下北沢通信

中西理の下北沢通信

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2017年演劇ベストアクト

 年末恒例の2017年演劇ベストアクト*1*2 *3 *4 *5 *6 *7 *8 *9 *10 *11 *12 *13 *14 を掲載することにしたい。さて、皆さんの今年のベストアクトはどうでしたか。今回もコメントなどを書いてもらえると嬉しい。

2017年演劇ベストアクト
1,範宙遊泳「その夜と友達」(横浜・STSPOT)f:id:simokitazawa:20170622230255j:plain
2,青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」小竹向原・アトリエ春風舎)
3,木ノ下歌舞伎「娘道成寺こまばアゴラ劇場
4,ロロ「父母姉僕弟君」(新宿シアターサンモール)
5,青年団リンク ホエイ「小竹物語」小竹向原・アトリエ春風舎)
6,玉城大祐作演出(青年団演出部)「その把駐力で」東池袋あうるすぽっと
7,青年団リンク 玉田企画「今がオールタイムベスト」(五反田・アトリエヘリコプター)
8,ヨーロッパ企画「出てこようとするトロンプルイユ」(下北沢・本多劇場
9,サンプル「ブリッジ」(KAAT神奈川芸術劇場
10,悪い芝居「罠々」(池袋・東京芸術劇場

 今年の演劇界を振り返ったときまず特筆しなければならないのはSPACの演出家、宮城聰の活躍だろう。アビニョン演劇祭の法王庁中庭のオープニングの演目にSPAC「アンティゴネ」が上演され高い評価を得られたことは日本演劇史にとっても画期的な出来事であったことは間違いない。シェイクスピア冬物語」もなかなかの好舞台だった。
 国内では相変わらずポストゼロ年代演劇の旗手たちの活躍が目立った。とはいえ担う劇団の一部はすでに若手というより中堅として現代演劇の中核を担うような存在となった。
 複数の優れた公演成果を残し、目覚しかったのが木ノ下歌舞伎(木ノ下裕一)、範宙遊泳(山本卓卓)、ロロ(三浦直之)の3劇団。
 2017年演劇ベストアクトの「今年の1本」であるならば範宙遊泳「その夜と友達」@横浜・STSPOTを選びたい。範宙遊泳は映像やプロジェクターによる文字列の映写などを俳優の演技と組み合わせるようなある種実験的な手法を試みてきて、これまでは手法や表現の斬新さに目が向くことが多かったのだが、最近はそうした手法を空気のように身にまといながら語られる内容の方に観客がフォーカスできるような巧みなストーリーテリング(語り方)を身に着け、表現の水準を一段階上げた。 「その夜の友達」は過去と現代の語り手を自在に交代させた語りを交錯させながら旧友とその喪失を描いた芝居だが村上春樹の小説「風の歌を聴け」を最初に読んだときのようなせつなさを感じさせた。
 木ノ下歌舞伎は昨年来、「木ノ下“大”歌舞伎」と題し劇団結成10周年を記念して過去の代表作の再演を手がけてきた。「四谷怪談」「心中天網島」など今年のベストに選んでもおかしくない好舞台ぞろいであったが、木ノ下歌舞伎「『隅田川』『娘道成寺』」として上演され、きたまりが鬼気迫る清姫を演じたソロダンス「娘道成寺*15は現代の古典とでもいう佇まいを示した。同一演目の再演を繰り返しながらクオリティーを高めていくという木ノ下歌舞伎のコンセプトが見事なまでの実りを生み出した1本であったと思う。
 ロロの三浦直之もここに挙げた「父母姉僕弟君」に加えて、やはりロードムービー風演劇である「BGM」、さらに「いつ高」シリーズの新作などこの1年充実したラインナップを披露してくれた。
今年はここにさらに次の世代としてここ数年目立ってきた綾門優季に加えて、やはり青年団演出部を代表する若き俊才、玉城大祐が加わった。綾門優季青年団リンク キュイ)については次の世代を担うアンファンテリブルとして驚くべき才能の出現を感じさせるとここ数年言い続けてきたが、今年は年末に上演された「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」でその全貌を顕した感がある。
 とはいえ、彼の作風は「ゲーム的リアリズム」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」)と言っていいのだが、こと演劇の分野においてはこれまで新時代の才能と目されてきた誰と比較しても極めてラジカルだ。従来の舞台作品の多くが主人公への共感やストーリーテリングなどの要素を前提としてきたのに対し、綾門はそれらをほぼ完全に黙殺。この作品でも舞台が始まって数分で登場人物全員が皆殺しになってしまう。
 そういうこともあり、観客側の反応は賛否が相反しており、訳が分からないなど全否定の拒否反応も少なくない。そこが面白いところでもあるのだが、一般の評価が定まるのにはまだ時間を要するのかもしれない。ただ、偶然とはいえ10年前の2007年の演劇ベストアクトを振り返ってみると2位にはその年まで何年も連続でベストアクト上位で推し続けていた前田司郎の「生きてるものはいないのか」を挙げており、これがついに翌年の岸田戯曲賞を受賞することになる。


