欧米のリアリズム演劇に起源を持つ現代演劇においてはアウトサイダーと見える彼らの発想だが、日本においてこうした発想は実は珍しくないのではないか。鶴屋南北らケレンを得意とした歌舞伎の座付き作者は似たような発想で劇作したんじゃないだろうかということだ。舞台のための仕掛けづくりも彼らがこだわり、もっとも得意としたところでもあった。その意味ではこの二人は異端に見えて意外と日本演劇の伝統には忠実なのかもしれない。
「悲劇喜劇」2007年8月号の特集企画「気になる演劇人」に「ゲーム感覚で世界を構築 ―シベリア少女鉄道とヨーロッパ企画―」という小論を執筆。その最後にこんな結語めいた文章を書いてその論を締めくくった。
今年はバック・トゥ・2000シリーズ!などと称して、過去作品の再演が続いたヨーロッパ企画のほぼ1年ぶりの新作が「火星の倉庫」だった。表題から本当に火星にある倉庫を舞台にした純粋SFタッチの物語と予想して見始めたのだけれどその予想はすぐに裏切られた。コンテナが山ほど詰まれた港が舞台。そこで働いている港湾労働者の男たち仕事をさぼって港湾労働者、近くのバーの女、その妹の大学生、麻薬取引をもくろむ組織の男たち、組織の秘密をもらしドラム缶にコンクリ詰めされて海に落とされそうになっている男、その始末に呼ばれる落とし屋ビリー……。
火星を舞台にしたSFどころか、一昔前の日活アクション映画のパロディのような道具立てで物語は進行していく。「どこが『火星の倉庫』やねん」と怪訝に思い、突っ込みを入れたくなるが、ある意味デフォルメはされてはいても、くだらない会話を続ける男たちの姿は非常に日常的な風景に見える。そうした中で次第にここが単なる日常ではなくて実は地球温暖化が進んだ近未来の地球であるらしいことが男たちの会話の端々から分かってくる。
もっとも近未来の設定だからといって、すぐにそれがどうこうするわけではなくて、ちょっとした色付け程度の趣向として、登場人物らのああでもないこうでもないと続けられる会話はいつものヨーロッパ企画のテイストである。さらに舞台上を埋め尽くすかのようにコンテナが積まれていて、その場所を次々と移動させたり、組み替えたり、役者がその中や陰に隠れたり、コンテナの上に上ったりと舞台の広い空間を自由自在に活用した演出は少し「Windows5000」(2005年)を彷彿とさせるようなところもあって面白い。
物語は港湾労働者の男たちの一人がバーの女の妹に迫ろうと、仲間が彼女を襲うふりをするところを男が助けるという芝居を打とうとする場面からはじまるが、そこに組織を裏切った仲間の始末にやってきた暴力団と思われる組織の男たちが遭遇することで展開していく。舞台としては新たに登場人物が出てくるために前からそこにいた人物が舞台上にところ狭しと転がっているコンテナの裏や上や中へ隠れるというドアコメディ風の展開の連続で引っ張っていく。
上田誠はシチュエーションコメディの作家と見なされてきたこともあるとおり、こういう小さな展開の連鎖により、観客を飽きさせずに引っ張っていく手つきはなかなかに巧妙なものがあるが、この「火星の倉庫」ではこうした個々の小さな展開はより大きな構図を展開していくための手段にすぎない。ここでは進行していく物語の筋と併行して、舞台上の箱も次々と移動していき、