下北沢通信

中西理の下北沢通信

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黒田育世・BATIK「おたる鳥をよぶ準備」@愛知県芸術劇場小ホール

 黒田育世は最近いくつかの作品で演劇との接近を試みたがBATIKの新作として上演された「おたる鳥をよぶ準備」(2012年11月1日愛知県芸術劇場小ホール)はユニゾンでの群舞を多用したひさびさに黒田らしいダンス作品といえた。冒頭近くでひとりのダンサーが叫ぶ。「私、ダンサーになるの!!」。それに呼応する黒田の「私も!!」。これは冒頭から終段まで何度ともしれないほど繰り返される。「おたる鳥」とは黒田育世の造語で「満ち足りて体が動き出すこと」ということだが文字通り「踊ること」そのものを主題(モチーフ)としている。
 黒田の作品にはコンテンポラリーダンスの作品としては上演時間が長いが、この新作は約3時間。しかもラストのパートを除いて、そのうちの2時間40分以上が一度の休憩もなしの上演だ。演劇とは異なり物語性が希薄なコンテンポラリーダンスで集中力が持続する生理的な限界を考えれば正直長すぎる。初演の静岡県舞台芸術センター(SPAC)舞台芸術公園の野外劇場はどしゃぶりの中での上演で夏とはいえ寒くて身体中冷え切ってしまうような過酷な体験となり集中力を維持することができなかった。愛知県芸術劇場小ホールでの再演は空調の利いた劇場内での公演で観劇環境は比較にならないほど向上したが、それでもいつ果てるとない繰り返しは正直言って苦痛な瞬間もあった。
 ただ、この舞台に限ってはそれは必要な時間でもあったかもしれない。それというのはその長い繰り返しを見てはじめてこの作品のもうひとつの主題である悠久の時間のなかでの「生と死」の繰り返しが見えてきたからだ。黒田が3・11の後に踊り続けることの意味を考え直した時に自然と生まれてきたのがこの主題。つまり、太古の昔から私たちは踊り続けてきたし、これからも踊り続けていくだろう。そういう悠久の歴史のなかで私はいて、どのような絶望の淵でも踊り続けてきたからこそダンスは今あるんだ。黒田のダンスへのストレートな思いが浮かび上がってくるように感じられた。