下北沢通信

中西理の下北沢通信

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新連載)平成の舞台芸術回想録(1) 青年団「東京ノート」

平成の舞台芸術回想録(1) 青年団東京ノート


「平成の舞台芸術回想録」
と題して、ここ30年の間に上演され、私が体験した舞台を回想録の形で書き残したいと思う。第一回目として最初の1本に平田オリザ作演出の青年団東京ノート」を選び、ここから連載をスタートさせることにしたい。
東京ノート」とは?
 「東京ノート」は1994年青年団の本拠地であるこまばアゴラ劇場で初演された。平田オリザの代表作として彼の現代口語演劇と呼ばれる方法論が生かされる典型的な作品といえる。最初に見たのは初演時だが、作品で描かれていた美術館を国立国際美術館東京都現代美術館横浜美術館など実際の美術館で借景して上演したものも観劇している。そのため平田作品の中で観劇回数がもっとも多い作品となっているかもしれない。

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東京ノート

 平田オリザは私にとって個人的にも非常に重要な作家の一人だが、それは私がそれまでかなり長期間にわたって悩みながら考えていたことに対し、刺激的な気づきを与えてくれたからなのであった。どういうことなのかをごく簡略化していうと、それは「人間はいかにして意思の疎通が可能性なのか」という問いだった。
 数年間にわたって、ヴィトゲンシュタイングレゴリー・ベイトソン現象学言語学などの著書(日本でいえば柄谷行人の著書も)を貪るように読みながら、たどり着いたのが、意味を汲み取るというのは根本的にいかに言語化できるかに帰着するように思われる。しかし、頭の中身とそれを言語化したものの間には決定的な解離がある。ならば、思考内容を伝達すること、つまりコミュニケーションは本質的には不可能ではないかと考えて、袋小路に入りかけていた。だが、それを突破するきっかけを与えてくれたのが二人の演劇作家、平田オリザ上海太郎であった。*1平田オリザに関していえばそれは意思伝達におけるノンバーバルコミュニケーション(非言語的コミュニケーション)の重要さの発見であった。つまり、書かれた言葉は言葉そのものでしかないが、舞台のセリフ(あるいは現実の発話)は言葉そのものではなく、発話する時の発話者の表情や発話相手との関係性、第三者の存在の有無など言葉としてのセリフ以外の非言語的要素が決定的に重要であり、それは往々にして一致しないことも多々ある。平田オリザの演劇はそれを総合的に提示していくのだ。
 平田オリザの演劇について当時「静かな演劇」の呼称で呼ばれていたが、私はそれをあまり適切とは思わず、「関係性の演劇」と呼ぶようにしていた。登場人物の会話によって、人物間の隠された関係性を浮かび上がらせるものだったからだ。
東京ノート」と「東京物語
 「東京ノート」はまず第一に小津安二郎の「東京物語」を下敷きにして本歌取りのように作られている。「東京物語」が描いたのは戦後における新たな家族のあり方であった。印象的なのは広島に住む老夫婦(笠智衆東山千栄子)と東京のアパートに住む次男の未亡人(原節子)の関係性だった。

