下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

東京芸術祭2020 芸劇オータムセレクション「ダークマスター VR」@東京芸術劇場

東京芸術祭2020 芸劇オータムセレクション「ダークマスター VR」@東京芸術劇場

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 上映時間正味50分程度だから、正直言って演劇公演と考えると物足りない部分があることは間違いないけれども、体験としてはきわめて刺激的だった。技術的にはライゾマティクスリサーチとMIKIKOが以前行った公演*1に近いかもしれないが、ライゾマは生(リアルタイム)でやっているので、あらかじめ収録されたものを流している今回の公演を「VR演劇」などと呼ぶのは間違っているような気はする。 
 会場内には20席強のブースが用意されていて、ブースに入ると目の前の台の上に立体映像が映るVRゴーグルとヘッドフォンが置かれていて、入場者はそれを装着する。
 庭劇団ぺニノの『ダークマスター』は以前、こまばアゴラ劇場で観たことがあり*2、物語は設定の背景などは省略されているものの、客として偶然訪れた男(今回は女かもしれない設定)が食堂のカウンターの中にいたマスターにやとわれて、月50万円というかなりの高額収入でマスターの代わりにカウンターのなかで料理を作る仕事をはじめる、という物語の設定は踏襲されている。
演劇版の「ダークマスター」はリアルな舞台装置で狭いカウンター席だけの食堂(キッチン)が作られていて、全体としては客席の背後から店内を覗き込むような観察的な視点で作品が作られているのに対して、「ダークマスターVR」がゲーム的な一人称視点(いわゆるカメラアイ)。カウンターの客席側からはじまって、その次はカウンターの内側で、耳に仕掛けられたマイクロスピーカーからのマスターの命令通りに料理を作って客に提供する様子を追体験することになる。
 ダークマスターというのは食堂のマスターと同時にダークマスター(闇からの支配者)というダブルミーニングで、ここで働くことになった男(女)はマスターの命令通りに動いているうちに次第にマスターに五感を奪われて、同一化していってしまうという一種のホラーめいた奇譚となっているが、それが最初、食欲(食)からスタートし、次はトイレに行くことを命令され、排泄欲を支配され、最終的に性欲まで支配されることになる。最後のシーンはかなりショッキングなもので今回の作品の肝だと思うが、この作品がそのまま面白かったというよりはこうした技術に今後どのような可能性があるのか*3について、考えさせられたことが今回の観劇の最大の成果だったかもしれない。

原作・画
原作:狩撫麻礼
画:泉晴紀 (株)エンターブレイン「オトナの漫画」所収

脚色・演出
タニノクロウ
庭劇団ぺニノの代表作『ダークマスター』が、VR作品に!?
2003年の初演から根強い人気を誇り、国内のみならず、近年はフランス、オーストラリアでの上演もおこなった『ダークマスター』。2020年の東京で、前代未聞のVR(ヴァーチャル・リアリティ)作品として上演します。

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:近い将来、確実に性風俗的なものには活用されることになるはずと思う。

惑星ピスタチオ『破壊ランナー』(1995年)@Youtubeプレミア公開

惑星ピスタチオ『破壊ランナー』(1995年)@Youtubeプレミア公開


惑星ピスタチオ『破壊ランナー』(1995年)
 25年の年月を経た後でも古びていない演出が素晴らしいと思う。幕間的な個人技部門も当時はちょっと、くどすぎるんじゃないかと思ったこともあったが、今映像で見ると作品を超えて俳優個々の魅力が伝わってくるし、生と比べると持続的に集中することが難しい映像では絶妙の箸休めの時間になっていることに気が付いた。

作・演出/西田シャトナー

出演
豹二郎ダイアモンド 他/腹筋善之介
リンコ・スカイウイング 他/平和堂ミラノ
黒川フランク 他/保村大和
ライデン 他/高橋俊博
スパイク 他/佐々木蔵之介
キャデラック 他/宇田尚純
カルリシア 他/遠坂百合子
豹二郎の監督 他/いちいりえ
早井速三 他/福岡ゆみこ

スタッフ
照明:大塚雅史
音響:Alain Nouveau
音楽:高尾守
衣装:サイトウマサミ
美術:橘 信行
舞台監督:宮井太
中継制作:油谷真一
中継技術:鈴木隆
制作:登紀子

■1994.12/27~1995.1/6 新宿 シアタートップス
■1995.1/10~16 伊丹 AI・HALL
2020/10/17にプレミア公開
※収録はAI・HALLにて

