下北沢通信

中西理の下北沢通信

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異端×異端(三東瑠璃・武井よしみち)@d-倉庫

異端×異端(三東瑠璃・武井よしみち)@d-倉庫

三東瑠璃『Matou』
武井よしみち+ブルーボウルカンパニー‘96
『I wish you were here 2018-sep 足が耕す表現の世界』

※4日、5日、両日ともに上記2作品、2本立ての上演


三東瑠璃 Mitoh Ruri

-ESQUISSE trailer- Ruri Mitoh
三東瑠璃は10年以上前にレニ・バッソ北村明子振付)のダンサーとして活躍しているのを何度も見ていて、柔軟かつ強靭な身体性は当時から特筆すべきものがあった。
その後、横浜ダンスコレクションで振付作品を見てはいるはずだが、それほど強い印象はなく、直近の舞台で見たのダミアン・ジャレ×名和晃平の作品*1だったが、それはほとんど動くオブジェでダンサーをどうこう論じることができるようなものではなく、まとまった形でのダンス作品を見るのはひさびさのこととなった。
 と書いてから実際に作品を見たら身体をオブジェとして見せるという意味ではかなりの共通項があり驚かされた。ただ、大きな違いもあり、それはジァレのが文字通りに「モノ」を思わせるのに対し三東のは身体の隅々までの細かなディテールの変容に魅力を感じることだ。
 この作品の最大の特徴は頭部を身体のどこかで常に隠れるような姿勢を取り続けることだ。頭のない(隠れた)胴体と手足は人間ではない、何か異形の生き物のように見える。ただ、三東のそれはやはりモノではなく、身体の一部でもあり、それなのに頭がそこにないと普通に頭が見える状態以上に身体のそれぞれの部分がそれぞれ表情を持つかのように見えてくる。
 このように身体の微細の変容のディテールを丁寧に見せていくような表現は従来、舞踏が得意とするところであって、これまで見た舞踊作品の中で類似な方向性を持ったものには室伏鴻の作品や彼の若き追随者である岩渕貞太の作品などが思い起こされた。三東は舞踏のメソッドでこれを創作したわけではないけれども、別の道を通って本来は舞踏系の作家が辿り着くべき境地に先に到着したようにも思われた。