下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ネタバレあり。ヨーロッパ企画流歌舞伎。ゲーム的リアリズムの極致。ヨーロッパ企画第40回公演「九十九龍城」@下北沢・本多劇場

ヨーロッパ企画第40回公演「九十九龍城」@下北沢・本多劇場

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ヨーロッパ企画「九十九龍城」本多劇場で観劇。上田誠脚本・演出作品としては昨年の演劇ベストアクトにも選んだ「夜は短し歩けよ乙女」を観劇しているが、ヨーロッパ企画*1の公演としては2019年の「ギョエー!旧校舎の77不思議」@関内ホール以来ひさびさの観劇となった。
実はかなり以前のことになるが、「悲劇喜劇」(2007年8月号)という演劇雑誌にヨーロッパ企画シベリア少女鉄道と一緒に取り上げたことがある*2
その中で「欧米のリアリズム演劇に起源を持つ現代演劇においてはアウトサイダーと見える彼らの発想だが、日本においてこうした発想は実は珍しくないのではないか。鶴屋南北らケレンを得意とした歌舞伎の座付き作者は似たような発想で劇作したんじゃないだろうか。舞台のための仕掛けづくりも彼らが拘りもっとも得意としたところでもあった。その意味ではこの二人は異端に見えて意外と日本演劇の伝統には忠実なのかもしれない」と上田誠と土屋亮一のことを評したのだが、西洋から導入されたリアリズム演劇に対して、歌舞伎から脈々と伝わる日本演劇の伝統の系譜のようなものを今回の「九十九龍城」を見て強く感じたのである。
以下ネタバレあり




















 「九十九龍城」は上田誠自身がかつて旅行して経験した香港の魔窟とも呼ばれていた九龍城*3での経験の強烈な印象がもとになっている。本物の九龍城は1994年に香港政府の手により解体され、消滅しているのだが、違法建築物が累積されて構築された特異なビジュアルはウィリアム・ギブソンらが書い電脳世界を描いたたサイパーバンクと呼ばれる小説群やさらにそこから影響を受けた映画作品(「ブレードランナー」「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」など)につながっていくものとなっている。
 この作品では本多劇場の舞台いっぱいに九十九龍城の一部を再現した巨大な美術セットが組み上げられている。そこには上下左右に区分けされた小部屋と看板の上に組まれた小空間が多数あり、そこに巣穴に棲むアリのように住民たちが暮らしている。巣穴のアリのような人々を外部の目が観察して、コメンタリーのように解説していくという劇構造は以前に「Windows5000」(2005年)という作品とまったく同じで、その作品は以下のように上記のヨーロッパ企画論の中核においた作品でもあったので、「焼き直しではないか」という疑いともっともヨーロッパ企画らしいと私が考えていた作品と似たアイデアの作品を再び見られるという期待感があいまぜになっていたのが前半だった。

ヨーロッパ企画上田誠も興味の中心が物語より自らが構築した構造の提示にあるというという点で土屋と近い感性を持つ。それがもっとも顕著に顕れているのが「Windows5000」(2005年)である。ヨーロッパ企画が「シチュエーションコメディを得意とする劇団」などと以前から言われてきたのに妙な違和感を感じていたが、全然違うのがこの作品ではっきりした。近未来。閉じられた空間の覗き見ができるソフトウエア「Windows5000」を駆使して、奇妙な集合住宅を覗き見する2人の男を描いている。その集合住宅の間取りがまた変なのだが、それを舞台上に実体としてビジュアル化させた舞台美術がまたまたユニークであった。
 いったいどういう発想からこんな変なことを思いついたのか。舞台の終わった後、上田に確かめたところ、「パソコンOSのWindowsをはじめ、パソコン上で広がるウインドウを面白いと以前から考えていて、それを実際の住居の窓と考え合わせて、パソコンをクリックするとそこから窓の中が覗き込めるソフトのようなものがあったら面白いと考えたのが出発点だった」らしい。舞台上で展開される「Windows5000」という覗き見ソフトの実際のビジュアルはおそらく、Google earthから来たのではないかと想像されるが、「ロードランナーズ・ハイ」でのファミコンゲームといい芝居とはあまり関係ない要素を見事に舞台に組み込んで、それを具現化してしまうところにこの集団の既存の演劇とまったく違う発想がある。

実はこの作品はもともとは「Windows5000」の再演をしようというところから考えて始めた作品だったらしく、そうした風味を受け継いでいるのだが、後半部分になると静的な構造しかなかった「Windows5000」から一転して、外連味溢れるダイナミックな展開になる。ここで改めて以前に書いたヨーロッパ企画論のことを改めて思い出したのだが、ひとりの俳優が次々と何役も演じ分ける早変わりや大仕掛けによる竜の大暴れなどこれはヨーロッパ企画流歌舞伎ではなかったかとも考えさせられたのだ。
物語的には外部から電子的なスコープのようなもので観察していた二人の刑事が九十九龍城の中に突然入りこんでしまったり、そもそも部屋の中が自由に覗けるスコープって何なのだ???というような細かい設定上の齟齬とも思われる疑問が中段までは脳裏から去らないのだが、この九十九龍城の世界は現実世界ではなく、竜を狩るというモンスターハンターのようなアドベンチャーゲームの中にバグのように存在している領域だというウルトラCのような設定が現れて、大道具大仕掛けや半透明のスクリーン上に映し出される竜やエフェクトが生身の俳優の演技と組み合わせられることで展開される怒涛のスペクタクルをただただ堪能させられることになった。物語の最後にこうしたバグはゲーム運営の手によって解消され、何も起きなかった日常の世界に戻ってしまうのだが、ここにはある種の自治組織、アジールとして存在していた九龍城が香港政府の手によって解体され整地されてしまったことの後を追うように今度は中国政府の手により香港自身が同じ運命をたどり、自治を失ってしまった運命の皮肉をこの「九十九龍城」と重ね合わせているのではないかと感じた。
 上田誠は「夜は短し歩けよ乙女」では歌舞伎俳優の中村壱太郎主演作の脚本演出を担当、そのことが今回の舞台での歌舞伎的けれんの演出とどこまで関係しているかははっきりとは分からないが、「九十九龍城」を見てすぐに考えたのは劇団☆新感線がかつて市川染五郎(現松本幸四郎)と組んで「アテルイ」などいのうえ歌舞伎の名作を創作したように中村壱太郎と組んで「うえだ歌舞伎」を見せてほしい。今回の「九十九龍城」を見ても舞台美術の仕掛けや映像などこれまでになかった歌舞伎を見ることができそうだと感じたからだ。

作・演出
上田誠

出演
石田剛太
酒井善史
角田貴志
諏訪雅
土佐和成
中川晴樹
永野宗典
西村直子
藤谷理子
本多力

金丸慎太郎
早織



2年ぶりの本公演は魔窟劇です。
今のご時世、なんでもネットで見れると思ったら大間違いで、アジアの知られざる魔境、九十九龍城のことを描きます。あの体験は強烈でした。僕が今まで見てきたものなんて世界のほんの表層なのだな、と思わされたものです。映画より映画みたいな世界があると知ったし、愛や倫理はおしなべて綺麗ごとだと知りました。我々が日常的に口にしているあのジャンクフードの出どころも、七色の水も、点心の中に龍がいることも。夢だったにしては鮮烈で、コルクボードには今も九十九龍城の人たちと撮った写真が貼ってあります。またとない景色を、親愛なる人々を、お見せします。劇場へ覗きに来てください。劇もきみを覗いています。(上田誠)