Eine Feige ダンス映像配信 ソロダンス『うつしみ、絶え間なく』@Youtube配信

Eine Feige ダンス映像配信 ソロダンス『うつしみ、絶え間なく』@Youtube配信


Eine Feige ダンス映像配信 ソロダンス『うつしみ、絶え間なく』
 Eine Feige(木村愛子)はこまばアゴラ劇場で当初予定していたダンス公演、群舞『人はどこまで進化を望むのか?』、ソロダンス『人はどこまで進化を望むのか?』 or 『決して来ない季節』の上演をコロナ禍の状況を鑑みて断念。代わりにこまばアゴラ劇場ならびに周辺においてダンス映像作品『うつしみ、絶え間なく』を製作、映像配信することにした。
 木村愛子のダンス作品は音楽に乗せて、身体のムーブメントを見せていくという類のものではなく、舞台の上でのダンサーの身体の微細な変容を同じ空間を共有する観客に体験させていくという種類のダンスだ。作品は前半ほとんど何の音楽もなく、パフォーマーの息遣いだけが聞こえるというようなものであり、ダンサーがやろうとしていること具現化しようと考えていることを汲み取るには実際の生の舞台でさえ、相当以上に研ぎ澄まされた集中力が必要な類の作品である。映像を見るとこの木村愛子というダンサーが鍛錬された肉体を持ち、それを舞台で舞踊として演じるだけの優れたスキルを持っていることは理解できるのだけれど、身体の微細なあり様を汲み取ることは映像を通してではかなり難しいという風に思えた。
 もしかしたら、劇場などで映写された映像作品として見ていればもう少し違う印象を受けたのかもしれないが、小さなパソコン画面からでは作品の真価を受け取ることは困難であったかもしれない。
 ダンスにもいろいろあるが、こういう種類のダンスはやはり生で観たかったというのが正直な感想だ。

9月19日(土)から予定しておりましたEine Feigeの新作群舞『人はどこまで進化を望むのか?』同時上演ソロダンス『人はどこまで進化を望むのか?』 or 『決して来ない季節』の公演につきまして、東京都での新型コロナウイルス感染症の感染状況を受け、カンパニー側の意向から、公演形態、演目の変更が決定致しました。

【変更前】
9月19日(土)~22日(火) Eine Feige
新作群舞『人はどこまで進化を望むのか?』
同時上演ソロダンス『人はどこまで進化を望むのか?』 or 『決して来ない季節』

【変更後】
<無観客上演>Eine Feige ダンス映像配信 
◆新作ソロダンス『うつしみ、絶え間なく』(一般・支援会員ともに無料公開)
撮影場所:こまばアゴラ劇場 
公開期間:10月8日(木)~

<無観客上演>
Eine Feige ダンス映像配信 
新作ソロダンス『うつしみ、絶え間なく』

振付・出演:木村愛
撮影・編集:深田隆之
撮影場所:こまばアゴラ劇場 

こまばアゴラ劇場で制作した、初のダンス映像作品。
昨年より予定していた生の舞台公演は、コロナ禍という状況の中で、残念ですが見送らざるを終えませんでした。
未だ終息の兆しが見えにくい状態がつづいています。しかし、だからこそ見えてきたことも少なくありません。

眼の前にある等身大の自分自身の、これまでとこれからについてのソロダンス。こまばアゴラ劇場の息づき。
現在の姿、うつしみとは何なのか。

また同時に、2019年10月『季節外れの呼吸をするとき』の公演映像も、10月18日(日)までの期間限定で公開しています。
Eine Feigeダンス公演『季節外れの呼吸をするとき』 https://youtu.be/nMj-_Qzew_I
こちらも合わせてご覧頂けますと幸いです。

最後になりますが、このような公演形態の変更を快く受け入れサポートして下さいました、こまばアゴラ劇場、そのスタッフのみなさん、一緒に作品制作をしてくれた映像の深田隆之さんをはじめ、様々な面において助けてくれた強力なスタッフ陣に、心より感謝を申し上げます。

振付・出演:木村愛
撮影・編集:深田隆之
照明プラン:南香織  
音楽:平田もも子  
演出助手:田村芽衣
協力:中村友美、上田茉衣子、山添平、和泉柚葉、横溝りん

芸術総監督:平田オリザ  
技術協力:黒澤多生(アゴラ企画)  
制作協力:蜂巣もも(アゴラ企画)

企画制作:Eine Feige /(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
助成:文化庁文化芸術振興費補助金 (劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会


Eine Feigeダンス公演『季節外れの呼吸をするとき』

「TRAVEL FANTASISTA」はOfficial髭男dism藤原聡による有安杏果への提供曲 有安杏果 Pop Step Zepp Tour 2019「TRAVEL FANTASISTA」@Youtube

有安杏果 Pop Step Zepp Tour 2019「TRAVEL FANTASISTA」@2020/10/14 22時~プレミア公開


有安杏果 Pop Step Zepp Tour 2019「TRAVEL FANTASISTA」

「TRAVEL FANTASISTA」
作詞・作曲:藤原聡
編曲: Official髭男dism


有安杏果 (Ariyasu Momoka ) Pop Step Zepp Tour 2019
「TRAVEL FANTASISTA」ライブ映像
2019年8月13日(火)@Zepp Tokyo