 

*1:2016年演劇ベストアクトhttp://simokitazawa.hatenablog.com/entry/20161231/p1

*2:2015年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20151231

*3:2014年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20141231

*4:2013年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20131231

*5:2012年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20121231

*6:2011年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111231

*7:2010年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20101231

*8:2009年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20091231

*9:2008年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20081231

*10:2003年演劇ベストアクトhttp://www.pan-kyoto.com/data/review/49-04.html

*11:2004年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/200412

*12:2005年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060123

*13:2006年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20061231

*14:2007年演劇ベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20071231

*15:theatrearts.aict-iatc.jp

高校演劇サミット2017@こまばアゴラ劇場

高校演劇サミット2017@こまばアゴラ劇場

プロデューサー:林成彦
私は34歳で高校演劇と出会いました。高校演劇を知って、演劇観が大きく変わりました。世界が一気に広がりました。20代のころの私は観もしないで高校演劇をナメていました。そんな当時の私にこういうのを観せてやりたい。「高校演劇があるよ」と教えてやりたい。そんな思いで高校演劇サミットを続けています。今年も自信をもって、特に高校演劇をまだ知らないお客様のご来場をお待ちしています。

高校演劇サミットプロデューサー
林成彦


高校演劇サミットは青年団演出部に所属する西村和宏、林成彦により、2010年12月に、アトリエ春風舎で第1回を開催しました。2013年度からは会場をこまばアゴラ劇場に移しました。2012年度に開催した「高校演劇サミット2012」からはプロデューサー林成彦とディレクター田中圭介の二人三脚の運営が続いています。大人の観客が高校演劇と出会う場を創出することを第一のねらいとしています。

福島県立いわき総合高等学校
『ありのまままーち』
作:いわき総合高校演劇部、齋藤夏菜

埼玉県立新座柳瀬高等学校
『Love & Chance!』
原作:ピエール・ド・マリヴォー、翻案:稲葉智己

東京都立駒場高等学校
『加賀山蝉洋』
作:加賀山友洋

スタッフ

サミット・プロデューサー:林成彦
サミット・ディレクター:田中圭
アドバイザー:平田知之(筑波大学附属駒場中学高等学校)
照明:黒太剛亮(黒猿)
音響:秋田雄治
舞台監督:黒太剛亮(黒猿)
制作:北村耕治(猫の会)
舞台監督補佐:中塚ゆい
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)
芸術総監督:平田オリザ

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第79夜「フNs桃黒歌合戦」 @フジテレビNEXT

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT第79夜「フNs桃黒歌合戦」 @フジテレビNEXT

年末ということもあり、3時間の特別編成。前半の1時間が水木一郎高橋洋子らアニソン界のレジェンドを招いてのフォーク村版「アニメ紅白歌合戦」、後半が今度は歌謡曲界のレジェンド、作詞家の松本隆氏を招いて、松本氏の作詞曲縛りの2時間であった。

