科幸

【演奏】鈴木光介(Tp)  向島ゆり子/高橋香織(Vn) 伏見蛍(Gt)  関根真理(Per) 


 この物語がカフカ的かどうかという観点に立てば、あまりカフカ的なテイストはないのではないか、というしかない。だが、きわめてケラリーノ・サンドロヴィッチらしさに満ちた作品ではあった。3時間を超える長さの上演時間でありながら、舞台自体も退屈することなく大いに楽しむことができた。
 作品がカフカらしく見えないのはこの物語(劇中小説)の主人公が女性であり、女性を中心に据えた作品がカフカにはあまり見当たらないからかもしれない。女性主人公の作品がないかどうかは確認できないが、少なくとも私が読んだものはそうではなかった。とはいえ、よく考えてみればこの舞台全体の主人公はカフカの第4の長編を出版して原稿料をもらおうと奔走する男(渡辺いっけい)の方でこの人物が行こうとする場所に行き着けずに必ず迷ってしまうこと(カフカの「城」を連想させる)とか、むしろこちらがカフカの小説の主人公的な人物と言ってもいいのかもしれない。
 一方でタイムスリップによって引き起こされるタイムパラドックスなどケラが好んで使う手法は数多く盛り込まれている。物語の筋立てとしてもカフカの伝記的な事実は十分に取材し、作品に取り入れられてはいる*1 ものの、パスティッシュとしてカフカの第四長編を捏造しようという意図はあまりなかったか、あるい最初はあったのかもしれないが、制作の過程でカフカらしさを追求するというよりも、物語をより面白く展開していく方向に傾いていったのではないかと思われた。
 作品そのものについては小野寺修二(カンパニーデラシネラ)の振り付けによる場と場のつなぎのシーンが素晴らしい。上田大樹プロジェクションマッピングや映像と相まって、カフカ=不条理の印象を色濃く舞台に醸し出した。小野寺は自身、SPAC「変身」を演出した
*2経験もあり、歪んだ現実というようなビジュアルイメージにはそうした経験も十分に生かされていたのではないか。カフカの演劇上演ではMODEのカフカ作品上演における井手茂太の集団演技振り付け
*3がいまでも印象に残っている(演出は松本修)が、今回の小野寺の仕事はそれに匹敵するものだったのではないかと思う。
 さらに今回は鈴木光介によるオリジナル楽曲を劇伴音楽に使い鈴木自身も含む生演奏のバンド演奏によって劇中で展開したが、これも舞台のトーンに大きな影響を与えている。俳優の演技に対する演出だけではなく、他にも舞台美術などこうした舞台におけるいろんな要素をうまく調整して完成度の高い舞台に仕上げていくことができるのが、ケラの最大の強みであるといえよう。

*1:以下Wikipediaより引用 カフカの晩年のエピソードとして、ドーラ・ディアマントより次のような話が伝えられている。ベルリン時代、カフカとドーラはシュテーグリッツ公園をよく散歩していたが、ある日ここで人形をなくして泣いている少女に出会った。カフカは少女を慰めるために「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだ」と話し、翌日から少女のために毎日、「人形が旅先から送ってきた」手紙を書いた。この人形通信はカフカプラハに戻らざるを得なくなるまで何週間も続けられ、ベルリンを去る際にもカフカはその少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形なのだと説明することを忘れなかった。

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com