下北沢通信

中西理の下北沢通信

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生まれ来る娘起点に自分と妻、それぞれの祖父母、父母 三代にわたる夫婦史語る自伝的演劇。ゆうめい「娘」@下北沢ザ・スズナリ

ゆうめい「娘」@下北沢ザ・スズナリ

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2021年12月22日(水)~29日(水)
東京都 ザ・スズナリ

作・演出:池田亮
出演:岩瀬亮、大石将弘、大竹このみ、木村美月、高野ゆらこ、田中祐希、中村亮太、宮崎吐夢、森谷ふみ、山中志歩

超満員のザ・スズナリの客席でゆうめい「娘」を見た。この集団の現在の勢いを感じたが、コロナ禍以降間引かれた客席の劇場で舞台を見る感覚になれていただけにスズナリの客席は窮屈極まりなかったが、「そうそうこういう感じだったな」と思いながらの観劇となった。
ゆうめいは作者が自らの個人的な体験をほぼ事実そのままに演劇にするというスタイルをとっていて、この「娘」は冒頭で近く娘が産まれるということを明らかにしたうえで、自分と妻のそれぞれの祖父母、父母の三代にわたる家族史が語られる。
作者である池田亮自身がウマ娘に脚本を提供しているようにアニメ・ゲーム関係の仕事をしていて、オタク気質も強いから結果的に作品にそういう要素が入り込んでくることは多いが、作品自体はハイバイの岩井秀人*1に影響を受けていると自ら語るほどで、演技、作劇のスタイルは極めてオーソドックスである。
それゆえ、最近の若手作品の中では演劇に不慣れな観客にとっても分かりやすい作風だといえる。ただ、今回の「娘」は先に述べたように三代5組の夫婦の物語が時系列がバラバラに入り混じって語られ、しかも若い時のそれぞれの夫婦が年を経てからの夫婦とは別の俳優によって演じられるうえにそういう理由で俳優は2役3役を演じ分けるというかなり複雑な構成となっている。
実は私が前作として見た「姿」が「娘」で描かれた家族のうち、自分側の父母、祖父母の三代を描いたものであったので、半分はそれぞれの性格や設定が分かった上で見ることができた。そのため、それを見ていない人と比べれば作品理解において、相当のアドバンテージがあったはずだが、それでも登場人物の誰がどの人なのかを了解するのはかなり困難であった。
現代演劇の傾向としては事実関係を断片しか明らかにしないで、観客の想像や解釈に委ねるという作品もあり、その場合は完全には理解しないままで舞台が進行してもさほど気にならないが、ゆうめいはそうじゃないだけに今回の作劇はこれで作者の意図したものが成立しているのかという疑問も生じた。作り手側には事実関係ははじめからすべて分かっているという盲点があって、単位時間当たりの観客側の情報処理能力を鑑みてこれでいいのかどうかが若干疑問にも思われたからだ。
もっとも、この物語の理解を困難にする要因はもうひとつあって、それは親子関係において世代を超えて同じような関係性が繰り返されるのではないかという主題である。舞台を見ていて、同じような場面が変奏を加えながらも繰り返される。それゆえに「これ誰の話だったっけ」ということが起こるという側面もあり、そういう錯誤が起こるということにはいささか変な例えとなるが、物語がぐるぐる回っているうちにトラバターのようにすべてがどろどろに溶け合ってしまうという印象を持つのは作者の意図通りという側面もありそうだからだ。
内容的には私には子供はいないが、親世代の高齢者でもあり、特に夫婦関係のことでは身につまされるエピソードも多い。昨年母親が亡くなったことで、自分の父母はすでにおらず、逆に妻と父母姉妹との関係については愚痴などを聴かされてもどこか他人事のような部分も多く、別にそういうのが作品の目的でも何でもないだろうが、自ら顧みて反省することも多々あった。ハイバイの岩井との違いについていえば岩井の骨幹をなすのは母との関係もあるけれど、結局分かり合えなかった父との関係であるのに対して、従来からも池田亮は従来から女性側の視点をより多く作品に盛り込んでいたし、「娘」が表題である本作は特にそういう傾向が強い。女性の側から見て、それがどの程度にリアリティーがあるのかは私には軽々には判断がつかないのだけれど……。

simokitazawa.hatenablog.com

*1:岩井も自分や自分の家族のことやかつての引きこもり体験のことを好んで作品にする。