 こういうことを書くと爺の繰言とまた嫌われそうだが、ももクロが最近新曲「天国の名前」の詞をもらった阿久悠氏が1937年生まれ、松本隆氏が1949年生まれと10歳ちょっとの年齢差がある。ももクロキャンディーズ、ピンクレディに曲を提供した阿久悠氏と生前に会うには間に合わなかったけれど、松田聖子らに曲を提供した松本隆には自分たちのパフォーマンスを見てもらうことができた。ちなみに芸能史におけるレジェンド的な存在にやはりなるだろう秋元康氏は1958年生まれだから松本氏とはやはり10歳の年齢差がある。専業の作詞家として阿久悠氏→松本隆氏→秋元康氏という流れが戦後の歌謡界を支えてきたのは間違いない。そして、松本氏登場の少し前にただ稲垣潤一の代表曲だというだけの紹介で挟み込んだ「ドラマティック・レイン」「1ダースの言い訳」はともに秋元康氏の作詞、「ドラマティック・レイン」に関していえば曲が松本隆氏の盟友的な存在でもある筒美京平氏。これは明らかにこの番組のプロデューサーであるきくち伸氏の確信犯での選曲だと思う。

 実現まではまだまだ大きな壁をいくつも越えなければならないとは思うのだけれど、きくちPは最終的には秋元氏をフォーク村に呼びたいのではないだろうか。暗号解読めいたメッセージ読み取りではあるが、先日実現した「AKB紅白歌合戦」の演出も含めて、「いつか」との思いがあるのではないかと思ったのだ。

そういえば「ドラマティック・レイン」のことを調べているとネット上に興味深い記述を見つけた。


高校在学中に放送作家の仕事を始めた秋元康は、やがてその仕事に物足りなさを感じ、1981年10月、23歳の時にAlfee(現・THE ALFEE)のシングルB面曲「言葉にしたくない天気」で、作詞家としての活動を開始する[2]。しかし暫くは作詞の仕事も少なく、ヒット曲も無い状態だった。

筒美の曲が出来上がった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書くコンペを行う。協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する。

 すなわち、秋元康氏の作詞家としてのスタートはAlfee(現・THE ALFEE)への詞提供だったんですね。シングルB面曲なのであまり歌われてないような気がするけれど、ゲストでもし出演した時にこの事実関係を掘り起こしももクロが歌ったらかなりのインパクトがあるかもしれない。

 もうひとつきょうのセットリストが興味深かったのはKinKi Kidsの「シンデレラ・クリスマス」を夏菜子と詩織が歌ったことだ。これはいいパフォーマンスだった。Youtubeなどで調べたが時間がなくて振り付けの完全コピーはできなかったと終了後嘆いていたが、こういう男性デュオの曲をこの2人がやると格好良さが際立つし、松本隆氏への絶好のアピールになったのではないかと思う。この日のベストアクトとしてはおそらく、杏果による乾坤一擲の「SWEET MEMORIES」を挙げる人が多いだろうし、推しである私もそれは一概に否定はしないけれど、だいぶ以前に「堂本兄弟」で「ガラスの少年」を歌った時にも感じたがももクロの魅力はこういう男性アイドル曲を歌った時にうまく発揮されると感じる。

 もうひとつ記して置きたいのは11月のフォーク村でももクロSMAPの歌を歌わせたことで、今回はジャニーズ事務所の現役所属アイドルの歌を入れることでバランスを取ったかなということ。きくちPの場合、当然CS所属の今、仕事を一緒にやることは難しいけれどKinKi Kidsとは番組を通じてSMAP以上に深い関係があることも確かで、もちろん「全方位外交」というのが基本にあると思うから、これは計算もあると思うが自然な流れだと思う。


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M01:マジンガーZ (水木一郎水木一郎)
M02:ぼくらのマジンガーZ (水木一郎ももクロ水木一郎)

M03:勇者はマジンガー (水木一郎ももクロ水木一郎)

