下北沢通信

中西理の下北沢通信

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舞台『夜は短し歩けよ乙女』@新国立劇場中劇場

舞台『夜は短し歩けよ乙女』@新国立劇場中劇場

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舞台「夜は短し歩けよ乙女」(原作:森見登美彦を初観劇。出来栄えがかなりよかったアニメ版(制作:サイエンスSARU/製作:ナカメの会/配給:東宝映像事業部)の脚本も担当していたヨーロッパ企画上田誠が作演出を務めるというので期待して見に行ったのだが、舞台の方もかなりよい出来栄えであった。こういう作品を2・5次元演劇と呼んでいいのかどうかについては若干の疑問があるのだが*1、映像やアニメーションも多用されており、作風としては明らかにそういう感覚はある。
舞台としては先輩役を務めた歌舞伎俳優の中村壱太郎、黒髪の乙女役の久保史緒里(乃木坂46*2*3、そしてパンツ総番長役の玉置玲央(柿喰う客)と様々な分野から集めたキャストだが、寄せ集め感はなく適役が多かった。特に久保史緒里は演技を初めて見たが、この舞台には非常に合っていて、作品を魅力的に感じたことには彼女の力によるところが大きかったのではないかと思う。今回舞台を見に行くことを決めたきっかけになったのは青年団の藤松祥子の出演だったのだが、前半出番がなくてがっかりしていたら、後半かなり目立つ役に抜擢されていて、彼女もよくそれにこたえており、ここも満足ができた。
映像を多用と書いたが、この舞台は舞台上を久保史緒里演じる黒髪の乙女が上手から下手、下手から上手へと歩いて回り、その時同時に背景にはその都度京都の風景などが写真やイラストで次々と映し出され、歩みの方向の逆方向に他の出演者たちが次々と動いていくことで、京都の中を歩いて動き回る黒髪の乙女と一緒にロードムービーのように私たち観客も京都を散策しているような気分を味わうことができるような仕掛けになっている。
その際に久保はその場での気分をラップで歌いながら*4、両手を前後に大きく振ってぴょこぴょこ移動していくのだが、それがなんとも元気で気持ちいい。私たち観客もつられて思わず笑顔になってしまうのだ。実はこれは原作を読んだ時の黒髪の乙女のイメージとはかなりかけ離れている部分もある。それというのも「黒髪」「乙女」というキラーワードに引っ張られて、このヒロインについて袴姿の女学生のようなイメージを抱いてしまっていたのだが、久保が演じる黒髪の乙女にはもっとずっと等身大で元気なイマドキの少女のイメージがある。これは彼女の演技もあるのだろうが、元気にラップや歌を歌わせたりという今回の上田演出の求める乙女像というのもあるかもしれない。
 時代は大きく異なるが京都の大学に在学し学生生活を送っていた人間として「夜は短し歩けよ乙女」で描かれる京都はファンタジーではあるが、実は京都の実際の現実と隣接している。そして、ここで描かれるのはいつの時代なのかも分からないし、実際にあったことではないけれど、記憶の中では森美登美彦の世界も万城目学の「鴨川ホルモー」も円居挽の「丸太町ルヴォワール」もこと今となっては私が京大ミステリ研時代に体験した学生生活と分かちがたくも地続きとなっている。東京で学生生活を送った人にこういうことを話してもあまり理解してもらえないかもしれないことを承知で言えば現在はよく分からないが、私が学生生活を送った40年前から現在に至るまで京都の学生の生活様式はほとんど変わらないといってよく、そこに京大ミステリ研の後輩の作家たちやヨーロッパ企画のメンバーたちのような一種共同体のようなあり方が生まれる素地もあるわけだ。
 そして、何が言いたくてここまで書いてきたかというとそれは「黒髪の乙女」は手が届かないということを前提とした「永遠のマドンナ」のようなもので「実在する人間ではない」ということ。そして、そういう妄想は女性経験の少ない京大の男子学生たちが往々にして抱きやすい妄想なのだ。もちろん、そこに「黒髪の乙女」と先輩に妄想される女性はいるけれど、実在する等身大の彼女と「黒髪の乙女」は同じものではない。
 それが原作小説とアニメを読んで私が抱いていたイメージだ。だから、乙女がそこに出てきてもそれはリアルな人間というよりは先輩の頭の中にだけいるものであり、それはあくまで妄想の対象物でしかないものだった。つまり、偶像(アイドル)なのである。
 そういう意味で言えば実際にアイドルである乃木坂46の久保史緒里が「黒髪の乙女」を演じるというのは興味深いアイデアだったといえるかもしれない。というのは久保は「乙女」の偶像性と生身の存在としての彼女の二重性をおそらく彼女自身がそうだから、さしたる意識なしに体現してみせていたからだ。そのことで作品から自らの妄想で「乙女」のイメージを構築することになる小説やアニメ以上に生身の女の子としての「乙女」を感じさせることができた。それがどういうことかというと乙女と先輩が結ばれてしまうというハッピーエンディングに対する違和感がその分だけ減った*5。そういう点でも久保史緒里の「黒髪の乙女」は好演であった。

原作:森見登美彦夜は短し歩けよ乙女」(角川文庫刊)
脚本・演出:上田 誠(ヨーロッパ企画
出演:中村壱太郎 久保史緒里(乃木坂46)玉置玲央 白石隼也 藤谷理子 早織 石田剛太 酒井善史 角田貴志 土佐和成 池浦さだ夢 金丸慎太郎 日下七海 納谷真大 鈴木砂羽 尾上寛之 藤松祥子 中村 光 山口森広 町田マリー 竹中直人

*1:森見登美彦の小説「夜は短し歩けよ乙女」(角川文庫刊)が原作なのだから、小説原作の作品を2・5次元演劇というのはおかしいとは思う。

*2:www.youtube.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:上田誠自身はポエトリーラップと表現していたが、演劇ファンにはこのラップを歌いながら歩き回る場面は柴幸男の「わが星」を連想させる。曲想も私にはそういう感じに聴こえる。ちなみに「わが星」のラップを創作したのは口ロロの三浦康嗣。柴幸男のもうひとつの代表作「あゆみ」はけやき坂時代の日向坂46も上演した。

*5:私は乃木坂46のファンではないのでそういうことはないが、久保のファンにとってはあってはならないエンディングとして違和感ありありなのかもしれない。