★Band Member
G:福原将宜、B:山口寛雄、Dr:玉田豊夢、Key:宮崎裕介

simokitazawa.hatenablog.com

フィロノス、アメフラっシ、ukkaが下北沢の配信ライブハウスフェスに参加 AION CARNIVAL@配信(アーカイブ)

AION CARNIVAL@配信(アーカイブ

 下北沢の複数のライブハウスを拠点とした無観客配信ライブフェスをアーカイブ購入で見た。アメフラっシが参加したというので、気になって調べたのだが、ほとんどのライブハウスが実質的に休業中の現在、少しでも稼働してもらおうと例年にも増して、こういうイベントは増えているのかもしれない。
 面白いのはこのフェスはTIFや@JAMのようなアイドルフェスではないから、チケットを購入して見るのはアイドルを普段から見ているアイドルファンだけではないことで、フィロソフィーのダンスが参加しているのは陣営がその実力に自信を持っているからに違いなく、スタプラからアメフラっシ、ukkaの2グループが参加したのも対バンや武者修行的な意味合いが強いのではないかと思う。
 と書きながらフィロソフィーのダンスのライブを見てみたら彼女たちが出てくるのが下北沢ガーデンというライブハウスで、今ほどメジャーじゃない時期に何度もここに出て育ててもらったという意識があっての出演らしい。こういうのはライブハウスにとってもすごく嬉しいのじゃないか。そういう風に考えてもう一度出演者リストを見てみると、下北沢ガーデンには竹中直人の名前もあり、これもそういうことなのかもしれない。
 notallはずいぶん前にももクロの外周ライブで見て以来ひさしぶりに見たが、その時よりずいぶん歌もダンスもうまくなっていると思った。それはそのころ、一緒に外周ステージで頑張っていたスタプラ内のグループについてもそうなので、アイドルはしばらく見ないでいるととんでもなく、変わるということと、そのためにはやはりその時点では多少下手に聞こえたとしても生歌で歌い続けたグループだけに起こることだということだ。
 この日見たアイドルグループの中ではフィロソフィーのダンスの完成度が圧倒的に高いわけだが、フィロノスの後にアメフラっシを見てて、そして愛来のポテンシャルを見て、このグループはいまはまだ稚拙に見える部分もあるし、年齢ももっとも年長の萌花が19歳と実際にも若いので難しい部分もあるけれど、もうしばらくしたらフィロノスのような大人っぽい歌も歌いこなすようになるのにそんなに時間がかからないのではないかと思った。
 そして、配信の最後に見たのが、後藤まりこアコースティックviolence POP。凄い。そして、ひどい(笑い)。

アメフラっシ
ukka
notall
lyrical school
群青の世界
フィロソフィーのダンス
ゲントウキ竹中直人
Pimm’s
おやすみホログラム
後藤まりこアコースティックviolence POP
AION CARNIVAL/クロスオーバースペシャルセッション!!

TOKYOIDOLFESTIVAL(スタプラ3日目以外のアイドル、アーカイブ含む)

TOKYOIDOLFESTIVAL(スタプラ3日目以外のアイドル、アーカイブ含む)

今年の TOKYOIDOLFESTIVALにはももクロが10年ぶりに参加したこともあってか、スターダストプロモーション所属のアイドルグループが勢ぞろい。タイムスケジュールでもそれだけを見ているとほとんど埋まってしまう状態で、他のグループのアイドルはあまり生配信時には見ることができなかったが、後日アーカイブなどでライブ映像を一部見ることができた。その中で注目したグループについていくつか感想を書きたいと思う。
 この日スタプラアイドルと並んで注目していたのがZOCのパフォーマンスである。いいらしいという評判を各所から聞いていたし、最近avexとメジャー契約したばかりで、まだ見たことがなかったので、どんなパフォーマンスをするのかが気になっていたからだ。
 プロデューサーで楽曲提供もしているうえにメンバーの一員でもある大森靖子のライブは中継などで何度か見たことがあるので、その辺りからライブの方向性を予測していたのだが、大森だけでなく他のメンバーも歌がうまくて、驚かされた。元スマイレージの巫まろも参加しているので彼女がうまいのは当然ともいえるが、ほかにもけっこう歌える子がいて、WACKのグループなどと重なるようなイメージでいたらTIF向けに「アイドル・ソング」などを持ってきた選曲もあるとは思うが、意外とアイドルっぽいのでそれもびっくりした。
 ラスト、5曲目の『A INNOCENCE』がアカペラで披露されたことにも驚かされた。この曲にはこのTIFにかけるZOCの意気込みが込められていたと思う。特に歌は激しく乱れ、音程も狂うのでそのことをああだこうだ言っていた人たちもいたようだが、魂の歌唱だったと思う。 