M04:未来の僕らは知ってるよ (AqoursAqours)
M05:HAPPY PARTY TRAIN (AqoursAqours)
M06:ユメ語るよりユメ歌おう (AqoursももクロAqours)
M07:MOON PRIDE (Aqoursももクロももクロ)
M08:残酷な天使のテーゼ (高橋洋子ももクロ高橋洋子)
M09:『Z』の誓い (ももクロももクロ)
M10:ドラマティック・レイン (稲垣潤一稲垣潤一)
M11:1ダースの言い訳 (稲垣潤一ももクロ稲垣潤一)
M12:バチェラーガール (稲垣潤一稲垣潤一)
M13:恋するカレン (稲垣潤一/大瀧 詠一)
M14:風の谷のナウシカ (あんにゅ/安田成美)
M15:シンデレラ・クリスマス (夏菜子&しおりん/KinKi Kids)
M16:雨だれ (太田裕美&れに/太田裕美)
M17:赤いハイヒール (太田裕美夏菜子/太田裕美)
M18:FUN×4 (村長&太田裕美ももクロ/大瀧 詠一)
M19:ピンクのモーツァルト (あーりん/松田聖子)
M20:瑠璃色の地球 (高橋洋子松田聖子)
M21:Pearl-White Eve (れに&あーりん/松田聖子)
M22:SWEET MEMORIES (杏果&竹上/松田聖子)
M23:情熱 (クミコ/斉藤由貴)
M24:フローズン・ダイキリ (クミコ/クミコ)
M25:あゝ青春 (水木一郎吉田拓郎)
M26:12月の雨の日 (坂崎村長/はっぴいえんど)
Go!Go!ギターガールズ
M27:イエロー・サブマリン音頭 (ギターガールズ&たこ虹/金沢明子)
M28:蛍の光 (オールキャスト/唱歌)
M29:春よ来い (坂崎村長/はっぴいえんど)
M30:天国の名前 (ももクロももクロ)

磯部涼 × Kダブシャイン × 吉田雅史 「ヒップホップは何を変えてきたのか」@五反田ゲンロンカフェ

磯部涼 × Kダブシャイン × 吉田雅史 「ヒップホップは何を変えてきたのか」@五反田ゲンロンカフェ

面白かったが、やはりこの日もアメリカでの話が中心。Kダブシャインが日本語ラップ否定論者*1であることもあり余計その感が強かったのだがヒップホップやラップについて語るとどうしてもそういう風になるんだなというのも分かった。とはいえ、最初にSCOOLで話を聞いたときはちんぷんかんぷんだったのが、向こうの作家の名前を聞くたびにYoutubeで音源を聴いたりしているうちに素人は素人なりに少しずつ全体像のうちところどころが分かってきて、レクチャーは同じ群象(群盲象をなでる、PC的にだめな表現)ではあっても自分の力だけで探り聴きをしているよりは何倍も理解が容易ではあり、楽しい。


【Kダブシャインのこっちゃん散歩】宇多丸、サイプレス上野とロベルト吉野、ベッド・イン、バニラビーンズ

ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで
cakes.mu


simokitazawa.hatenablog.com

*1:Kダブシャインご本人からtwitterで「(日本語ラップ)否定論者じゃなくヒップホップ原則主義なんだよ。どこに耳つけてんだ?」 とのレスがありました

ももいろクローバーZ「ももいろクリスマス 2017」おかわりちゃん

ももいろクローバーZ「ももいろクリスマス 2017」おかわりちゃん

≪日時≫

2017年12月24日(日) 16:00開演 (18:30終演予定)
※「ももいろクリスマス2017」の本公演、および生中継ではございません。
12月13日・20日に行われたライブ映像を、12月24日(日)にももクロメンバーが”おかわり”する模様を、全国の映画館で生中継する上映イベントです。

