下北沢通信

中西理の下北沢通信

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亜人間都市「東京ノート」@早稲田小劇場どらま館

亜人間都市「東京ノート」@早稲田小劇場どらま館

INTRODUCTION

​美術館に訪れた家族、学生、 絵画の寄贈者に学芸員、そして恋人たち…… ロビーを行き交う人々の小さな世界と、 その背後で広がる戦火。 複雑な世界を精緻なタッチで描いた平田オリザの傑作戯曲『東京ノート』を、20余年越しに上演いたします。
20人もの登場人物を演じるのは、わずか7人の俳優。 4半世紀ほどの時の隔たりと複数の役を

その身に抱えた俳優達が繰り広げる 世界観の対話劇!

​[出演]

石倉 来輝 木村 のばら 藏下 右京 長沼 航
畠山 峻 渕上 夏帆 本田 百音

※出演を予定していた木村のばらは体調不良により出演を断念せざるを得ず、代わって黒木洋平が出演いたします。​何卒ご理解いただけますよう、よろしくお願いいたします。

[脚本]
平田 オリザ

[演出]
黒木 洋平

​[美術・照明]
小駒 豪

[音楽・音響]
増田 義基

​[宣伝美術]
渡邊 まな実

[衣装]
石倉 来輝 藏下右京

[制作]
黒木 洋平 冨田 粥

東京ノート」という平田オリザ作品の最大の特徴は戯曲の中に登場して、戯曲の登場人物によって語られるフェルメールの方法論、つまり神の視点から離れて、レンズ(カメラオボスキュラ)によって切り取られて客観的に世界を提示するということがそのまま平田自身の現代口語演劇の方法論と二重重ねになるということであった。ところが亜人間都市による「東京ノート」はそうではない。この舞台では7人の俳優がすべての役を演じるが、それだけではない。
 もうひとつの特徴は当日パンフに「今回の作品制作には『演出家』が存在していません」「演技はそれぞれの俳優が決定権を持って作りました」「なので例えば演技体はまるで統一されていません」などとあるように舞台全体の印象は例えば平田演出の青年団の舞台が統一された世界として構築されているのに対して、バラバラなものが寄り集まってまるでパッチワークのようなものとなっているのだ。
 これは戯曲の中のように絵画に例えるとするとコラージュの手法で作られた現代絵画のようなもので、戯曲上の設計と実際に提示された世界は根本的にずれていて重なり合うことはない。実はそのせいもあって、この舞台は舞台に集中して、そこから内容的に何かを感じ取るというような感覚を持つことは困難であり、劇世界に集中できないという不快感がかなり長い間続いた。これはなにも戯曲の想定している演技と演出と実際の舞台がただずれていたからということではない。
 再び絵画に立ち戻って例を述べれば単純な写実ではなくても例えばその方法論が統一されたものであれば鑑賞者はその方法論を受け入れ、例えば印象派後期印象派キュビズムがそうであるように脳内で舞台で実際に提示されているものを脳内処理することで、一定のイメージを立ち上げることができる。演劇でいえば現在のマレビトの会による上演がそういうものであり、「東京ノート」というテキストが現在のマレビトの会的な演技体で上演されたならば慣れるまでに少し時間がかかるということがあったとしても、それなりに受容することはもう少し簡単であったのではないかと思った。
そうであるとすると個々の俳優の演技が同じ方法論により統一されていることはないけれども全体としてのトーンには何らかの調整がいるのではないか。細かく個々の演技を指定することはなくとも演出家の役割はやはり必要ではないかと考えた。 
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