BiSH Live at Tokyo Idol Festival TiF 2020.10.04
 スタプラ勢がトップのももクロをはじめ、今年のTIFに対し超本気を感じさせたのに対し、BiSHをはじめとするWACK勢はどうだったのだろうか。配信当日はスタプラ勢とスケジュールが重なっていたこともあり、いくつかのブロックをつまみ食い的に見ることしかできなかったが、このTIFにかけての乾坤一擲のパフォーマンスという風には見えずファン向けのお楽しみ的なイベントとしてこれを使ったようにしか見えなかった*1

DA DANCE
PARADISES「YEAH!!」
I Am Me.
WAggの素晴らしき世界
アイデンティティ (Identity)
MONSTERS
BiSH-星が瞬く夜に- (BiSH-Hoshi ga matataku youruni)

 BiSHを覗いてみたら全然知らない歌を歌っていたので、私が最近フォローできていないだけでこういう曲もあるのかとも思ったがどうやらこの時はWACKの後輩グループの曲を歌っていたようだ。「MONSTERS」「BiSH-星が瞬く夜に- 」*2と続く、最後の2曲は持ち直しているようだが、BiSHの場合どうも配信ライブだと本来のポテンシャルを出し切れていないように思えた。こちらの有観客時のパフォーマンス*3。と比較すれば一目瞭然である。
 BiSは現体制になってからは初めて見た。BiSという名前だけどこれはもう前に存在していた同じ名前のグループとは完全に別物だなと思った。正直言ってまだ子供にしか見えないのだけれど、歌唱力のあるメンバーが複数いるので今後どういうグループになっていくか楽しみである。とはいえ、おかしな歌詞の歌を歌わされていても*4正直言って今はまだやらされている感が強い。本人たちはどんな感じなんだろう。童顔なだけで全員本当は二十を超えているということはないよな。

26時のマスカレイド マスカレイドは眠らない「HOT STAGE TOKYO IDOL FESTIVAL オンライン2020」
当日はスタプラ中心の観戦となってしまったが、ネット上の感想などで気になったので初めて見てみて、かなり気にいってしまったのが、24時のマスカレードニジマス)である。容姿はかなりかわいい方だと思いはするのだが、そういうだけならば他にも幾多いるので、どこが気にいったのかというのを説明するのが、難しい。あえて言えば癒しであろうか。ももクロエビ中の影響が大きいためか、スタプラのアイドルたちがいずれも全力さや必死さが目立つ。ZOCやWACKもスタダと方向性は違うが、ぎりぎり感があるのが魅力だろう。そういう後で、彼女らのパフォーマンスを見ると何かぼっこりしてくる。上の映像などアーカイブの映像で最初に見た時には何を振っているのだろうと思っていたのだが、よくよく見るとニジマスのソフビフィギュア(?)のようなものを振り回している。ファンがネギを振っていたNEGICCOの系譜かなとも思うが、それ以上にバカバカしくて思わず笑ってしまうが、コロナ禍でタオル曲を振り回せない現状には相応しいグッズかもしれない。

26時のマスカレイド COLORS SKY STAGE TOKYO IDOL FESTIVAL オンライン 2020

26時のマスカレイド [ 26ji no Masquerade ] TOKYO IDOL FESTIVAL 2019 Hot Stage Day 2 FULL


日向坂46 live overture キュン ドレミソラシド ライブ

【ドレミソラシド】日向坂46 [x2] TIF2020

*1:本当は何か特別な意味があったのかもしれないが、ちょっと見にはそう見えてしまったということだ。

*2:「BiSH-星が瞬く夜に- 」はTIFでは歌いなれているからというのは冗談だとしても。

*3:www.youtube.com

*4:最後の曲「thousand crickets」に至っては歌っていない

ZOOMリーディング『遭難度F』(脚本:西田シャトナー)@Youtube

ZOOMリーディング『遭難度F』(脚本:西田シャトナー

雪山で遭難している人たちが実は……。ワンアイデアの短編ながら西田シャトナーらしい作品で面白かった。詳しい事情は不明なのだが、これはZOOMリーディングのために書かれた脚本だから新作なんだよなあ。15分弱の映像作品ですぐに見終えることができるので、興味を持った人はぜひ。


