下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ナイロン100℃「ライフ・アフター・パンクロック」「カメラ≠万年筆」

ナイロン100℃「ライフ・アフター・パンクロック」「カメラ≠万年筆」

 ナイロン100℃の近過去劇2本立て 公演「ライフ・アフター・パンク・ロ ック」「カメラ≠万年筆」(1997年8/10=下 北沢ザ・スズナリ)は水島大学の映画 研究会の部室という同じセットを使っ た連作だ。新作の「ライフ~」が80年8月、再演の「カメラ~」が5年後 の85年の8月の出来事を描いている。
 いずれも群像会話劇で、KERAは平 田オリザが青年団による「カガクする 精神」「北限のサル」の連続公演から、 この公演形態を思い付いたというが、 狙いはかなり違っている。「カメラ~」 初演時にディティールを徹底的に凝る ことで85年の時代の雰囲気そのもの を再現しようとしたという意味で「近過去劇と名付けたい」と書いたのだが、 二本を続けて見るといわばKERAの80年代グラフィティーとでもいうべき 時代を映す鏡としての芝居という色合 いが一層はっきりと見える。

 とはいえ、二本の芝居を比べて見る とそれぞれ趣の違うものに仕上がって いる。「カメラ≠万年筆」は大手中心 の配給体制からバブル経済にも乗り、 自主映画の作り手が商業映画の世界に もどんどん進出するようになった当時 の風潮を反映して、映画作りそのもの がモチーフとなっている。

 水島大学映画研究会では八百万円と いう巨額の予算を使う大作自主映画「 オーガスト」の撮影が進行中である。  表題は劇中、みのすけ扮する映研OB の映画監督、安藤の言葉で示されるよ うにヌーベルバーグの批評家アレキサ ンダー・ストリックが映画の手法の発 展によって映像作家も作家が万年筆で 文章を書くように難解な哲学的なテー マから恋愛までカメラを使ってどんな ことも自由に映像化できると説明した 時に使った言葉「カメラ=万年筆」か ら来ている。

 冒頭付近で、主演女優を予定してい た女の子が突然映画で脱ぎたくないと いいだし、大騒ぎになるのにはじまり、 この撮影はトラブル続き。混乱が混乱 を呼び中止に追い込まれるのだが、こ の中でKERAは色恋ざたなど映画研究 会の中の思うにまかせぬ人間関係を提 示していくことで、いわば集団作業に よる創作活動である映画の小説とは違 う難しさと魅力を浮かび上がらせてい く。これが「カメラ≠万年筆」の意味 なのである。

 ここではもちろん映画作りのことが 語られているのだが、設定した八五年 の夏というのがこの舞台の最後に楽屋 落ちのように登場するようにナイロン 100℃の前身である劇団健康を旗揚げし た時であることを考えるとこれはKERA が経験してきた演劇やバンドなど同じ 集団による創作にもつながっていくテ ーマだというのが分かる。そして、こ うしたもろもろの挫折や借金にもめげ ず海外にロケハンに出掛けるミナトの 逞しさに十年以上の長きにわたって実 際ものを作り続けてきたKERAの創作 に対する矜持を感じたのである。

 一方、時代の雰囲気とも関係するの だろうが、同じ群像会話劇でも「カメ ラ≠万年筆」が映画を作ることそのも のをモチーフにしてシリアスな内容を 含んでいるのに対し、「ライフ~」は より肩の凝らない軽妙な青春コメディ ーといった色彩が強い

 自主映画の撮影の最中に散髪に行っ てしまい、周囲の人間から新入生神取 が責められる冒頭。「カメラ~」の冒 頭と呼応する趣向だが、そこにはもの を作る人間の苦悩はみじんもない。途 中で挿入されるいいかげんな自主映画 のフィルムに象徴されるように展開さ れるのはなんとも能天気な光景だ。

八〇年を描いた舞台作品としては平田 オリザの「冒険王」が思いだされるが 、犬山犬子演じる中近東帰りの先輩は そのパロディーか。平田の作品はイラ ン・イラク戦争など激動の現代史のな かであくまで軽薄な日本人旅行者を描 いた作品だったが、国内の学生の軽薄 さはその比ではないわけだが、考えて みれば自分たちの学生時代もこんなも のだったのだという気がしてくる。

 二幕の構成になっていて、二幕目は その神取がナゾの死をとげ、それがそ れぞれの登場人物に影を落していく仕 掛けだが、なんとも軽薄な登場人物ら はそこからなにか人生にとっての重要 なものを学ぶわけでもない。神取の死 についてもポスターの裏に書かれたサ ヨナラの文字から自殺かもしれないこ とが暗示されるものの、これもそのは っきりした理由が提示されるわけでは ない。

 KERAが取り上げた八〇年は山口百 恵だった。神取が髪を切った理由が引 退コンサートのチケット争奪戦(確か ハガキの申込みによる抽選だった)に 敗れたショックというのは冗談のよう な設定だが本人は映画のことより必死 なのである。

 この芝居でも「カメラ~」同様、ウ ォークマン、ヒゲダンス、竹の子族と いった当時の風俗をうまく生かし、デ ィティールを重視して時代の雰囲気を 表現していく手法はなかなか見事であ る。

 峯村リエ、工事現場2号、田辺謙一 郎、犬山犬子ら個性の強い役者を集め それぞれの魅力を引きだし、飽きさせ ない脚本、演出の力はコメディーの作 り手として手だれの技を感じさせた。