下北沢通信

中西理の下北沢通信

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フカイジュンコのプロデュース「キムユス氏」@こまばアゴラ劇場

カイジュンコのプロデュース「キムユス氏」@こまばアゴラ劇場


カイジュンコのプロデュース「キムユス氏」@こまばアゴラ劇場を観劇。FUKAIPRODUCE羽衣所属の俳優、キムユスによる半自伝的な内容のひとり芝居である。公式サイトのクレジットではプロデュース:深井順子 企画協力:池田亮(ゆうめい)となっていたが、キムユス、深井順子からの聞き書きやキムユス自らが書いてきた自伝的な回想の文章をもとに池田亮が虚構も交えた脚本を執筆、演出も務めたもので、実質的には実際に起きた出来事と虚構を交えていく作風はゆうめいの作品に非常に近い印象を受けた。
 とはいえ、ゆうめいは池田亮自身やその家族を題材とすることが多いので、そうしたドキュメンタリーと虚構の融合をほかの人にも広げていった場合どんなものが出来上がるのかということについてのひとつの試金石のようにも思われて、そこも面白かった*1
 「キムユスによる半自伝的な内容のひとり芝居」と冒頭では書いたが、この作品が面白いのはキムユス自らが自分のことを回想する、あるいは演じるという形式ではなくて、キムユス以外にもうひとり「私」的な視点の別人物を設定、キムユスを彼の少年時代の同級生とすることで昔のキムユスを外部から描きだす。
 そして最近になってキムユスが風俗店に通い何もしないで手をつなぐだけの行為を繰り返し、手紙を渡すというという奇行を起こしたことがきっかけとなり、ふたりが再会。そこからのふたりを俳優「キムユス」がひとり二役で演じるという「自伝的ひとり芝居」と呼ぶにはかなり変則的な構成となっている。
 演出的に面白いのは舞台上には出演者(キムユス)以外に二体のマネキンがあり、二人以外の登場人物はすべてそれに代行させる。さらにキムユスと「私」の対話はマネキンと俳優による一人二役により演じられ、演技の最中にマネキンに野球帽をかぶせたり、自分がかぶったりするのだが、帽子の移動により人物が入れ替わる。つまり帽子をかぶっている方が常にキムユスであり、帽子が移動すると人物が入れ替わるという仕掛けなのだ。

カイジュンコのプロデュース
キムユス氏
プロデュース:深井順子 企画協力:池田亮(ゆうめい)

出演
キムユス(FUKAIPRODUCE羽衣)

スタッフ
舞台監督:安田美知子
照明:中山奈美
宣伝美術:りょこ
当日運営:黒澤たける

*1:ゆうめいの作品をすべてフォローしているわけではないので、今回に似た趣向の作品はあるのかもしれない。池田亮が岩井秀人から影響を受けているのは間違いなくて、岩井の「ワレワレのモロモロ」がまさに類似の趣向の公演だからだ。その作品にはさらに元がありそれは映画「幕が上がる」にも登場する。