下北沢通信

中西理の下北沢通信

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劇団チョコレートケーキ「追憶のアリラン」@東京芸術劇場

劇団チョコレートケーキ「追憶のアリラン」@東京芸術劇場


 劇団チョコレートケーキの戦争演劇6作品一挙上演の最初の作品として「追憶のアリラン(古川健作、日澤雄介演出)を見た。まだこれしか見てはいないが、戦争演劇とはいえ今回選ばれたのは太平洋戦争に直接かかわる作品群のみだ。劇チョコにはこれ以外にもナチスドイツやイスラエルに関わる作品や戦時中の細菌兵器開発にかかわる作品もあるから、歴史上の出来事を描いた作品が多い同劇団とはいえ、戦争を主題とした作品が多いことには改めて驚かされた。
 「追憶のアリラン」で描かれたのは戦争終盤の朝鮮半島である。その中でも後に北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)となる地域で公務に従事した検事らが描かれる。「日韓併合」という植民地支配のなかで現地の朝鮮人のことを下に見る意識が一般化している実情はかつて平田オリザが「ソウル市民」などでも描いた。
 そういう中でも軍部などの圧力に抗して、朝鮮人が不当な扱いを受けないように奔走した主人公を佐藤誓が好演した。彼らは大日本帝国の支配組織の一員であったという理由で朝鮮人から憎まれ、いわば「戦犯」として断罪されていく。その姿が「追憶のアリラン」では淡々と描かれていく。
 興味深いのは朝鮮半島北部が旧ソ連によって事実上占領されていく中で、日本人を裁く人民裁判朝鮮人たちも単なる戦争犯罪を裁くという建前の背後にスターリン政権の下で粛清を避けて、自らのサバイブをかける高度に政治的な判断が行われる様子も克明に描写されることだ。
 そして裁かれる日本人検事も裁く朝鮮人人民裁判担当者も権力におもねる官憲と言う意味で違いはないのではないかということも提示していく。
 戦争を描いた作品の場合、被害者としての悲惨を重視した作品(「火垂るの墓」など多数の傑作も含まれる)か戦争加害者に対する糾弾のような作品が多い。その中にも一方に偏らない立ち位置で出来事を語りたいという意思は「追憶のアリラン」からは感じられ、そこには好感が持てる。
 とはいえ、作品内でのそれぞれの人物の配置を見ると若干型にはまりすぎてステレオタイプなのではないかという印象もないではない。新劇など旧左翼系演劇からの流れによるものか、軍部=悪、一般市民=無辜の人々みたいな図式が演劇においてはまだ多い。ならばなぜそういう悲劇は往々にして再三起こるのかを描かないと単なる正義感の発露に終わってしまう。一定のカタルシスは得られたとしてもそれは自己満足であり、演劇として作品にする意義はあまりない。
 現代にいたる日本と韓国・北朝鮮にかかわる諸問題にもこうした出来事がつながっていることも描かれていることも評価したい。旧ソ連北朝鮮支配者に認定した金日成らの手によりこの後粛清されただろう人民裁判側の2人をはじめ、シベリア抑留の挙句おそらく日本には帰ることができずに亡くなっただろう日本人上級検事の2人、戦中、戦後を生き抜きながらもその正義感や人のよさから金日成体制のなかで到底生き延びられたとは思えない朝鮮人2人ら描かれていないこの後の運命にも想いを馳せることになる。朝鮮半島の問題を観客の個々が考えるきっかけになるのではないだろうか。
  

追憶のアリラン(2015年初演)
1945年8月、朝鮮半島は35年の長きにわたる日本の支配から解放された。
喜びに沸く半島で、在朝の日本人は大きな混乱に巻き込まれた。
拘束され、裁かれる大日本帝国の公人たち。罪状は[支配の罪]。

70年前、彼の地朝鮮半島で何が起こったのか?

一人の日本人官僚の目を通して語られる『命の記憶』の物語。

【出演】
浅井伸治(劇団チョコレートケーキ)
佐藤 誓/辻 親八(劇団トローチ)/大内厚雄(演劇集団キャラメルボックス)/原口健太郎(劇団桟敷童子)/佐瀬弘幸(SASENCOMMUN)/谷仲恵輔(JACROW)/菊池 豪(Peachboys)/渡邊りょう/林 明寛/小口ふみか/月影 瞳

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