下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

ハナズメランコリー(HANAʼ S MELANCHOLY)「深奥と夢鬱 The Well」@アトリエ第Q藝術

ハナズメランコリー(HANAʼ S MELANCHOLY)「「深奥と夢鬱 The Well」@アトリエ第Q藝術

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井戸ーその奥深く潜む、鬱々とした夢を覗き込む。

ファンタジーとリアルを行き来する、果てのない迷路のような井戸に、あなたを誘います。

アダムとイブの時代から、人が翻弄され続ける自己と他者の性。

新進気鋭の2人のゲスト演出家を迎え、HANA’S MELANCHOLY初の短編集を上演致します。
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◆公演日程

2019年8月

16日(金)17:00 / 20:00

17日(土)12:00/15:00/18:00

◆作品紹介

プロスティ・ガール(演出:酒井直之)
出演:田中杏佳
日曜日の朝のテレビの主役、可愛い魔法少女に私はずっとなりたかった。そして、なった。魔法が使える魔法少女という意味ではない。丈の短い衣装を着て、テレビの前の男を興奮させ、また彼らという見えない敵に気づかない、本当の意味での、魔法少女になってしまった。それを世間は女と呼び、私は娼婦と呼ぶ。

ベッシー/アンド/ベッサー(演出:大舘実佐子)
出演:関谷:小川哲也、月島:角田萌夏
若手の女性作家、月島は戯曲講評を頼むために著名な劇作家 関谷を呼び出す。2 人の作家としての 共 通 点 は 〈女性蔑視〉が主な作品のテーマである事。男女の劇作家2人の会話の中に潜む、矛盾した日常レベルの蔑視を描く。

partially (演出:太田陽)
出演 渓美智、環、増田野々花、近藤まこと
私の3人目の恋人は人の記憶を消すことができる。だから、躊躇することなく私の1人目と2人目の恋人の記憶を消した。私は処女に戻り、初めてのキスの味も忘れてしまった。少しずつ、あなたが私の本物じゃない初めてを奪っていく。あなたの狂気的な独占欲と暴力について。

​​◆会場

アトリエ第Q藝術

https://www.seijoatelierq.com

小田急線「成城学園前」駅下車、中央口改札より徒歩3分


 劇作家一川華と演出家大舘実佐子によるプロデュースユニットがHANA’S MELANCHOLY。今回の公演では一川華が書いた短編演劇3本を大舘実佐子のほか外部から酒井直之、太田陽と若手演出家2人を招き、それぞれ1作品づつを担当させるトリプルビルの形式を取った。
 今回の作品に共通する主題がもしあるとすればそれは「女性」ということだろうか。「プロスティ・ガール」では少女時代にはテレビの魔法少女になりたかった女性が抱えるジェンダーの問題に切り込んでいっている。女性にとっての魔法少女は男性にとってのそれとはまったく違う関係性があるんだなというのが端的に面白かったが、魔法少女という存在が隠蔽している作品制作上の前提(男性にキャラクターが示す媚など)などをジェンダー論的に捉え直すといろんな論点が出てくるのだなと思った。しかも、それが魔法少女のよく考えれば際どいともいえる衣装を若い女優(田中杏佳)がまとって演じるのを男性である私が見るという構造のなかには多重のメタ性があり、そこが刺激的*1
 「ベッシー/アンド/ベッサー」では一転してともに劇作家である男女の駆け引きを描いたコメディーではあるが、最近何かと取りざたされている演劇界のセクハラ、パワハラ問題にも連想が広がっていく。ただ、これはセクハラ問題を正面から糾弾するという風にはなっていなくて、男性劇作家も女性劇作家も作品で書いている主題と言葉で述べている主張と実際の態度にそれぞれズレがあることがいくぶんコミカルな風味も入れながら書き込まれている。短編であるため、今回はスケッチ程度の描写にとどまっているが、これは日本では珍しい硬質なテーマを描き出すウエルメイドの喜劇として今以上に面白いものとなる可能性があるのではないか。
 3作品の中で一番作品としての可能性が感じられたのが最後の「partially」。恋愛相手の記憶を奪うという女性が登場して、それがなかなか興味深い。記憶を奪う謎めいた存在ということでは前川知大散歩する侵略者」のことを連想したが、このSF的趣向を生かすにはもう少しそういう存在がなぜいるのかについてのディティールが明かされているとより物語に入っていくことができるのにと思った。ただ、そのためにはこの短編の長さではそれを書き込むのは難しい。さらに言えばこれがいずれも女性を恋愛の対象とする女性の話であるということも、「現在ではそういうこともあるだろうし、特に説明する必要もない」と作者は考えているのかもしれない。ただ、この舞台を見ているとそういうことはただの性的嗜好の違いだということ以上のなんらかの解釈が必要に思われてくる。
 それは別に女性が女性を対象に恋愛をするということに対する説明というわけではなくて、そのことと記憶を奪う存在の間には何らかの連関があるのではないのかということだ。それが分からないので見ていてなんとなくもやもやするのだ。
 記憶を奪う存在をめぐる話のことを書きたいのか、主人公の女性遍歴のひとつのエピソードとしてそういう特異な存在がからんでくるということだけなのか。この意味合いが分かりやすければと感じた。それでもこの作品はいずれもう少し長いバージョンが見たいと考えさせられた。

simokitazawa.hatenablog.com

*1:油断してると足下掬われそう。