「おかわりちゃん」なるイベントはアイドルでもバンドでもももいろクローバーZだけが開催しているイベントだと思う。ももクロのライブ、特に大箱と言われるようなスタジアム、ドーム、巨大アリーナ級のライブではそれでも収容しきれない観客や地方の観客のために映画館にリアルタイムでライブ映像を中継するLV(ライブビューイング)が行われることが多かった。
 一方でそうしたライブではライブ開催後、しばらくすると各種配信メディアなどでももクロメンバーがライブの映像を見ながら「なんやかや」とコメントするという「大反省会」なる番組も何度か放映してきた。
 今回の「おかわりちゃん」はその2つのコンテンツを合体したようなもので、このメリットはライブを見られなかった人だけでなく、埼玉・大阪のどちらかでライブを見た人もメンバーを遠くから目視することやコールやフリコピに必死で現地では見られなかった部分を映像で再確認することが出来ることになる。
 実は昨夏にやった「桃園祭」のおかわりちゃんは横浜国際競技場で2日間開催されたライブの次の日にライブの様子をLVのように中継するものだったのだが、今回はより変則的。全国各地にある会場のうちのひとつであるお台場会場には実際にももクロのメンバーも来て、最前列に座ってモノノフと一緒にライブ映像を鑑賞することになるのだが、全国のその他の映画館ではそこでのメンバーの様子がワイプ中継され、ライブ映像と一緒にそれを見るということになるからだ。

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」(3回目)@小竹向原・アトリエ春風舎

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」(3回目)@小竹向原・アトリエ春風舎

作:綾門優季青年団) 演出:得地弘基(お布団/東京デスロック)

この世には、決して受け入れられないひとがいるということ。
決して近寄ってはいけない場所があるということ。


ある日、夜の公園で突然起こった無差別殺人事件。誰かを狙った犯行というわけでもなく、その日、たまたま犯人に出くわした人物という共通点しか被害者たちには存在しない。悪い人物も良い人物も、等しく殺されている。マスコミはそのような事件を起こした動機を必死に探ろうとするが、最近も遠い昔も、何も出てこない。家庭環境に原因も特になさそうだ。その事件を目撃した市民は、あの犯行が何の動機もないものだということを確信していたが、それを証明する術はなく、ただ沈黙した。


出演

大竹 直(青年団) 岩井 由紀子(青年団) 西村 由花(青年団) 矢野 昌幸(無隣館)
井神 沙恵(モメラス) 中田 麦平(シンクロ少女) 船津 健太 松﨑 義邦(東京デスロック)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 音響:櫻内憧海、渡邉藍
映像:得地弘基(お布団/東京デスロック) 舞台監督:篠原絵美
舞台美術:山崎明史(デザイン事務所 空気の隙間)  衣裳:正金彩(青年団
演出助手:三浦雨林(青年団/隣屋) 制作:谷陽歩

総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

3回目の観劇。2回目の観劇後考えたことを*1再確認したくなったのであるが、この作品は奥が深い。その際の解釈は途中までは正しいが、ミステリ的な言い方をするならば真相にはたどり着いておらず推論が根本的に誤っていたことが判明した*2
さて、2回目の感想の最後に「もう一度観劇するので、解答編はその時書くけどこの作品は幻想譚などではなく、巧緻に創作されたミステリ演劇です」などといわくありげなことを書いたのは「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」は4つの世界がループする構造を持つ世界と思い込んでいたが、
そうじゃないことに気がついたからだ。
 「射殺犯のいる学校」の世界の直前に主人公が彼女の部屋みたいなところで目覚めるシーンがある。ここと次の学校のシーンは連続していてひとつの場面みたいに見えるが、実際には意識のとぎれがあり、ふと気がつくと次の学校の場面に移行している。つまり、これは別の場面でここでは犯罪らしい犯罪は起こっていなかったけれど、これは違う世界でならば世界は4つではなくて、5つあったことになる。このことは主人公の視点人物も途中で気がついていて、それゆえ、他の場面をすべて試して無限ループからの脱出にことごとく失敗してきた主人公はここに唯一いる人物に干渉してこの世界から抜けだそうと試みる。
作者としてはここで終えることもできたはずだが、実はこの物語はこの解答では終わらない。気がつくと視点人物はまたループの最初に戻されていて、しかも今度は先ほどまで男性だったはずの視点人物も女性に代わっている。それは以前のループでは毒殺魔となっていた女性だ。
 ところが彼女は今度はいつものようにはバイトにはいかなくて、自宅のソファ(あるいはベッド)に寝転んだままで毒(のようなもの)をのみこんでそのまま寝てしまいそのまま暗転となり、そのままループから出られたか出られなかったという先の行く末は明らかにはされずそのまま芝居は終わる。
新装版 七回死んだ男 (講談社文庫)
 

