下北沢通信

中西理の下北沢通信

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エヴァとのシンクロ感じた儚への純愛 悪い芝居 vol.27「今日もしんでるあいしてる」@本多劇場(配信)

悪い芝居 vol.27「今日もしんでるあいしてる」@本多劇場(配信)

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今日もしんでるあいしてる

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配信の期限が3月31日までということに気が付き、急いで観劇してみた。劇場で初めて見たときにはコロナ禍の現状を揶揄したような独特の世界観などに気を取られて、そうは思わなかったが、配信を改めて観て、そして「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見た後でもう一度悪い芝居「今日もしんでるあいしてる」を見直してみて山崎彬には珍しいストレートなラブストーリーだと思った。
 もちろん、エヴァとこの舞台はまったく無関係ではあるのだけれど、死んでも蘇るという設定とだからこその純愛とは何かを考えた時にどこかシンクロするところがあると感じたのも確かなのだ。もちろん、山崎彬はいわゆるエヴァ世代よりはもっと若い世代であるし、この舞台も「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」公開よりずっと前に製作されているから直接の影響関係があるはずはないのだが、ここで描かれている九木大(牧田哲也)の九木儚(ココノキハカナ)への異常なまでの執着はまさに妄執と表現したくなるようなもので、観客である私が単純に感情移入できるような代物ではないのだが、エヴァにおけるゲンドウの妻ユイへの過剰な思いと重なり合うようなところがある。九木儚の死んでいるけど生き続けているという趣向を体現した文目ゆかりの存在感もエヴァ綾波レイ系のヒロイン像とシンクロするところがある。
ただ、「今日もしんでるあいしてる」が描いて「エヴァ」が描かなかった主題がひとつある。それは「老いと死」である。年を取らない存在である操縦士たちを描いていくエヴァはある種の死は何度も繰り返し描くが老いは描かない。「今日もしんでるあいしてる」には劇団☆新感線粟根まことが出演して、老いた後の九木大を演じる。年をとらない永遠の存在である儚に対し、彼女に自分の人生の最後まで寄り添った大は年老いて死んでいく。天寿を全うしたかに思える大の葬式の場面はこの舞台の最後に「ハッピーエンド」として描かれるのだが、粟根とほぼ同世代である自分にはかなり複雑な気持ちであり、それを全面的な祝祭とも受け入れがたい気分もあった。
 とはいえ、岡田太郎の劇中音楽は素晴らしくて、宇多田ヒカルの楽曲がエヴァ彩り、唯一という印象を与えたようにこの舞台を象徴するようなものとなっていたのではないかと思う。
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