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東京物語
 「東京ノート」は「東京物語」の家族の関係性を現代に移設している。美術好きの長姉(初演からすべての公演で松田弘子が演じる)が年に1回の恒例の上京でやってきて、東京のある美術館のロビーで現在は東京でバラバラに暮らす兄弟姉妹がその時だけ集まって顔を会わせるという筋立てがメイン。
 ここで「家族とは何か」ということが提示されていくのだが、上京してきた姉とその妹、兄弟たちはそれほど親密というわけではない。姉が美術を見るのが好きで楽しみにしているため、会合の場所を美術館にしているが、彼らの会話の中から彼らが美術や姉の関心にそれほど興味がないことも分かってくるからだ。ただ、それでもここに集まるのは故郷に残してきている老いた両親の世話を独身の姉がしており、彼女に助けられていることにどこか負い目を持っているからだ。平田はこういうことをセリフで直接言うというのではなく、会話の断片の端々から次第に観客に分からせていく。
 平田オリザを描いたドキュメンタリー映画「演劇」にも取り上げられた重要な場面が3人の姉妹(ひとりは弟の妻で義理の関係)による会話である。故郷から上京してきた長姉(松田弘子)が美術館のロビーで妹・義妹と出会い、会話を交わすのだが、そのなかで3人の関係性やその背後にある問題がそれとなく提示されていく。この長女と義妹の関係はこの舞台の後半に夫との関係を解消して離婚することになるため、おそらくこれが彼女にとっての義姉と会う最後の機会になるだろうということが告白されて、それはこの「東京ノート」が下敷きとした「東京物語」と重ねあわされる重要な場面となるのだが、ここは一見さりげな会話を装いながらもそこにいく前のきわめて重要な場面となる。
 平田オリザの特色は発話の内容以上にその発話の時の全体的な様相から浮かび上がってくる言語外の関係の提示が重要で、そこにこそ彼の演劇の真骨頂はある。
フェルメールと平田演劇
 「東京ノート」のもうひとつの重要なモチーフはフェルメールの絵画である。劇中で美術館の学芸員の解説によりカメラオブスキュラの使用により、光の当たった表面を写しとるフェルメールの絵画手法が示される。実はこれが人間の内面ではなく、発話されたセリフによって関係性を提示する平田オリザの手法と二重写しになる構造が「東京ノート」にはある。
 実は作品の主題と作品の形式が呼応しているというのが平田オリザの演劇のもうひとつの特徴で、平田演劇に対し名付けた「関係性の演劇」の呼称は平田演劇によくあるこうした構造も含めてこう呼んでいるのだ。
東京ノート」と「三月の5日間」
 最近興味深いと思ったのは平田オリザの「東京ノート」と岡田利規の「三月の5日間」の提示する世界の構造が一致しているのに気が付いたことだ。この2作品は両方とも近景と遠景により構成されている。
  メインとなるのは家族の問題だが、それは孤立しているわけではない。「東京ノート」では前述した家族の物語が近景。ところが、遠景としてはヨーロッパでは戦争が起こっており*2、戦火を逃れるためにフェルメールの貴重な絵画が疎開しにきているという設定や美術館ロビーに並ぶ長椅子に休憩しにくる学生や学芸員、絵の寄贈者や兄弟家族といったさまざまな人物模様が、ときに同時進行する淡々とした会話によって描かれていく。
 「三月の5日間」に言及したのはここでは渋谷のラブホテルでセックスを続ける男女が近景と描かれるのだが、一方ではイラク戦争空爆について米国に抗議する若者たちのデモの姿やさらには渋谷のスクランブル交差点のニュース映像に映し出される空爆の様子が遠景と提示され、これが対比されるような構造となっていて、演劇自体のスタイルは大きな相違があるけれど、世界の切り取り方には共通点があることが気付かせられたのだ。
 実は遠景としての戦争は平田オリザの代表的なモチーフであり、「冒険王」(1996年)、「バルカン動物園」(1997年)へと受け継がれていった。
平田演出以外の「東京ノート
 「東京ノート」は平田以外の演出家の手によっても上演されている。代表的なのは多田淳之介演出によるもの*3だが、これを見ることはできなかった。
 平田以外の「東京ノート」上演で興味深かったのは矢内原美邦ミクニヤナイハラプロジェクト)によるものだ。ここではメインモチーフである家族の会話が3人1役で9人で演じられた。一人のセリフは3人で次々とリレーのように受け渡され、しかも重要なセリフを認識しやすくするためにそこだけループして何度も繰り返すような演出も施された。 平田演出の「東京ノート」では美術館のロビーが舞台で、その中央辺りには上手、下手2対のソファが置かれている。時折、その背後を人が通り過ぎていくことはあっても会話のほとんどはソファに座って交わされる。それに対し、矢内原版の舞台は何も装置がないフラットな空間でそこに20人もの俳優が登場。俳優たちは上手から下手、舞台奥から手前、そして時にはその逆に舞台上をある時は隊列を組んで、時にはバラバラに縦横無尽に駆け巡る。あるいは急に動いたと思うとピタリと止まるなどの激しい身体的負荷を受けた状態で、セリフは発せられ、そのセリフも時には速射砲のように素早いセリフ回しで、ある時は断片的なセリフを動きながら破片のようにばらまく。
 そんな風にばらまかれるセリフの多くは平田演出では背景として描かれていた欧州での戦争など「美術館のロビー」の外側の世界が、雑踏で発せられたかのように断片的に発せられることでより「いまここにある危機」として感じられた。ここでは前景と背景が図と地が逆転するように入れ替わり、初演の1994年にはあくまで近未来の出来事として語られた欧州での戦争が拡大し、そこに日本人の若者があるいは自衛隊員としてあるいはボランティア団体の職員として巻き込まれていく。バルカン紛争などをイメージした局地戦の拡大と現在のテロによる危機とはもちろん異なるものではあるが、ここでの世界の危機に巻き込まれていくという予感は94年より現在の方がよりリアルに感じられたかもしれない。そういう切実さがミクニヤナイハラプロジェクト「東京ノート」にはあったかもしれない。
レンブラントの絵を思わせる堀企画版
 最近では青年団の俳優である堀夏子演出による「トウキョウノート」がユニークで印象的だった。
 堀企画による暗闇の中の「トウキョウノート」は平田がこの作品内で取り上げたカメラオブスキュラを用いた光の作家であったフェルメールに対して、闇の中に浮かび上がる人物像を描き出したレンブラントの絵画のように見えた。
 光の当たった表面を写しとるフェルメールの絵画手法と人間の内面ではなく、発話されたセリフによって関係性を提示する平田オリザの手法が二重写しになる構造が平田オリザ演出版「東京ノート」の骨幹だとも考えていると前段に書いた。ところが堀夏子が再構築した今回の「トウキョウノート」にはそういう構造はない。
 代わりに浮かび上がるのは闇の中に朧気に見える人影だ。演出家の堀は照明で切り取られて浮かび上がる人物にフェルメールを重ねたようだが、冒頭に書いたようにそれはむしろ光と影の画家であるレンブラントの絵のように見えたのように見えたのである。
(4330文字)
simokitazawa.hatenablog.com