『遭難度F』(脚本:西田シャトナー)
Youtube

連載)平成の舞台芸術回想録第三部(1) 惑星ピスタチオ「破壊ランナー」

連載)平成の舞台芸術回想録第三部(1) 惑星ピスタチオ「破壊ランナー」

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www.youtube.com

 舞台「弱虫ペダル」などの演出で知られる2・5次元演劇の旗手、西田シャトナー惑星ピスタチオ時代(1993年初演)に上演した同劇団の代表作が「破壊ランナー」=写真は演劇情報誌Jamci1994年4月号の惑星ピスタチオ特集=である。
 西暦2700年代、人々は生身の人間が超音速で走るプロスポーツソニックラン」に熱狂していた。世界中のサーキットで、プロランナーたちがデッドヒートを繰り広げている中、デビュー以来負け知らずの連続世界チャンピオン、豹二郎ダイアモンドがいた。果たして、豹二郎を抜くランナーは現れるのか――。レースの背後でかつてない陰謀が動き出していた。
 「破壊ランナー」は遠い未来を舞台に新スポーツを巡る選手たちの激しいバトルを描き出す。こういうものは現在ならCGやマッピング技術を活用して、舞台上で展開することも可能だが、本来演劇にはあまり得手ではない主題(モチーフ)だ。しかし、惑星ピスタチオは独自の身体表現を駆使して生身の俳優だけでこの壮大な活劇を描き切った。
 惑星ピスタチオ神戸大学の学生劇団に所属していた腹筋善之介西田シャトナー平和堂ミラノ保村大和らによって1989年に結成、現在人気俳優としてしられる佐々木蔵之介の所属劇団であったことでも知られる。
 座長は腹筋善之介だが、主要な作品の作・演出を務めたのが西田シャトナーであった。80年代の小劇場ブームが去った後、ほとんどの劇団が動員を伸ばすのに苦労するなか、抜群の人気を誇り、「白血球ライダー」による東京進出以来、わずか1~2年の間に新宿シアターアップルなどの大劇場進出を果たし、年間数万人の動員を達成。「奇跡の劇団」と呼ばれることもあった。
 実は「弱虫ペダル」のレース場面*1はこの惑星ピスタチオ時代に西田らが編み出したパワーマイム、カメラワーク、スイッチプレイなどの独特の身体表現技法を駆使して作られたものである。試行錯誤のうえで作られたそうした独自の表現手法が方法論として確立したのが、この「破壊ランナー」といってもいい。
 パワーマイムとは小道具などを一切使わず、パントマイムと膨大な説明科白を駆使して場面描写や登場人物の心情を表現する手法である。当時は腹筋善之介保村大和が個人技を駆使して行うギャグシーンなどと誤解されることもあったが、本来はパフォーマーによる集団演技で観客の想像力を喚起させ、舞台上にスペクタクル映画の1シーンのような壮大な情景を浮かび上がらせる手法で、これはそのまま現在の「弱虫ペダル」の自転車競技シーンなどにも活用されている。
 スイッチプレイはそれまでの俳優=役の人物という演劇の固定観念を打ち破り、ひとりの俳優が複数の役を演じたり、逆にひとつの役が次々と複数の俳優に演じ継がれていく手法。チェルフィッチュ以降は役と俳優の分離は普通のこととなり、ままごと「あゆみ」のようなひとりの女性の一生を何人もの俳優で演じる作品も生まれたが、惑星ピスタチオはそうした演劇手法の先駆でもあった。
 一方、カメラワークはSF映画などによく使われたカメラの移動撮影による映像のような効果を演劇で実現する方法論であり、それまでの演劇ではほとんど見たことがないような発想であった。
 こうした手法ひとつにしても西田の演劇手法は「なにもない空間」*2を俳優の身体ひとつで何かに見せていくという演劇本来の魅力に溢れたものであり、先に挙げたカメラワーク、スイッチプレイなどと合わせて、演劇的実験精神において最前線にあると私は考えていた。
 ところが当時は注目が娯楽性の高さに集まっていたためか、その実験性や前衛性が批評の対象となることはほとんどなく*3、特に東京の批評家筋からは不当に低い評価しか受けていなかったことは今でも残念で仕方がない。
 あるいは現在の「弱虫ペダル」に至ってもその人気と比較して、そうした批評的評価はあまり聞かないのだが、例えば英国のテアトル・ド・コンプリシテやフランスのフィリップ・ジャンティ・カンパニーなどの身体表現的な集団を評価するのであればそうした側面からのこの集団の評価があまりされなかったのは不当な出来事だったと現在でも考えている*4
 惑星ピスタチオと同時代に平田オリザ青年団)が「東京ノート」で岸田戯曲賞を受賞。日本の現代演劇は現代口語演劇、群像会話劇へと大きく傾いていくが、惑星ピスタチオが当時試みた手法に近い身体表現はチェルフィッチュ以降現れた若手劇団により再度試みられることになった。
 実は10月17日にYoutube惑星ピスタチオ「破壊ランナー」(1995年版)の映像(上記で掲載)が無料公開されることになった。今こそチェルフィッチュ、ままごとなどを見た眼で若い演劇ファンにも惑星ピスタチオを再確認してほしい。
simokitazawa.hatenablog.com
「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第6回 惑星ピスタチオ西田シャトナー
d.hatena.ne.jp

平成の舞台芸術回想録第一部・第二部
simokitazawa.hatenablog.com

*1:
舞台『弱虫ペダル』インターハイ篇 The Second Order ダイジェスト映像

*2:

なにもない空間 (晶文選書)

