下北沢通信

中西理の下北沢通信

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林俊作FIRST Exhibition in OSAKA

林俊作FIRST Exhibition in OSAKA「画爆TERRO」HEP HALL)を見る。
 鮮やかなまでの色づかいの見事さと次々に絵に登場する怪物キャラクターのサイケデリックなイメージに圧倒された。1992年9月15日大阪生まれというから現在まだ13歳。それを考えれば凄い才能ということができるかもしれないが、そうじゃなくても才能のきらめきは感じさせてくれる作品で、今後彼がどんな作家に育っていくのか楽しみである。

『資本論』も読む

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植田正治写真集:吹き抜ける風

植田正治写真集:吹き抜ける風

植田正治の写真には以前から引かれるところがあって、東京都写真美術館で2月に開催された回顧展『植田正治:写真の作法』展には絶対に行くと思っていたのに会期を勘違いしていたこともあって、それが悔しくて、図録を兼ねていたと思われる写真集を写真美術館の売店で見つけ、購入した。
 芸術に関して古い新しいを言うのはなんだけれど、以前東京都写真美術館で「決定版!写真の歴史展10周年記念特別コレクション展『12人の写真家たちと戦争』」という展覧会を見た時にそこで取り上げられた同時代の作家、あるいはもっと若い作家と比べても、植田正治の写真だけが古色蒼然とはしてなくて、今撮られていてもおかしくない、と感じたからだ。
 「新しい」と書くと語弊がありそうなので、言葉を探すとそれは「現代」ということではなく、ある種の「普遍性」であり、その意味では「古典」ということも感じた。ところが、
その普遍がやはり同じく「写真における普遍」であり「古典」であるアンリ・カルティエブレッソンがそうではあっても、今見てそんなに新しくは感じないのはブレッソンが写真史においてその後の幾多の写真家に大きな影響を与え、その写真を今見る私たちにとってはブレッソンの意識は私たちの無意識のようなことが起こっているのに対して、植田はそうではなくて、写真史(特に日本の写真史に)において孤立したワン・アンド・オンリーの存在であったからかもしれない。
 そして、折に触れてはペラペラとページをめくりながら眺めているのだけれど、やはりいい。そうしたら、東京のギャラリー*1で今個展やってるのも発見したのだけれど、これも気がつくのが遅くて行けない。まじでいっそ鳥取植田正治写真美術館*2まで出かけようかという気分にこの写真集をながめているとなってきたのである。