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:こういうことになりがちなのでやはり脚本は欲しい

OMS戯曲賞に悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」 上田誠の岸田戯曲賞受賞作は落選

OMS戯曲賞に悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」 上田誠岸田戯曲賞受賞作は落選

第24回OMS戯曲賞にて、悪い芝居・山崎彬による「メロメロたち」が大賞を受賞した。また佳作には、立ツ鳥会議・植松厚太郎「午前3時59分」が選ばれた。
 今回の候補作品にはすでに今年の春の岸田戯曲賞の選考会で全選考委員の抜群の支持でもって受賞作に選ばれた 上田誠「来てけつかるべき新世界」がノミネートされていたが落選となった。選評が明らかになってないので詳細は不明だが、
結果としてはあえてノミネートしながら、あえて落とすという岸田戯曲賞の選考に対して反旗を翻したような形になった。
ただ、正確に言えば山崎彬は岸田戯曲賞では最終候補作品には残っておらず、この2作品が選考の対象として比較されたのは今回が初めてのことであった。私は個人的にはヨーロッパ企画上田誠岸田戯曲賞を受賞したことには何の異論もないし、むしろ彼の実力から言えば遅きに失した感があるが、山崎彬についてもここ最近の上演戯曲の水準の高さから言えば最終候補にすら残っていなかったのはおかしいと考えている。
 ここで実はここで起こったことはこれまでも薄々感じていた複数の問題を孕んでいる気がする。一つ目は最近の岸田國士戯曲賞について何人かの論者によって指摘されていることなのだが、「岸田戯曲賞の最終審査ノミネート作品はかなり偏っているのではないか。本来なら選ばれるべき作品がかなり漏れているのではないか」問題である。
 事実、上田誠が受賞した際にこの山崎彬もそのうちのひとりだが、一部下馬評では有力視されていた山本卓卓や三浦直之らが選ばれていなかった。そのほかにも私が有力と考えていた山田百次、綾門優季らも候補からは漏れていた。
その一方では最終選考の審査員の人選と選考時の選評についてはこの種の賞としては信頼度が非常に高いと考えていて、なかでも岡田利規宮沢章夫ら複数の選考委員が自らの責任において選考過程や自分の選考理由などを明らかにしていてこういうことは戯曲賞にのみならず他の文学賞コンペティションなどでも参考にしてほしいと思っている。
  もうひとつの問題は審査委員の人選によって選考対象として選ばれる作品に大きな違いが出ていて、もちろんそれは賞の個性でもあるからそういうことはよくあることで、許容されるべきことでもあるが、複数ある戯曲賞のうちせんだい短編戯曲賞とAFF戯曲賞の2つと劇作家協会新人戯曲賞とOMS戯曲賞の2つの間には選考される作家の傾向に大きな偏差が見られるように思われる。そしてもちろんそれはそれだけではそんなに大きな問題でもないのだが、最近の批評家も含めた観客も大きく2つに分断されていっているのではないかと感じているのだ。
 その違いというのが何かというともっとも単純な言い方をすればポストゼロ年代演劇的な作品か、それともそれ以前の伝統的な演劇の流れを継承したような作品かということ。これは実は演劇に限らず他の分野でも起こっていることで、小説で言えば普通の小説とライトノベルのような違いがあるのではないか。 
もちろん、今書いたようなことは事象を単純化しすぎているだろうということは認めなければならないかもしれない。というのは上田誠と山崎彬の作劇を比較すると山崎には先行する作家としては野田秀樹松尾スズキなどとの共通性を思わせるところがあり、より記号的であったり、デジタルな構造を特徴とする同世代の作家とは一線を画するようなところがあるのだが、実際には関西で上田誠と同世代の「竹内佑(デス電所)に影響を受けた」(山崎彬)自身が私に言っていたこともあり、
竹内と上田では作風は異なるものの当時としては関西では珍しい「アニメ・漫画的リアリズム」「ゲーム的リアリズム」の要素が強いポストゼロ年代演劇の作家であり、その影響下に出発した山崎にもそうした要素は強くあるからだ。
simokitazawa.hatenablog.com