なにもない空間 (晶文選書)

*3:ネット上の目撃談で1995年の新宿シアターTOPSでの公演に野田秀樹が英国の演出家と来ていたとの証言もあり、現場の注目はそうでもなかったのかもしれない。

*4:西田の演出手法が輸出されて、ブロードウエーやウエストエンドに逆進出し、向こうの批評家が評価した時初めて、日本での評価があるのかもしれない。2・5次元演劇は潜在的にはそういうポテンシャルを持っていると思う。

三島由紀夫作品を若手演出家が大劇場で演出 MISIMA2020『橋づくし』『憂国』@日生劇場/LIVESTREAMING

MISIMA2020『橋づくし』『憂国』@日生劇場/LIVESTREAMING

三島由紀夫作品には「近代能楽集」をはじめ繰り返し上演される有名戯曲も数多くあるが、『橋づくし』『憂国』はいずれも小説を原作とした舞台作品である。
このプロジェクトは相当スリリングな企画だったのではないだろうか、STREAMINGの期限の問題もあり、そちらは見ることが出来なかったが、『橋づくし』『憂国』の前半日程に加え、後半日程は『真夏の死』『班女』を上演したが、いずれも若手の気鋭の演出家であり、特に今回映像配信を見た『橋づくし』の作・演出を務めた野上絹代は快快所属のダンサー、振付家、『憂国』を作・演出した長久允はCMプランナー・映像作家であり、そうしたこともあって通常の大劇場の演劇公演とは一線を画した舞台作品が制作できたのではないだろうか。
『橋づくし』は陰暦8月15日 の満月(中秋の名月)の夜、無言のまま7つの橋に願掛けをして渡れば願いが叶うという言い伝えに従って4人の女が橋を渡る物語である。エピグラフとして、男女が橋を渡りながら死出の旅へ発つ、近松門左衛門の『天の網島』の「名ごりの橋づくし」の詩句の一節が引用されているが、実は7つの橋をわたるという設定はカントの有名なケーニヒスベルクの7つの橋の逸話から取られており、数学者オイラーが証明して、*1明らかにしたように同じ道を二度歩かずに7つの橋を一回ずつ渡るような散歩道はありえないのである。
 三島が引用した近松門左衛門の『天の網島』の「名ごりの橋づくし」は心中に向かう二人の死への道行きだが、三島がパロディーだとしたようにこちらの「橋づくし」では実は彼女たちは最初から不可能なことに挑戦している。うまり、近松の悲劇に対して、これは三島には珍しいコメディーなのであり、4人の女性の競争の中で一番のダークホースだった女中のみながどうしてか、この世界を支配する数学的な論理さえ超越して渡り切ってしまうという結末が面白い。
 舞台としては義太夫狂言である『天の網島』を意識してか、セリフは冒頭からほとんどすべてナレーションで流れ、俳優は無言のままナレーションに合わせて動く。高校ダンス部の強豪出身でダンスが得意な伊原六花を主役の料亭の娘、満佐子を演じさせ、演技というよりはダンスのように動きを振りつけている演出がいかにも振付家による舞台らしくて面白かった。伊原六花NHK朝ドラをきっかけにテレビドラマやCMで見かけることが多いが、踊れるという強みをより生かすためには今回のような舞台は向いているのではないかと思う。
 一方、「憂国」は三島由紀夫の小説「憂国」を原作とするとはいえ、コロナ禍の東京を舞台に自分もよく行っていていて友人も多かったライブハウスの検挙をせざるを得ない立場に追い込まれた警官(東出昌大)とその妻の看護師(菅原小春)を描き出した現代劇である。主人公の男が三島の「憂国」の読者であり、友人を裏切り、警察官として警察の手入れに参加した自責の念から次第に自決する「憂国」の主人公と自分を重ねわせていく。この芝居などを見ていると、不倫騒動などで世間での評判は落としているとしても東出昌大が素晴らしい俳優であることは問答無用で伝わってくる。 ダンサーである菅原小春も大河ドラマの好演で女優としての評価を高めて以来、初めての女優としての仕事だが、体当たりで見事な存在感を見せてくれた。
 とはいえ、ひとつだけ気になったのは舞台では映像として白い幕に映写されていたライブハウスの映像。ポストコロナでもライブハウスは以前のような密集でなければ意味がないというメッセージが込められた映像だったと思われるが、ここでの映像は「密」そのものの観客の姿が描かれていて、いったいこの映像をコロナ防護対策を十分に行ったうえで撮影することがどうすればできたのか。物語の最後でライブハウスのオーナーに誘われるシーンもそうだが、願望はいいけれど、いまここで描く演劇としてこれでいいのかということに対して大きな疑問も感じてしまった。 

