下北沢通信

中西理の下北沢通信

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青年団リンク 玉田企画・玉田真也演出 映画美学校アクターズ・コース 2017年度公演「S高原から」(作・平田オリザ 演出・玉田真也)@アトリエ春風舎

青年団リンク 玉田企画・玉田真也演出 映画美学校アクターズ・コース 2017年度公演「S高原から」(作・平田オリザ)@アトリエ春風舎

『S高原から』という作品は、不治の病に侵され、その治療のためサナトリウムに住んでいる人たちの日常を描いた作品です。死を常に傍にあるものとして意識しつつも、そこに描かれている人たちは、僕らとあまり変わらず、噂話ではしゃいだり、色恋にのめりこんだり、食っては寝て、の繰り返しです。戯曲には、その俯瞰した視点によって、不治の病に侵された彼らと、僕らの間には何の違いもないのだということが描かれているように感じます。そこのところを意識して、くれぐれも深刻な顔をせず、あくまでも楽しく、力を抜いて、作品を作りたいと思ってます。(玉田真也)

映画美学校アクターズ・コースとは

1997年の開講以来、国内外で高く評価される映画作家を多数輩出してきた映画美学校が、「自立した俳優」「自ら創造できる俳優」の育成を目指し2011年に開講。映画と演劇が交わる場でもあり、これまでにも松井周演出『石のような水』、鎌田順也演出『友情』、佐々木透演出『Movie Sick』や万田邦敏監督『イヌミチ』、鈴木卓爾監督『ジョギング渡り鳥』(第8回TAMA映画賞特別賞)などを世に送り出している。2015年より文化庁の委託を受け「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」を開講。本公演はその修了公演となる。
*次年度の開講に関しては2018年4月に発表予定です


玉田真也(玉田企画 / 青年団演出部)

平田オリザが主宰する劇団青年団の演出部に所属。玉田企画で脚本と演出。日常の中にある、「変な空気」を精緻でリアルな口語体で再現する。観る者の、痛々しい思い出として封印している感覚をほじくり出し、その「痛さ」を俯瞰して笑いに変える作品が特徴。



出演

石山優太、加藤紗希、釜口恵太、神田朱未、小林未歩、髙羽快、高橋ルネ、田中祐理子、田端奏衛、豊島晴香、那木慧、那須愛美、本荘澪、湯川紋子(映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座2017)
川井檸檬  木下崇祥

スタッフ

舞台美術:谷佳那香
照明:井坂浩(青年団
衣装:根岸麻子(sunui)
宣伝美術:牧寿次郎
演出助手:大石恵美、竹内里紗
総合プロデューサー:井川耕一郎
修了公演監修:山内健司、兵藤公美
制作:井坂浩

映画美学校アクターズ・コースの卒業公演だとはいえ、玉田企画の玉田真也が演出というので「大爆笑」みたいな変化球を予想して見にいったのだが、これが意外とストレートに平田オリザの劇世界を具現化した正統派の現代口語演劇で、こういう言い方をしたら失礼に当たるかもしれないのだが、玉田の演出家としての手腕に感心させられた。
 「S高原から」は典型的なスタイルの平田演劇で、青年団でも何度にもわたり再演が繰り返され、私もいろんなキャストによるその上演を見ているのだが、今回の上演は学校の卒業公演的な性格の舞台ということもあり、経験がそれほど豊かとは言いがたい若い俳優らを中心としたキャスティングでありながら、これまで見た青年団の舞台と比べても遜色がなく思われた。もちろん、すべてのステージにおいてこのクオリティーが再現できるかが、プロの劇団との大きな違いでもあり、それが課題だが、ことこのステージに関していえばそれぞれのキャストの個性が生かされながら平田の戯曲がおりなす、人物の複雑な関係性を相当以上の精度で体現したと思われるものに仕上がっていた。
「S高原から」がどんな作品なのかについては以下の過去公演へのリンクで詳細に書いているからここで繰り返すことはあえてしないけれど、患者、看護師・医師ら病院スタッフ、見舞い客の3つのグループに登場人物は分けられるが、立場の違いで差異のないように接してはいてもそこには大きな意識の分断が生まれていることを実に巧みに平田オリザはえぐり出していく。
玉田自身はこの作品について「 『S高原から』という作品は、不治の病に侵され、その治療のためサナトリウムに住んでいる人たちの日常を描いた作品です。死を常に傍にあるものとして意識しつつも、そこに描かれている人たちは、僕らとあまり変わらず、噂話ではしゃいだり、色恋にのめりこんだり、食っては寝て、の繰り返しです。戯曲には、その俯瞰した視点によって、不治の病に侵された彼らと、僕らの間には何の違いもないのだということが描かれているように感じます」と書いている。
 もちろん、私たちは全員早い遅いの違いはあってもいずれは死ぬと定められた運命のもとにあるということは変わりない。だから、玉田の言うことには一理があるのだけれど、平田はそういう事実を共有しながら、「患者」と「病院のスタッフ」と「外部からここに来た人にはやはり大きな違いがあることを描き出す。
 もっとも大きな違いは彼らの「死」についての態度である。下界での日常生活では死の存在は掩蔽されている。ところがここに来るとそれを意識せざるをえないわけだが、そのため逆に患者の前では「死」や「病気」についてできるだけ触れないようにする。もっとも極端な例は画家の元パトロンの娘。かつて恋愛関係にあった彼女は「病気」などいっさいそこに存在しないように振る舞い、画家を退院させ休日に外国旅行に誘おうとする。
 別の見舞い客の女性はたずねてきたが、本人とはあたりさわりのない話しかせずに席をはずした隙に勝手に立ち去り、友人を通じて「結婚することにしたのでもう会えない」との伝言だけを伝えてくる。死と直接向かい合うことはせずに、もういないことにしたいのだ。
 一方、患者たち同士は逆に病気や死のことについて逆に饒舌になるのだが、彼らも言いよどむことがあって、それは未来のことだ。次の季節のことだったり、来年のことだったりするのだ。つまり、その時には会話の相手のどちらかはもうここにはいないかもしれないからだ。
映画美学校の修了公演は松田正隆作品をサンプルの松井周が演出したものとか、いくつかの作品を見ていて毎回レベルの高さに感心させられることが多いのだが、その中でも今回の出来映えは群を抜いていた。玉田に聞くと自分以外の脚本を演出するのは初めてということだったが、平田オリザ脚本との相性のよさは相当なもので、今回だけの企画として終わらせずにまた平田作品の演出をしてみてほしいと思った。
さらに付け加えれば玉田をはじめ青年団演出部あるいは青年団所属の演出家が平田オリザ作品を連続上演するような企画があれば面白いのにと思ったのである。
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