下北沢通信

中西理の下北沢通信

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岡田利規×内橋和久 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』@KAAT

岡田利規×内橋和久  KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』@KAAT

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チェルフィッチュ岡田利規維新派の音楽を手掛けてきた内橋和久を迎え製作した現代能だ。三島由紀夫による近代能、燐光群坂手洋二の現代能など能楽のテキストを現代劇に翻案した作品はこれまでもあったが、岡田のそれは内橋らの演奏を全編に配し、さらにコンテンポラリーダンスも取り入れて、能楽の音楽劇としての構造をそのまま現代に移行したことにある。そして、共同制作の相手として内橋和久は最適解であった。ダキソフォンを奏でる内橋らのトリオ(内橋和久、筒井響子、吉本裕美子)による演奏、能楽による謡を彷彿とさせるような七尾旅人の朗唱ととにかく、全編を彩る音楽が素晴らしいのだ。
内橋和久はダンスのアーティストをはじめ、これまでもさまざまな相手に音楽を提供してきたが、その中で圧倒的に優れており代表作といえるのが維新派の音楽だ。維新派の代表は演出家の松本雄吉であったが、ある時期以降の維新派音楽監督の内橋と松本が二人三脚で作り上げてきたもので、あの特異なスタイルは二人の出会いがなければ存在しないものだと思っている。松本が亡くなり、維新派での創作も終わったが、今回の「現代能」における岡田利規との出会いは内橋にとっても、岡田にとっても特別な出来事に今後なっていく可能性があるかもしれないと今回の舞台を見て思った。
終演後、会場で「未練の幽霊と怪物」のサウンドトラックを買って帰り、聴き直してみたのだが、音楽は維新派とはまったく違うものだが、アンビエントな中にそれを彷彿とさせるものも時折混じり、内橋の音楽の中でも特別なクオリティーに仕上がっている。これは維新派と同様内橋ひとりの手では生まれないと思われるのであり、「現代能」という様式と岡田利規という才能との出会いが生み出したものと思う。さらにいえば、内橋は音楽を生演奏によりおこないそこには即興の要素も入り込むから、森山未來片桐はいり、そして謡を担当する七尾旅人といった優れたパフォーマーとのセッションが現場で生み出すものも大きく、この作品が再演を重ねたり、さらなる新作が作られるということになればさらなる化学反応がそこで引き起こされるような予感も舞台からは感じたのである。
 そして、これはあくまで個人的な感想だが、維新派の舞台にかなり強力な方法論の縛りがあったように即興のダンスと即興の音楽のセッションのような形より、能の形式という約束事がしっかりとあった時の方が内橋の音楽家としてのクリエイティビティーはよい形で発揮されるのではないかという印象を受けた。
作品の構造は世阿弥らによる複式夢幻能の様式をほぼそのまま踏襲している。能楽協会の公式サイトによれば複式夢幻能とは以下のようなものだ。

夢幻能の構成
前場後場との二部構成になっている曲が多く、前場では旅人(ワキ=相手役)がどこかに訪れた際にその土地の人間(シテ=主役)と出会い、その土地の過去にあった話を聞いて、
「実は私はその幽霊だ」
と言って消えていきます。
後場ではその幽霊が再び登場し、当時について語り舞い、消えていきます。
この構成は夢幻能で多く見られる形ですので、夢幻能を鑑賞する際に頭の片隅に入れておくと、より物語を理解することができます。

この夢幻能の構成では、物語が霊の一人称視点で語られることになり、生前の心理描写などが生々しく感情移入しやすいため、鑑賞している聞き手は物語の中により没入していきます。
そして、各曲のストーリー性と幽玄の美しさがあいまって、現代でも受け継がれる能楽の魅力となっています。

ワキに当たるような旅人(「挫波」では太田信吾、「敦賀」では栗原類)がまず現れ、そこでその土地の人間(シテ=主役)と出会う。その土地の過去にあった話を語った後「実は私はその幽霊だ」と言って消えていき、その後後段ではその人物は幽霊として現れ、謡の音楽に合わせて舞を舞う。こうした形式は踏襲しながらいかにも現代的な主題として、「挫波」では新国立劇場の国際設計競技を勝ち取りながら、理不尽な理由によりそのデザインを白紙にされたまま亡くなったザハ・ハディド、「敦賀」では未来のエネルギーの夢を託されて登場しながら、石もて追われるように廃炉にされた高速増殖炉もんじゅ」。霊的な存在として描かれる対象としては一見突飛なものと見えるが、恨みを残してこの世を去ったものが亡霊としてこの世に再び示現するという夢幻能の形式にはふさわしい存在とも考えることができ、岡田をそれを選んだことには説得力があるといえる。
テキスト自体は本来昨年上演されるはずで、一昨年作られたものだが、その後繰り返された東京五輪を巡る様々な理不尽な出来事、そしてコロナ禍の中で国民の大多数の反対を押し切り、観客を入れての五輪を強行しようとしている現政府のやり方を見れば今となっては初期の段階で、それを思い起こすことは少なくなっているとしても、ザハ・ハディドは権力に圧殺されていくものたちの象徴的存在として再評価することがいまこそ必要であり、上演されることの意味合いは当初と変容したとしてもさらにふさわしいことになっているのではないかとさえ感じた。
そして、東京都ではなく、神奈川県にある公立劇場がこの作品を上演することの意味も考えさせられた。果たして新国立劇場東京芸術劇場でこの作品の上演ができただろうか?当然できるとの考えが常識であるとはいえ、ザハの排除を始めとする非常識に非常識を積み重ねてきた自民党政権には自分たちが気に食わない内容の舞台を中止に追い込む可能性がまったくないかどうかについて確信が持てないからだ。

作・演出:岡田利規

音楽監督・演奏:内橋和久

出演:森山未來片桐はいり栗原類石橋静河、太田信吾/七尾旅人(謡手)

演奏  内橋和久 筒井響子 吉本裕美子
【STAFF】
美術   :中山英之 (建築家)
照明   :横原由祐
音響   :佐藤日出夫
衣裳  :Tutia Schaad
衣裳助手 :藤谷香子(FAIFAI)
ヘアメイク:谷口ユリエ 
舞台監督 :横澤紅太郎

編集 :鈴木理映子

宣伝美術 :松本弦人  宣伝写真 :間部百合  
宣伝衣裳 :藤谷香子  宣伝ヘアメイク:廣瀬瑠美

2021年の上演にあたって 

幽霊は、現れるために、場所を必要とします。
そういうわけで、「未練の幽霊と怪物」の上演には舞台が、劇場が必要です。
わたしたちは去年の春、公演中止が決まったあとも、オンライン・リハーサルをやっていました。
延期して上演が行われることを見込んで、コンセプトや、このパフォーマンスに必要な感覚を共有するためのプロセスを踏んでいたのです。たいへん上首尾にいきました。
来る上演に向けて、あとは細部の精度にこだわっていくだけです。
準備は万端です。身体、音楽、空間、言葉。
観客のみなさんが幽霊の出現に立ち会うべく、劇場に来てくださるのを心よりお待ちしています。

岡田利規

お問合せ(神奈川公演):チケットかながわ 0570-015-415(10:00~18:00)

企画製作・主催(神奈川公演):KAAT神奈川芸術劇場

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