下北沢通信

中西理の下北沢通信

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you tubeダンスミニ講座はどうか

 ここまで来てふと思ったのだが、you tubeと連携したダンスミニ講座みたいなのが、できないだろうかということである。このページのGrupo de Rua de Niteroiの映像もそうだが、セミネールの準備などで関連の映像がないかと探しているとけっこう面白いものが見つかることが、多いのだ。日本国内のダンスについてもそうだが、特に海外については最近さまざまな映像(しかも来日してないカンパニーも)がyou tube上にあるので驚かされるのだけれど、こちらも無尽蔵に時間があるわけではないので、ついついだれかあらかじめどんなのがあるのか解説してくれよなどという気分になってしまうことも多いのだ。だれもしていないのならば自分がやろうかとふと思ったのだが……。
 以下の映像はGrupo de Rua de Niteroi同様にやはりエジンバラ演劇祭で遭遇、面白い面白いと言い続けてきたバルセロナのカンパニー「NATS NUS DANSA」の映像の抜粋である。
 当時の感想はこちら*1。本当はこの前の年に見た「FULL」という作品の方が面白かったのだが、こちらの方は「下北沢通信」時代なため手元に文章が見つからなかった。

 NATS NUS DANSA「Loft」(スペイン)★★★☆ 2度目の観劇。冒頭、椅子に座ったToni Miraがなかなか開かないビスケットの容器を開けようとして、カサカサ音を立てて明け口を手で引っ張ったり、口で引っ張ったりするのがそのまま音楽パフォーマンスになっていく。それでも開かないのでMiraがビスケットを机にたたきつけてそれがこなごなになって飛び散ると暗転。そこから、パフォーマンス(ダンス)がスタートするが、なかなかインパクトのあるオープニングである。

 次は床に四方形が照明によって区切られていて、そこに座ったような姿勢。そこから次第にグラウンディング姿勢のダンスに。これは単独ではどうということのない動きだが、後から出てくる映像場面の伏線になっている。(ダンスの)ムーブメントにはちょっとブレークダンス系の動きも入っているかも。この間、舞台の背後にはスクリーンがあってそこには砂に描かれた図形が形を崩していくのが逆回しで撮られたような映像が流れ続けている。

 ダンスはスタンディングに移行。Toni Miraは立って踊るが、床に影が映し出される。後ろの壁(スクリーン)にも影。そちらの影はどんどん数が増えていく。その場面が終わるとMiraは舞台の四方形の外側、上手そでの辺りでスペイン語で詩(のようなもの)を朗読、その翻訳(英語)が舞台後方のスクリーンに映し出される。この後もMiraは舞台上で演奏なしに生声でビートルズの「Nowhere Man」を歌う(というかがなったり)、客席の近くに現れて、CDプレイヤーが不調だという文句を言ったりする。Mira自身のダンスのムーブメントは抽象的な動きで、特に意味性があるものでないが、この作品でMiraは抽象的な身体言語(キネティックボキャブラリー)と演劇的といっていいようなそうした挿入されたテキストを組み合わせていくことで、世界との折り合いのわるさというか、現在Miraが世界に対して感じているイライラした感じを反映させたような作品に仕上げた。

 ただ、作品としての売り物は最後の方で見せる映像のMiraとリアルタイムで踊るMiraのデュオであろう。映像との競演自体は前の作品「FUL」でもあったが、この作品で面白いのは映像のMiraはグラウンドポジションで仰向けになったのを天井から映した映像に立って踊る実物のMiraが合わせて同じような動きで踊ることで、床に寝ているので映像のMiraの方は見かけ上の上下に関係なくぐるぐる回ってみせたりするのだが、こういう遊び心がこの人の作品が楽しいところだ。

 こちらに2002年「FUL」のネットレビュー*2があった。残念ながら、以下の映像抜粋には私が見た2作品は含まれてはいないけれど、最初の映像には白い壁みたいな装置がでてきているが、これは「FUL」にも登場して、モノリスなどと呼ばれていたが、これで自由自在に空間構成をしたり、ここに映像や影を映したりしていたのが印象的だった。

 動きの方は日常的な動きをサンプリングしてダンスに取り入れたりすることを多用していて、この映像などはほんの一瞬のようなものだが、少しだけそういう雰囲気がうかがえるものである。ここではキスだが、「FUL」では椅子に座った二人の女性が声高におしゃべりをしている演劇的な場面からスタートして、動きはまったく、そのままで変わらないでいて、途中からセリフがなくなって、そこに音楽がかぶさってくるというだけで、その同じ動きがダンスに見えてくるという場面があって、山下残のようにコンセプチャルなものではないけれど、ダンスに対する批評性のようなものが感じられて、それが面白かったことを記憶している。

 次の映像はおそらく子ども向けの作品だと思うのだけれど、こういう風にムーブメントオリエンテッドというよりは影や舞台美術を生かして作品を構成していくのがNATS NUSの特徴だ。映像を使ったり、少しファニーな要素を取り入れたりするところはフィリップ・デュクフレを連想させるようなところもあるのだけれど、トニ・ミラの方がおしゃれで都会的な感覚を感じさせるという違いがあるだろうか。

 最後の映像はおそらくカタロニア(バルセロナ)のコンテンポラリーダンスについてまとめたものだろうか。言葉が分からないので詳細は不明だが、もう出てこないかなと思いだす4分40秒すぎぐらいにトニ・ミラは登場して、身体の動きがなんらかのセンサーの働きでそのまま映像化されるようなメディアアート的作品のプレゼンテーションのようなことをしている。これも興味深いけれど、実はこの映像はほかのもちょっと面白いものが出ているので注目である。