吉祥寺シアター東京ノート」二本立て
東京ノート・インターナショナルバージョン』 
 2020年2月6日(木)~16日(日)
 *日本語・英語字幕付き/7ヵ国語上演
 *国際舞台芸術ミーティングin横浜2020 TPAMフリンジ参加作品
 *上演時間:1時間55分

6日(木)19:00★
7日(金)19:00★
8日(土)14:00/19:00※
9日(日)13:00/18:00
10日(月)休演日
11日(火祝)13:00/18:00
12日(水)19:00
13日(木)14:00
14日(金)19:00
15日(土)14:00/19:00
16日(日)14:00

東京ノート』 
 2020年2月19日(水)~3月1日(日)
 *第39回岸田國士戯曲賞受賞作品
 *上演時間:1時間45分

19日(水)19:00★
20日(木)14:00/19:00★
21日(金)19:00
22日(土)14:00/19:00※
23日(日)13:00/18:00
24日(月祝)14:00/19:00※
25日(火)休演日
26日(水)14:00/19:00
27日(木)19:00
28日(金)14:00※/19:00
29日(土)14:00/19:00
3月1日(日)14:00


*受付開始は開演の60分前、開場は開演の20分前
★・・・終演後、平田オリザによるポストパフォーマンストークを開催


simokitazawa.hatenablog.com

*1:平田オリザの公演を追い掛けてプサンまで出かけたし、上海太郎の公演はロンドンまで追いかけた。上海太郎についてはこの連載でも後に取り上げたいと思う。

*2:時代は近未来の設定で、そこでは欧州全体に戦火が広がっているが、イメージとしては当時起こっていたバルカン半島での内戦があったと思われる。

*3:www.wonderlands.jp