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」(2回目)@小竹向原・アトリエ春風舎

青年団リンク キュイ「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」(2回目)@小竹向原・アトリエ春風舎

作:綾門優季青年団) 演出:得地弘基(お布団/東京デスロック)

この世には、決して受け入れられないひとがいるということ。
決して近寄ってはいけない場所があるということ。


ある日、夜の公園で突然起こった無差別殺人事件。誰かを狙った犯行というわけでもなく、その日、たまたま犯人に出くわした人物という共通点しか被害者たちには存在しない。悪い人物も良い人物も、等しく殺されている。マスコミはそのような事件を起こした動機を必死に探ろうとするが、最近も遠い昔も、何も出てこない。家庭環境に原因も特になさそうだ。その事件を目撃した市民は、あの犯行が何の動機もないものだということを確信していたが、それを証明する術はなく、ただ沈黙した。


出演

大竹 直(青年団) 岩井 由紀子(青年団) 西村 由花(青年団) 矢野 昌幸(無隣館)
井神 沙恵(モメラス) 中田 麦平(シンクロ少女) 船津 健太 松﨑 義邦(東京デスロック)
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿) 音響:櫻内憧海、渡邉藍
映像:得地弘基(お布団/東京デスロック) 舞台監督:篠原絵美
舞台美術:山崎明史(デザイン事務所 空気の隙間)  衣裳:正金彩(青年団
演出助手:三浦雨林(青年団/隣屋) 制作:谷陽歩

総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

脚本が欲しい。最後の方の記述にいくつか疑問点がある。まず注目したいのはシーン「4ー??」なのだが……。
 その前に作者による登場人物のキャラ付けに注目したい。「前世でも来世でも君は僕のことが嫌」が面白いのはこれは登場人物らが一種の不条理な空間に置かれるという意味で「不条理劇」なのであるが、主人公の志向性がまるでゲームでも行うかのようにその中で可能な最適解を探そうかと言うように合理的な行動をとろうとするところだろう。
 全体の状況があまりにも変だからそれは一見そうではないように見えるかもしれず、それでその突飛な行動に劇場で笑いが起こったりもするのだが、この人物の行動原理は単純。それは最小の手順により、このループから抜け出すための行動ということだ。
主人公(と思われる)男は自らが迷い込んだ迷宮空間が4つの場面のループからなっていることに気がつく。それで、まず1ーXの「公園の場」で自分の行動を最初のループと変更してみて、殺人の連鎖を妨害し、ループから脱出しようと試みるが、途中の経路をいくら変更しても全員死んで次のループに移行するという結末は改変できないことを確かめる。
 その後、バスジャックの場で「ルーレットで全体の盤面を4分割し、出目の多い局面に重点的に賭ける」という友人の話にヒントを得る。
 それは全員の殺戮を防ごうとしても「公園の場」では無理で、「バスジャックの場」「学校の場」も困難。そのため、自分が毒を飲まなければ毒殺されることが避けられそうな「毒殺の場」にすべての知恵と努力を注入し、他の場に当たった時はとにかく、自分がまず殺されることや、全員ができるだけ早く死ぬように計らい、その回をできるだけ早く回して次の回に行くような努力をするという戦略である。
 そして毒殺犯であるはずの女を捕らえ、本来ならば皆が死ぬ時間まで監禁して何も行動ができないようにして待つのだが、そうした努力にも関わらずそのループはそこで終わって何事もないように次のループに入ってしまう。

「脚本が欲しい。最後の方の記述にいくつか疑問点がある。まず注目したいのはシーン『4ー??』なのだが……。」
 
 こんな風に最初に書いたのはそのためなのだが、実はここまで書いてきた瞬間に作者の仕掛けてきたトリックと解答が分かった。それが何かというと
(もう一度観劇するので、解答編はその時書くけどこの作品は幻想譚などではなく、巧緻に創作されたミステリ演劇です)
http://simokitazawa.hatenablog.com/entry/2017/12/23/000000

