下北沢通信

中西理の下北沢通信

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悪い芝居 vol.27「今日もしんでるあいしてる」@本多劇場

悪い芝居 vol.27「今日もしんでるあいしてる」@本多劇場

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今日もしんでるあいしてる

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悪い芝居 vol.27「今日もしんでるあいしてる」本多劇場で観劇した。悪い芝居初めての本多劇場での公演。悪い芝居はこのところ池袋の東京芸術劇場を主戦場としてきたので、本多劇場での舞台はキャパ的には何の不思議もないが、それでも以前、ナイロン100℃大人計画を見てきたこの劇場で悪い芝居を見たことには若干の感慨がないわけでもなかった。
ナイロン100℃大人計画の名前を出したのは若い劇団としては珍しく、悪い芝居の作風にオリジナルの劇中音楽の多用や娯楽性の重視などこうした90年代に活動した先行劇団に似た空気感を感じるからだ。とはいえ、例えば同じようにある種の微生物により死者が復活するという物語であっても大人計画の「愛の罰」*1に出てくるのがゾンビ的な怪物なのに対して、この「今日もしんでるあいしてる」に登場するのはより不老不死に近いような存在。「ポーの一族」のバンパネラを想起させるが、吸血鬼が自律的に生存し続ける存在なのに対し、この「死者」は寄り添う生者が庇護し続けることでかろうじて存在し続ける存在であるという違いがある。とはいえ、「死者」は歳をとらないけれど、寄り添う生者は歳を経て老化しついには死に至る存在という点では吸血鬼と人間の関係に似ていなくもない。
 物語は近未来のいつか、謎のはやり病が流行している世界のことを描いている。その感染症はコロナではないが、コロナ同様に人と人の接触によって感染し、そのために今回同様にライブなどの客前での表現行為は次々と中止となり、できなくなってしまう。コロナと違うのはこのウイルスに感染した人間はそれにより死んでしまうが、ウイルスの作用により死んだままでもまるで生きているように振る舞い続けるようになる。とはいえ、しんでいるからその人は生きた人のように成長も老化もしないし、時間の経過とともに過去に経験した出来事の記憶も少しづつ失っていくのだ。
 この物語で妻(文目ゆかり)の九木儚(ココノキハカナ)がこの病で「死者」となった後も愛する妻に寄り添い守り続ける男(牧田哲也)。彼氏(内田健司)への自殺幇助の罪で女(潮みか)は刑務所に入ったが、出所したら彼は「死者」としてまだそこにいた。冒頭では「ポーの一族」のことを引き合いに出したが、より近いかもしれない設定として思い出したのはタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」であろうか。いずれにせよ2組のカップルを中心として人間の生と死と愛することの意味を正面から問いかけるような内容となっており、主題自体は重いものであり、山崎彬がこのコロナ禍の中で人間の生死について改めて考えを巡らせた中で生まれた作品には違いないだろうと思う。
 一方では今風にいえばYoutuber集団のように集まって互いに刺激を与えあい表現活動をしていた集団が感染症の前にその活動が雲散霧消していく姿も描かれる。
 舞台中央に据えられた円柱形の枠組みに白い幕がかけられた舞台美術に映像がスクリーンのように映されたり、幕が開け閉めされることで舞台上の転換がスピーディーになされていく、演出の仕掛けが巧みだった。 今回は生出演はしていないが、すべての楽曲を提供している岡田太郎の劇中音楽も悪い芝居ならではの魅力だ。
 キャストでは悪い芝居は外部から客演で招く女優の選択が絶妙なのだが、今回はヒロインである九木儚役の文目ゆかりのキャスティングが素晴らしかった。この人を見たのはおそらく初めてで、どんな役でもこなせるような器用なタイプには到底思えないが文字通り役名の儚に似合うような儚さを体現していて忘れがたい印象を残した。全然タイプは違うのだがちょうど大人計画の「愛の罰」のことを思い起こしていたこともあり、ワンアンドオンリーの存在としては大人計画のかつてのヒロインであった新井亜樹のことを思い起こさせた。
 劇団☆新感線粟根まことの出演もこの本多劇場が初めてだった悪い芝居にとっては大きな意味があったのではないかと思った。

作・演出:山崎彬
出演:植田順平、潮みか、東直輝、香月ハル、関口きらら、南岡萌愛、山崎彬 / 牧田哲也、文目ゆかり、内田健司、キムアス、井上メテオ / 粟根まこと
2021年2月14日(日)~21日(日)
東京都 本多劇場