2020年、戦後の日本文学界を代表する作家、三島由紀夫が自決した衝撃的な事件から50年。
彼の人生、作品、思想は、世代や国境をも超えて、人々に大きな影響を与え、生き続けています。
そんな三島文学に刺激を受ける4名の演出家が集い、前半日程は『橋づくし』『憂国』、後半日程は『真夏の死』『班女』の上演が決定。半世紀を経て、なお人々を魅了し続ける三島作品と、若い世代によって生み出される新しい感覚を融合し、日本の純文学を現代に蘇らせ、創造的かつ視覚化した作品を目指します。
三島由紀夫没後に生まれた4人の演出家が、三島を通して考える今の日本、多種多様に満ちた三島作品を、2020年という時代を通して舞台化。

現在世界を取り巻くコロナ禍の中で、本公演の制作過程を追い、三島を通して「今」をとらえるドキュメンタリー映画の製作が決定!手掛けるのは、広告映像ディレクターとして国際的なクリエイティブアワードで多数の受賞をし、近年では、映画監督としても活躍する関根光才。公開は2021年。ソーシャルディスタンスが演劇に求められる今、劇場半数の客席と舞台映像配信でのダブル上演で新たな演劇スタイルを模索中の舞台業界。社会全体がこの難局にどう挑み、どのように淘汰されるのか?

三島没後50年となる2020年は、3月に映画『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』が公開され、全国の映画館で半年以上のロングラン上映が続き、コロナ禍の中、20日現在で14万人の観客動員を記録。秋には、東京バレエ団が、三島の生涯や世界観を描いたバレエ作品「M」を10年ぶりに上演するなど、三島作品への注目が高まっている。


日生劇場/『橋づくし』『憂国
2020年9月21日(月祝)‐22日(火祝)
◆『橋づくし』/作・演出:野上絹代
伊原六花  井桁弘恵  野口かおる 高橋努


◆『憂国』(『(死なない)憂国』)/作・演出:長久允
東出昌大  菅原小春


美術
杉山至
照明
吉本有輝子(憂国/橋づくし)・笠原俊幸(真夏の死/班女)
音響
長野朋美
映像
山田晋平
衣裳
原まさみ(橋づくし/班女)・writtenafterwards(憂国)・鈴木成実(真夏の死)
ヘアメイク
国府田圭
演出助手
加藤由紀子
舞台監督
齋藤英明・大刀佑介
宣伝
吉田プロモーション
【オンライン配信スタッフ】
鈴木健太(クリエイティブディレクター)
1996年東京生まれ。ミュージックビデオの監督や、CM・広告の企画/デザイン、アーティストやブランドのディレクションを手がける。主な仕事に、KIRINJI、SHISHAMO、羊文学、Maltine Records、劇団ノーミーツ ほか。2017年多摩美術大学統合デザイン学科中退。同年電通入社。

田中せり(アートディレクター・グラフィックデザイナー)
1987年茨城県生まれ。2010年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。同年電通入社。企業のCI、ブランディング、ポスター、パッケージ、広告、プロジェクトなどを手掛ける。主な仕事に、酒造会社せんきん、「DEAR GLENN」YAMAHA、羊文学、LUMINE、「飲める文庫」NEC&YANAKA COFFEEなど。JAGDA新人賞2020受賞。