【ニッポンの演劇 #10】松田正隆×佐々木敦「現代演劇のマレビト、来たる。ーー『出来事の演劇』は可能か?」@

【ニッポンの演劇 #10】松田正隆×佐々木敦「現代演劇のマレビト、来たる。ーー『出来事の演劇』は可能か?」@marebito_org @sasakiatsushi

演劇の上演が、現実の出来事の模倣にとどまることなく、新たな意味の⽣成となること。これを私たちは「出来事の演劇」と呼ぶ。
その空間では、⾝体や物体が変形を被るようなアクシデントや予想もつかないハプニングが起こるのではなく、「⾔葉と⾒えるもの」の結びつきが改変され、得体の知れない私たちの「⽣」そのものが創出されることが起こるのである。「⽣」そのものは未⾒の様相の持続を呈するが、演劇という厳密な構想⼒によって⽣まれたものであり、それは決して無秩序やカオスに陥ることはない。
出来事の演劇は、俳優の演技と戯曲の再現から縁を切る。演劇の空間は、俳優の演技や戯曲に書かれた関係を⾒せる場所ではない。舞台の壁やそこにある⾝体は、演技や戯曲の表象に還元されない「⼒」を⽣み出す素材であり⾝振りである。
「⽣」と「⼒」は、演劇において「⾔葉と⾒えるもの」を出来事の次元につくり直す。そのとき、⽯の中に流れる⽔があるように、過去と現在は混在し演劇の時間が顔を出すのだ。

 「出来事の演劇」とは何か? 「演劇の上演が、現実の出来事の模倣にとどまることなく、新たな意味の⽣成となること」とある。「演劇の上演が、現実の出来事の模倣」というのは「リアリズム」ということであろう。この場合のリアリズムはスタニスラフスキーが想定していたようなリアリズム(平田オリザの言葉によれば社会主義リアリズ)だけではなく、平田オリザらの現代口語演劇も含まれると考えられるかもしれない。「演劇の空間は、俳優の演技や戯曲に書かれた関係を⾒せる場所ではない」ともあり、これは平田やかつての松田正隆がそうであった「関係性の演劇」とも完全に袂を分かつものである。
数年前に今のプロジェクトを開始した時に松田正隆は「平田オリザの現代口語演劇理論ではない新しい会話劇の演技・演出法を試みたい」と話していた。ここで明らかにされた「出来事の演劇」というのはその後の試行錯誤のひとつの到達点と言うことができるのだろう。
 ただ、「出来事」というと「偶然性」とか「即興」とかを連想する向きもあるだろうが、松田はそうした連想を完全に否定する。
(続く)

「出来事の演劇」についてhttp://www.marebito.org/text/engekiron2017.pdf

「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編2」セミネールin東京

[セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編2」セミネールin東京

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山中透

 セミネール「ダンス×アート 源流を探る ダムタイプと音楽 山中透編2」を開催します。プロジェクターによる舞台映像を見ながらダムタイプの音楽担当だった山中透さんが自ら語る作品の舞台裏。山中さん提供によるダムタイプ初期の超レア映像など見られ楽しい時間がすごせ好評だった第1回に続き、今回は前回に引き続き代表作「S/N」の話題に加え、前回は時間内にはをあまり紹介することができなかったダムタイプ以降に山中さんがかかわったオン・ケン・セン、高嶺格モノクロームサーカス、じゅんじゅん、MuDAらとの仕事も紹介。山中さん本人に映像を見ながら舞台裏を話してもらおうと思います。前回は山中さんと古橋悌二さんがダムタイプ以前に制作し、坂本龍一氏にこわれて審査に出した映像作品などほかではまず見られないものも見ることができダムタイプファン垂涎の企画となりましたが、今回もなにか隠し玉が飛び出すかもしれません。乞う期待。   
コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)
ゲスト・山中透
ダムタイプ「S/N」

モノクロームサーカス「D E S K」

山中透インタビュー
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00001205

【日時】2018年1月20日(土)p.m.3:00
【場所】三鷹SCOOL にて
【料金】前売:2000円
当日:2500円 (+1drinkオーダー)

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セミネールレクチャー(大阪)からダムタイプについて
simokitazawa.hatenablog.com

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