下北沢通信

中西理の下北沢通信

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連載)平成の舞台芸術回想録(2) ダムタイプ「S/N」

連載)平成の舞台芸術回想録(2) ダムタイプ「S/N」

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「平成の舞台芸術回想録」の第1弾は平田オリザ東京ノート」を取り上げたが、続く第2弾ではマルチメディアパフォーマンスグループとして、現代のメディアアートの先駆けとなったダムタイプとその代表作である「S/N」を取り上げることにした。ダムタイプは3月末にロームシアター京都での19年ぶりの新作を予定している*1ほか、イタリアで開催されるベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館の出展作家に選ばれたことが発表されるなど、国際的な再評価の動きも今後ますます高まっていくのではないか。
 

Dumb Type - S/N
 すでに掲載した「平成の舞台芸術30本」*2において「ダムタイプをどうしても入れたいため、『演劇』ではなく『舞台芸術』というくくりにした」と記したが、同じ年(1994年)に上演された「東京ノート」「S/N」の2本こそが、その後30年間の日本のパフォーミングアート(あるいはもしかするとアート全般)の方向性を決めていく、里程橋になったと考えている。
ダムタイプ=「S/N」=古橋悌二の印象
 ダムタイプ京都市立芸術大学の学生劇団を母体に1984年京都で発足。その作品は美術やダンスなど多様な表現を横断するものであり、まずは現代美術関係者から高い評価を受けたが、その評価をパフォーミングアートから広い意味でのアート全般に広げてその評価を決定的にした作品が「S/N」だった。
ダムタイプの舞台は個人の作品ではなく、作品ごとに参加するメンバーが徹底的にディスカッションをすることで共同創作するのが特徴。そういう中で「S/N」は日本では社会的な問題としては取り上げられること少なかった同性愛者など社会的マイノリティーの問題を正面から取り上げて当時の観客に衝撃を与えた。
 この作品のメインのコンセプターであった古橋悌二がこの作品を掲げての世界ツアーの真っ最中にHIVエイズ)発症により、亡くなってしまうという大きな出来事があって、その以降ダムタイプ古橋悌二というイメージ*3が世間一般に広がった。
 私自身も「S/N」は2度生で観劇している。そのうち最初の観劇(横浜・ランドマークホール 1994年12月2-4日:第1回神奈川芸術フェスティバル)は生前の古橋悌二が出演しているバージョン。もう一度は彼が亡くなった後、追悼的な意味合いも含んで上演されたものだ。その時には古橋の登場した場面は映像で再現されていたのだが、後半テニスの審判席のような場所に古橋が座る場面で、無人の椅子にスポットライトだけが当たるという演出があり、クールな印象の強いこの集団の作品には珍しいことだが、今でもその時のことがフラッシュバックするほどの強いインパクトを受けた記憶がある。
ダムタイプと造形美
 もっともダムタイプの舞台を見てもっとも惹かれたのはそのたぐいまれな美しさであった。この「S/N」では作品を彩るモチーフとして何度も「生」と「死」をメタファー的にビジュアライズした場面が繰り返されるが、フラッシュライトのように点滅した光の中で白い壁面の向こう側にパフォーマーが落下していく場面の美しさはこの30年間見続けた幾多の舞台芸術作品のなかでも屈指の美しさであり、そうしたビジュアルイメージは30年をへた今現在映像で見ても微塵も古色蒼然を感じさせないほど新鮮なのだ。
 ダムタイプは上演された当時のことを知らない新しい若いファンを時折ある映像上映などを通じて獲得し続けている。当時最先端の表現と言われていた表現のほとんどが現在映像で見たらその魅力を失っていることが多いことを考えれば稀有なことと思う。
ダムタイプの魅力はなんといってもビジュアルや音楽などの面でのセンスのよさであり、京都市立芸術大学という東京芸術大学と並ぶ名門でアートのセンスを磨いてきた才能集団であることだと思う。以前、ダムタイプのことを「極めて京都らしい集団」と表現して周囲の人間に当惑されたことがあったが、メディアアートの先駆とされ、ハイテクパフォーマンスと呼ばれたこともあるが、池田亮司、高谷史郎らが中心となってデジタル技術が多用された後期の作品はともかく、「S/N」までの作品はハイテクノロジーのイメージは纏っているが、その内実は極めて工芸的で巧緻なアナログ技術を駆使したものである。そうした方法でまるで現代の電子技術を駆使したメディアアート(例えばライゾマティクス・リサーチ)と比べても何ら遜色のないビジュアルイメージを演出してみせたのがこの集団の素晴らしさであり、それは極めて京都的であると思うのだ。
 この「S/N」においてもそうした特徴は存分に生かされており、壁面にプロジェクションのように映し出される情報としての文字列は今なら当たり前であろうが、実は文字のフォントはすべて手仕事でデザインされレイアウトされたものを写真に撮り、静止画として映写している。先ほど印象的な場面として取り上げたフラッシュライトもそれ専門の装置は当時はなく、メンバーがカメラのフラッシュを同期させることで独自に開発したもので、こうした創意工夫が作品の中には無数に散りばめられていたという。そもそも映像の処理に当時パソコンなどのデジタル機器はほとんど使われていなかったようだ。
クラブシーンとダムタイプ
浅田のダムタイプ観ではほとんど触れられることはなかったと思うが『S/N』において重要だと思われるのはニューヨークのクラブカルチャー(特に音楽)との関係である。
 ダムタイプ音楽監督であった山中透は当時の音楽とダムタイプのパフォーマンスの関係を次のように語っている。