岡田利規の「能」シアターをダンサーが上演 劇団ダンサーズ第二回公演『都庁前』@三鷹SCOOL

劇団ダンサーズ第二回公演『都庁前』@三鷹SCOOL

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 チェルフィッチュ岡田利規が古典芸能の能をモデルにした「NO THEATER」という新たな演劇の形式に取り組んでいるようだ。KAATで上演された岡田利規「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀*1は今年を代表するような舞台芸術の成果だと考えているが、リモートを活用した作品という別の特徴も持ちながらこれは「複式夢幻能」という種類の能の形式を活用した「NO THEATER」であり、同じように「都庁前」もそうした形式を活用したテキストなのである。
 舞台にはまず広島から東京に旅行に来たという若い男(たくみちゃん)が現れ、私はこれまで東京に来たことがなく、今回東京に来たのは「都庁の建築が建築物として面白いと思ったので一度実物を見てみたかった」などと語る。さらに男はもうひとつ東京で見てみたいのはハイアットリージェンシーで、これは映画「ロスト…イン・トランスレーション」で知った。ここに泊まるのに十分なほどのお金の持ち合わせはないが、ロビーとバーに行き、できれば飲み物も注文したい、などとモノローグで語る。
 劇団ダンサーズは出演者全員が普段は俳優ではなく、ダンスを活動の中心に置いたダンサーで構成される。とはいえ、演出自体はテキストをダンスとして上演するというのではなく、第一回公演は岸田國士を会話劇として上演したし、今回は出演者それぞれの動き自体は能を意識して抑制的とはいえ、ことさら能のすり足などをそのまま取り入れるという風でもなく、発話の調子も特に若い男などは「三月の5日間」などで見せた初期のチェルフィッチュのモノローグに近いような語り口だった。
 新宿の地下鉄ホームで都庁への出口を探す男の前に突然謎の女が現れ、男に「どこにいく」と聞き正す。男は「都庁だ。どうやったら行けるのか」と聞き、先ほどモノローグで話した都庁に行きたい理由を話すと、女は「あなたは何も分かっていない」などと突然、都議会で「自分が早く結婚したらいいじゃないか」、「産めないのか」といったセクシャルハラスメント的なやじを受けた女性都議会銀の話を始める。そして、この国はそうした女性の悔しさがいまだにはらせずにおり、私はそうした女性たちの悔しさが産み出したフェミニズムの霊なのだと言い出すのだ。
 岡田利規のNO THEATERは何らかの怨念を持ってなくなった人物が亡霊として旅人の前に現れて、その恨みを言霊として伝えるという構造を活用しながら、現代の政治的な諸問題を取り上げていこうというのがひとつのスタイルで「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀」では新国立劇場のコンペに勝利しながら不当な扱いを日本建築界から受けたザハ・ハディド高速増殖炉もんじゅ」がいずれも霊として立ち現れ、恨み言を語った。この作品では一義的には女性議員の無念を扱ってはいるが、亡霊が「フェミニストの霊」と名乗る通りに現代日本において女性の置かれた不当な状況を訴えたいというのが主題なのである。
 さて、ここから先はあくまで私の個人的な好みにすぎないのだが、私は昨今の岡田のこういう作品の提示の仕方にすこぶる不満である。以前の岡田の作品は例えば「三月の5日間」が米国の戦争に対する抗議の意図から書かれたということがあったとしても、作品自体はあくまで世界はこのようであるということを描いているものでストレートに「戦争反対」を訴えるようなものではなかった。
 それは不正労働者に対する問題意識を提示した「フリータイム」など後続作品についても同じで、作品自体と政治的なメッセージは直接は結びついていなかった。
 ところが「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀」にしても「都庁前」にしても方法論や形式が含有する面白さは十分あるにしてもモチーフ自体の政治性はあまりにも単純に露わで、私に政治的主張をなすためのプロパガンダに見えて仕方がなかったのだ。その主張自体はもちろん私も賛同するし、間違いとは思わないが、こういう主張を同じくするものにしか届かないようなものはあまり意味がないと私はどうしても思ってしまう。私はどうしても演劇にせよアートにせよ、作品を政治的宣伝の道具に利用するようなことは好まない。どちらか一方の主張を作品にしたものはそれに同感する人たちの間では「そうだ。そうだ」ということになるかもしれないが、それに異論を持つ人には絶対に届かないし、それを作品にする意味は自己の主張を宣伝することでしかないと考えるからだ。例えば、分かりやすい例を挙げればこの作品であれば「女性差別はやめよう」という主張に対して、それはあまりにも政治的に正しいのであからさまに反対する人はいないのになぜそれがなくならないのか、女性に差別的なやじを言う人たちはなぜそういうことをするのかということに踏み込んでいかないと、ただ、それを悪として糾弾したり、そういう人たちは絶対に許さないという主張を演劇にしてもあまり意味はないと考えているのだ。
 ただ、最近は社会の分断化に呼応するようにいろんな分野でストレートに政治的なアクトと結びついたものが好まれるようだから、私のような見方は時代遅れなのかもしれない*2

日程

10/9(金)
19:30〜
10/10(土)
15:00〜/18:30〜
10/11(日)
15:00〜

料金

3,000円(予約のみ・定員各回25名)

10.9 - 19:30
10.10 15:00 18:30
10.11 15:00 -
各回とも開演の30分前から受付開始・開場
ダンス作戦会議による、ダンサーのみで演劇を実践するプロジェクト「劇団ダンサーズ」の第二回公演。今回は、岡田利規による、能の形式を用いた戯曲「都庁前」を上演します。現代の日本・東京における女性差別フェミニズムという、参加メンバーにとっても当事者性の高いテーマに取り組みます。

岡田利規 『都庁前』 ( 《NŌ THEATER》より )

演出・出演: 岡田智代、神村恵、木村玲奈、たくみちゃん
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文芸部:桜井圭介、渋革まろん
照明デザイン:中山奈美
照明オペレーション:土屋光(SCOOL)
衣装アドバイザー:臼井梨恵(モモンガ・コンプレックス)
記録写真:松本和幸
記録映像:日景明夫
ウェブビジュアルデザイン:たくみちゃん
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上演台本:岡田利規 「都庁前」(《NŌ THEATER》より)
岡田利規「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀」紹介ページ
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b515824.html

会場:SCOOL(三鷹市下連雀3-33-6 三京ユニオンビル5F)

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:演劇批評家の中にも作品はそういう主張を盛り込んんでいるということが素晴らしいのだと主張する人は多く、議論をしても平行線になってしまうことが多い。