下北沢通信

中西理の下北沢通信

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辻企画「愛−在りか−」@人間座スタジオ

[作・演出]司辻有香 [出演]山村麻由美 黒田政秀

日時:2010年12月10日(金) 14:00、19:00
             11日(土) 14:00、19:00
             12日(日) 14:00☆ 全5ステージ

 司辻有香は京都造形芸術大学出身の劇作家・演出家だが、若くしてOMS戯曲賞、京都芸術センターの演劇計画で立て続けに佳作を受賞。新進気鋭の劇作家として注目されていたのが、その後活動を実質的に中止して今回は4年ぶりの公演となった。その間に短い作品はよその劇団には書いていて、それが面白かったので注目していたのだけれど、実際に本人の作演出でその舞台を見るのはこれが初めてである。
 作者の精神的自画像を思わせるような女(山村麻由美)とその彼氏らしい男(黒田政秀)による2人芝居。女はどうやらかなり精神的に壊れた状態にあって、それが自ら言う「モノクロームの世界」に閉じこめられていて、そこからなんとか出たいともがき苦しんでいる。実は芝居の冒頭近くに俳優2人が全裸になってのセックスシーンがあって「これはいったい」と思ったのだが、ここには例えばポツドールに一時あったようなスキャンダリズム的なところはほとんどなく、それゆえに無防備でもあり、大丈夫なのかと考えこまされるところがあるのだが、こういう露骨な描写をしてもそれがポルノグラフィー風に嫌らしくならない。そこがなぜなのかをまず考えさせられた。
1人称描写などの主観表現が可能な小説と異なり、演劇は平田オリザが現象論に擬えたように通常は外部からの客観的な視点を通じて現象を描くことになるところにその特徴がある。ところがこの「愛−在りか−」が興味深いのは2人の男女とそれを外部の安全な地点から観察している観客としての自分が舞台の進行にしたがい揺らいでくるのだ。それは客観と考えていた現象にいつの間にか妄想や非現実が混ざりこんできて、しかもそれも最初は女の主観的描写の混ざりこみなどによる客観性の揺らぎにより、女の会話相手である男の実在性が次第に揺らいでくると仕掛けがあり、ここまではよくある手ともいえるのだが、後半は男の方が首を絞めて女を殺してしまうというような場面も出てきて、現実と幻想の境界線が消失してしまう。