架空の劇団「天使は瞳を閉じて」(京大西部講堂)を観劇。
作 :鴻上尚史
演出:清水陽子
会場:京都大学西部講堂
出演:宮地佑樹
松田早穂
高谷一毅(Rookie777)
駒嶺聡史(劇団火群)
西谷太郎(劇団ケッペキ)
植木啓之(劇団ケッペキ)/仲西雄亮(劇団ケッペキ)*ダブルキャスト
竹内良亮(劇団ケッペキ)
西塔友美
栗原史圭
清水陽子
架空の劇団というのはどこかで聞いたことがある名前だと思った。そうだ、盛岡にくらもちひろゆき率いる「架空の劇団」があるが、これは無関係だろう。鴻上尚史の旗揚げした新しい劇団が虚構の劇団だからおそらくそこから取ったのだろう。今回の舞台を見ているとこの舞台の演出家は鴻上の芝居が好きなんだなというのが、THE BLUE HEARTSなど劇中の選曲がいまの時代にはどうにも合わない気がするのだが、20年近く前に第三舞台が上演したままにそのまま使用しているところがあって思わずそう思った。私には懐かしい感じがしたが、今の学生のような年代の観客たちにはこれはどんな風に映っているのだろうか。
今回も演出を手掛けている清水陽子の個人プロデュースユニットの名称で今回が2度目の公演ということのようだ。出演者はほとんど京都大学の現役学生ならびに卒業生ではないかと思われので、学生劇団の舞台といっていいと思うが、その割には意外とよく出来た舞台であった。そして、こういう芝居が京大西部講堂で上演されているという現状も時代の変化を感じて興味深かった。京大西部講堂といえば私のような世代の人間にはアングラ演劇の殿堂のようなイメージがあるわけなのだが、最近ひさしぶりにここで見たベビー・ピー「革命について」にしてもこの空間を存分に活用したスペクタクル劇ではあったけれども、アングラ劇とはいえなかったし、この日が鴻上、この日に配布されたフライヤーによると来週はやはり学生劇団によってケラの「消失」が上演されることが予告されていて、彼らにとってはもはやそういうイメージは過去のものであまり実感としてはない、のかもしれない。それでも学生たちの演劇に対する熱気はここには健在で、「革命について」の客席で開演前に感じたわくわく感は以前に早稲田の大隈講堂裏の劇研アトリエで双数姉妹、東京オレンジといった当時の若手劇団を見た時のことを思い出したのは劣悪な観劇環境などがあっても、それを逆に魅力に変えてしまうような若さだけが持つ熱気をやはり持っていたせいかもしれない。
「天使は瞳を閉じて」といえば「朝日のような夕日をつれて」と並ぶ第三舞台の代表作であり、それゆえ第三舞台に代表される80年代演劇の典型的なスタイルを持つ作品である。終末論、SF的趣向、ギャグの彩られたセリフ……10年前だったら、第三舞台に代表された80年代演劇の能天気さに対して苛立っていたころだから、「なんでこんな古色蒼然としたものを上演するんだ」という風に目くじらをたてていた可能性もあるが、今見ると逆にスタイルが古いとかそういう感じはあまりしない。もっとも、新しいとも思わないから、これは確実に88年初演だから今から20年前に上演されたこの芝居がリアルタイムにいまのこの世界を描いたものというよりはこの日見たもう1本の古典、チェーホフの「三人姉妹」同様に戯曲としての古典へと近づいているということがあるかもしれないと思った。
つまり、「三人姉妹」のアフタートークの席上でチェーホフのような過去の時代に海外で書かれた戯曲を現在上演するには戯曲(原テクスト)の間にどのような距離感を持つかというのが上演の際にポイントとなるかということだが、「天使は瞳を閉じて」もすでに昨日今日書かれたテキストのように自明なものとして演じるのは難しくなっているのではないか。つまり、少なくとも今ここでこの戯曲を上演するとすれば第三舞台による上演とはまったく別のアプローチが必要になるのではないかと考えたのだが、そういう問題意識は演出家にはまったくなかったようだ。この戯曲は基本的にはダンスにヒップホップの要素を取り入れるなど若干の小さな工夫はあったけれども、それを除けばセリフ回しなどが若干ぎごちなかったり、声を張り上げすぎて聞き取りにくくなっていたりするというようないくつかの技術的な問題を除けばほぼ第三舞台の上演をなぞるような形で展開し、そういう範囲内のレベルではかなり
見ごたえのある舞台に仕上がっていたけれども、戯曲+αという演出的アイデアという意味ではやや期待はずれだった。もっとも、これはあくまでも学生らの手による演劇なのであり、関西では東京の第三舞台同様に80年代演劇を牽引してきた劇団☆新感線、劇団そとばこまち、M.O.P.といった劇団がすべてつかこうへいの舞台のコピーから出発し自分たちのオリジナルを模索していったのだというということを考えると、習作として良質な模倣を試みる段階で、今の彼らにオリジナリティーを求めるのはないものねだりなのかもしれない。
もうひとつ興味を持ったのは最近の京都演劇の傾向として、地点、マレビトの会などのプロの劇団から京都造形芸術大学出身の若手集団まで京都は前衛的な作品への嗜好が強いという特徴があるのだが、そういうなかでもより若い集団にはまた別の傾向が生まれてきているかもしれないということ。偶然かもしれないし、この演目だったからゆえのチラシはさみ込みであったことも影響しているのだろうが、奇妙なことにオリジナルを除けば劇団蒲団座新人試演会が「パレード旅団」、同志社小劇場十月公演が「野田版 真夏の夜の夢」、演劇集団Qプロデュースがショーマの高橋いさをの「バンク・バン・レッスン」、劇団ケッペキ11月公演「贋作・罪と罰」といずれも80年代演劇の作家たち*1の上演なのが面白い。
*1:もちろん作品には新しいものもある