維新派「さかしま」/奈良・室生で見た野外劇の興趣に満ちた舞台
中西 理<演劇コラムニスト>
維新派「さかしま」(7月21日7時~)を奈良・室生村の室生村総合運動公園内健民グラウンドの特設舞台で観劇した。
「さかしま」は最近の維新派の舞台としては出色の出来栄えだった。美術などの面ではホームグラウンドだった大阪・南港で上演された「南風」「水街」などと比べると途中で出てくる零戦を除けば巨大なものはなく、細部のディティールの魅力に欠ける物足りなさはある。グラウンドの広い空間をフルに使うという無謀な企てでもあり、最初のうちはやや散漫な印象もなくもなかった。ただ、中盤以降の照明を駆使した空間の構成力に凄さには演出家、松本雄吉の底力を感じさせられ、室生村という土地の持つ場の力を活用したという意味ではいかにも野外劇の興趣に満ちた舞台であった。広い空間ゆえに最初のうちはあちらこちらに同時多発的に展開される群舞やパフォーマンスに目線が定まらなかったのだが、舞台の進行にしたがってしだいに喘息により闘病生活を送っている少女、なずなを中心に展開していく幻想の世界に引き込まれていき、ラストシーン近くでは滅多にないことだが背筋がぞっとしてくるようほどの凄みが伝わってきた。
薄暮の中、内橋和久の即興演奏がはじまるとグラウンド一面に200本ものひまわりの造花。水平線の彼方には入道雲を模った書割り。その先、正面方向には山並みが見える。山並みに反響する蝉の鳴き声。それを借景に役者がグラウンド狭しと次々に現れ、音楽に合わせてパフォーマンス逆立ちしたり。
やがて、ひまわりの花がすべて取り払われるとそこにただひとり少女、なずな(春口智美)が残され「トーキー」の声。宇宙が深呼吸するようなボイスパフォーマンスで舞台はスタートする。
これは喘息を患い高熱に生死をさまようなずなを巡る物語である。彼女と仲良しのやよい(小山加油)、あすか(石本由美)の3人組。しりとり遊び、野球、かけっこ、麦わら帽子と虫取り網、海水浴。そして、夏休みの観察日記。いつのまにか少女の幻想は時空を飛び越える。戦時化の少年兵とラグビーに興ずる日々。しかし、いつか時は過ぎ去り、少年たちは戦闘機に乗り特攻で青空に散っていく。自分とよく似た中国人の少女。それは若き日の母親の姿だろうか。グラウンド広しと風にはためく洗濯物。それらのすべてが夏の記憶としてひとつながりのものになっていく。
最後の最後で照明が消され、空には満天の星だけがきらめいていることに観客は気付かされる。都会では絶対に味わえないまさに室生ならではの演出である。
「生と死の狭間」にさまようひとりの少女のベッドの中での幻想。それは現実ではありえない「さかしま」=さかさまの世界だ。冒頭のパフォーマー全員による象徴的な逆立ちのシーンは圧巻。今回はなずなら3人をはじめ個別の役名のある人物が登場するが、その周囲で同時多発的に展開していくパフォーマンスは前作「流星」の流れを受け継いでいるともいえそう。
維新派は今後、国内でも公演は大阪に本拠を置きながらも、場所との新たな出会いを求めて、日本国中を漂流していく構想を持っているらしいが、それはもし実現すればこの日本において維新派だけがなしうる公演形態となるのかもしれない。
それぞれの観客がそれぞれの方法で公演会場にたどり着く。ここからすでに維新派体験のイニシエーションははじまっているともいえる。これが維新派ならでは維新派だけの魅力なのである。
P.A.N.通信 Vol.35掲載