 日本にはその時点でほとんどクラブシーンがなかったので、大阪で活動していたシモーヌ深雪らも誘って、後の「DIAMONDS ARE FOREVER」のようなオーガナイズしたワン・ナイト・クラブなど夜の活動をはじめたのも当時のことでした。
 87年ごろにインドのゴアに行ったメンバーが持ち帰った音源でヨーロッパのクラブで最近こんなのがよくかかっているということを知り、それが後にニュービート、あるいはハウスと呼ばれるようになる音楽だったわけですが、何が起こっているのだろうと興味を持ったのです。それで88年にはニューヨークの公演中でもクラブに行っていたのですが、初期のハウスミュージック全盛の時代でした。いろんな曲をミックスして同時に流すと個別に聴いたのとはまったく別種の音が聴こえてくる。視点を変えると同じものでも見え方が変わる。そして今これをやっておかないとと思い「pH」でこれを試そうとしました。「S/N」で「アマポーラ」の曲に合わせて、爆音をかけているところも、そういうことの延長線上にあります。
 ただ、そういうことは舞台作品の場合あまり分かってもらえないことが多くて、音楽がたとえ先鋭化していってもあくまで舞台の一部としてしか受けとられていない。こちらとしては「pH」をひとつのライブだと思ってやっていた。しかし、いくらライブだと言ってもそう思って見てくれる人は少ないし、それまでの作品とは全然違う表現なんだということが分からない。結局、「pH」は2年以上ツアーをやってしまったのだけれど、それで内心もうダムタイプはいいだろうという風に思いはじめました。ツアーばかりで自分の作品を作る時間がないし、次第に集団にいる意味がないんじゃないかと考えはじめたからです。

  『S/N』でも古橋悌二ドラァグクイーンのメイクをしてリップシンクで「アマポーラ」を歌う極めて印象的な場面があるが、それはこういうコンテキストに基づいたシーンだったのである。同じクラブシーンでも東京と関西では大きな違いがあり、関西がドラァグクイーンなどゲイカルチャーとの関係で東京に先行したのにはダムタイプ周辺の人脈の存在と深い関係があった。

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演劇情報誌Jamciのダムタイプ特集
山中透インタビュー
simokitazawa.hatenablog.com
藤本隆行インタビュー
simokitazawa.hatenablog.com
高谷史郎インタビュー
simokitazawa.hatenablog.com

『S/N』
https://news.livedoor.com/article/detail/17954921/news.livedoor.com
(3)に続く
simokitazawa.hatenablog.com
www.tokyoartbeat.com

*1:残念ながらコロナ禍のため公演は中止となった。

*2:「平成の舞台芸術30本」simokitazawa.hatenablog.com

*3:このことについては浅田彰ダムタイプ観によるところが大きいと考えている。その後、メンバーとのインタビューを重ねていくなかで、この作品には集団創作ゆえの色んな側面が盛り込まれていることを強く感じた。