下北沢通信

中西理の下北沢通信

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岩下徹×東野祥子×斉藤徹「即興セッション」(2日目)

岩下徹×東野祥子×斉藤徹「即興セッション」(アートシアターdB)を観劇。
 前日の日記で横浜で別のダンスを見るので、この日は見られない、と書いたのになぜこの公演を見ているのか。横浜のダンスとは横浜BankARTでこの日あった公演(手塚夏子+ほうほう堂)のことなのだが、これはどちらもぜひとも見たい注目の公演であった。ところが……起きられなかったのである(泣)。2日間連続の観劇で疲れていたのだろうか。この日は起きたら、すでに2時をまわっていた。実は前日も行くはずだった京都のベトナムからの笑い声の公演を寝過ごしていけなかったし……。
 ただ、公演そのものは横浜行きを逃したことがまったく惜しくないほど、素晴らしいものであった。初日と同じく、前半・後半それぞれ30分づつの即興、途中休憩15分だが、2日間を続けてみると、即興でありながら、まるで全体として首尾一貫した2人の男女の関係性の変化を描いた一編の長編ドラマのように見えた。
 前半は岩下徹と斉藤徹がまず舞台上に登場し、斉藤の演奏による岩下のソロから始まる。
その次が東野祥子のソロ。緊張も解けて、斉藤との息もあってきたのか、初日と比較すると動きも大きく伸びやかな開放感に満ちたダンスである。このソロの部分だけを少し見るだけでも、彼女がいかに卓越したダンサーであるのかということがある。そして、特にこの日の踊りではそれが超絶技巧のテクニックだけにあるのではなくて、身体全体から表出されてくるエネルギーや細かい表情(顔だけじゃなくて、身体全体の)からそうだということがはっきり分かる。前半はこの後、再び岩下が出てきて、2人によるデュオで終わった。
 実は最初はベトナムからの笑い声もどうしても見たかったので、前半だけを見て京都に移動するつもりだったのだが、この日の前半部分を見たら、後半なにかが起こりそうな気がして、どうしてもここから離れるわけにはいかないという予感がして、どうしても続きが見たくなり京都行きは断念。そして、その予感は後半予測した以上の形で実現した。
 後半は斉藤の演奏に合わせての東野、岩下のダンス。この2人の即興は基本的には東野のダンスの流れを生かしながら、岩下がそれに随伴するような形で反応していくという形をとるのだが、この日は特にそうだが、それに対し東野がまた答えるというようなダンスの動きにおける対話のようなものが2人の間で成立している。だから、その瞬間での反応自体はすべて即興であるから、当然、偶然性の産物でありながら、全体としての大きな流れにはそれが一度起こってしまった後ではこうなるしかなかったという必然性の連鎖のようなものが感じられた。これはどちらも即興において、「いま・ここ」の状況について、常にセンシティブで共感する能力がある2人であるからこそ、成立したのだろうと思う。
 「即興はすぐれて関係性の産物」と昨日の日記に書いたがこの日の舞台を見てはっきりと感じたのは3人の出演者の関係性の変化である。一度、舞台を経験して、その後の打ち上げの席などで会話も交わしたということで、3人の間合いが前日に比べると確実に近づいているのが舞台を見ていてはっきりと分かる。東野、岩下は相変わらず舞台上で近づいたり離れたりを繰り返すが、特に近づいて踊る時の距離感や呼吸の合い方が前の日とは全然違う。
これは2日連続で見たおかげではっきりと感じ取ることができた。
 そして、舞台の最後の最後で、舞台上手に少し身体を丸めて横たわる東野の身体に背後からこわごわと近づいていった岩下が2日間の舞台で初めて触れる。岩下の動きは触れる本当の直前まで触れようか、触れまいかと躊躇するように小さく行きつ戻りつしたあと柔らかい触れるのだが、デュオのダンスにおいてこれほど相手の身体に触れる(コンタクト)という行為が衝撃的であり、新鮮な感覚に思えた舞台はおそらく稀で、この躊躇の最中に見ていて、「どうか触れてくれ。じゃないと、我慢できない」と思わされてしまい、岩下が触れて、それを触れ返すわけでもなく、東野がきわめて自然に受け入れた時に「この2日間のドラマ」は終わったと感じて、少しほろっと来てしまったのだ。
 こういう風に文章で書くと若干センチメンタルに聞こえるし、本来は資質としては挑発的な行為を好む東野としては今回の公演でこのような踊りをしたことはかならずしも本意ではなかったみたいだ*1ということを後から漏れ聞いた。
 私は個人的にはこの日の東野の踊りを魅力的と思ったが、彼女のダンスをクラブなどで見ている観客には遠慮しているようにも映ったようだ。うがった見方をすれば手だれの岩下のペースに巻き込まれて、手のひらの上で踊らされてしまったととれなくもない。
 ただ、「即興はすぐれて関係性の産物」である限りそれを無視して、クラブでのソロのように自分勝手にはじけるという選択肢は東野にはなかったと思うし、挑発を繰り返すことで弾けて、丁々発止のダンスバトルとなるようなものばかりが、即興ではなく、2人の関係性のなから普段とは違う顔が現れるというのも即興の面白さだと思った。
 
 
 

*1:あくまで、伝聞情報で本人に確認したわけではないことを断っておく