下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

生きる辛さを描く演劇の秀作 コロナ禍での心情がチェホフとシンクロ 小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場

小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場


最近、特に今年に入ってからが顕著だが、生きていくことの辛さをモチーフにした演劇が若手演劇作家の作品で増えてきているように感じる。綾門優季作の青年団リンク キュイ「あなたたちを凍結させるための呪詛」のようにコロナ禍の世界を直接描く場合もあるが、同性愛者に対する社会的な抑圧を描いたムニ「ことばにない 前編」(宮崎玲奈作)、精神疾患をかかえた人たちを描いたいいへんじ「薬をもらいにいく薬」「器」、お布団「夜を治める者」など作品の多くはコロナそのものを描くのではなく、描かれた世界での生き辛い状況を描き出すことでコロナ禍の閉塞された状況をそこに仮託しようとしているようにも感じた。小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場は群像劇だが、コンビニで働きながら廃棄食品をもらってくることでかろうじて生き延びている女性や仕事を失い、家賃未納で路上生活者になってしまう男たち、過去に起きた出来事の精神的なトラウマで生きていくことの困難を抱え込んでしまった女性……など現代社会の共同体から排除されている人々の群像を描き出していく。
 これまでの小田尚稔の代表作としては東日本大震災の時の東京を描いた『是でいいのだ』(2016)があったが、この時の登場人物には様々な困難を抱えながらも仕事を探すための努力をしたり、それこそ新宿から家がある国分寺まで歩いて帰ろうとしている女性など苦境の中にも希望を描こうとしていた感があったが、その後の10年で日本の若者が貧困化し、先の展望も抱きにくくなったような現状を反映してか、この「よく生きろ!」ではいつ世界の網の目からこぼれ落ちて、姿を消してしまってもおかしくない人たちの姿が実感を持って描き出されており、それは作者本人の置かれた状況の変化も反映されているのではないかとも感じた。
 平田オリザタイプの群像会話劇の弱点は登場人物の内面がいっさい語られないことで、随分前に平田にそのことを「この方法論だと表現できないことがあるのではないか」と問いただしたことがあるのだが、その時の平田の答えは「表現できないものに興味はない」というものだった。
 小田尚稔はモノローグのひとり芝居を連鎖させることで、登場人物に内面を吐露させる方法論でスタートしたが、この「よく生きろ!」では会話劇とモノローグ劇の形式をうまくミクスチャーさせて、オリジナルな群像劇の形式に到達した感がある。
 そして「オリジナルな」と書いたのだが、この作品を観劇しながら「よく生きろ!」がある作家のことを連想させることに気が付いた。その作家は小田尚稔とは生まれた時代も国も違うけれど、その表現はその時代のその国の社会に生まれていた先が見通せない絶望的な閉塞感を見事に描き出した。
 思わせぶりな書き方をしたが「ある作家」というのはアントン・チェホフだ。小田尚稔が描き出した現代日本の若者が抱く絶望的な閉塞感は100年以上前のロシアでチェホフが描き出した空気感と妙に呼応するところがある。そういうことを感じるに至ったのは「よく生きろ!」で何度も繰り返される「生きていかなくちゃ……」というセリフが「三人姉妹」のセリフを想起させるのがきっかけ。ただ、「よく生きろ!」で到達した小田尚稔のスタイルが会話劇でありながら、随所にモノローグにも近いセリフが挿入されるようなチェホフの作劇スタイルと共通点を感じたこともある。
 小田尚稔は哲学書など特定の著作にインスパイアされて作品を作ることが多い。この作品でも岩田靖夫『よく生きる』が引用されている。チェホフに関して言うのならそうした意図的な引用はなされてないとも思われるのだが、物語の中で重要なモチーフとなっている近くにある湖の存在とかチェホフのモチーフと重なり合うところはあり、100年の時を超えてロシアと日本の生きづらさが二重写しになってくるのだ。
 
 
 

脚本・演出:小田尚稔
どのように生きればよいのかがわかりません。哲学者の岩田靖夫氏は次のように書いています。「人間として生きるというのは、エゴイズムと自己犠牲という矛盾した二つの生き方の緊張の中で、いつもその緊張に苦しみながら生きるということです。」岩田靖夫『よく生きる』(ちくま新書、2005年、40頁)
そして最近は日々の生活を送るなかで、多くの場合ひとつの物事には「よい」側面と「悪い」側面が共存していることを感じております。今回は上記を念頭に置きながら、「よく生きる」という事柄について自分なりに考えながら劇作をしたいです


2015年より劇作活動を始める。「いつでも、どこでも、誰にでも」伝わるような普遍性のある作品づくりを心がけて劇作を行っている。主な演劇作品に『是でいいのだ』(2016)、『悪について』(2017)、『善悪のむこうがわ』(2019)、『罪と愛』(2020)、『レクイヱム』(2021)など。2018年には滝口悠生氏の長編小説『高架線』の演劇化を手掛けた。



出演
加賀田玲
こばやしかのん
小林駿
坂本彩音
的場裕美
宮﨑輝
渡邊まな実

スタッフ
音楽・音響:土屋光
照明:佐藤佑磨
映像:南香好
舞台監督:小田尚稔 小林駿
宣伝美術:渡邊まな実
記録映像撮影:河野恭平
演出助手:宮﨑輝
制作助手:こばやしかのん 的場裕美

芸術総監督:平田オリザ
技術協力:黒澤多生(アゴラ企画)
制作協力:蜂巣もも(アゴラ企画)

アングラ演劇から若手まで演劇世界をコラージュ 初観劇が解散公演に 中野坂上デーモンズ 第23回『 十三月の混沌 』@下北沢駅前劇場

中野坂上デーモンズ 第23回『 十三月の混沌 』@下北沢駅前劇場


中野坂上デーモンズ 第23回『 十三月の混沌 』@下北沢駅前劇場を観劇。作・演出の松森モへーは短編演劇作品「私は音楽になりたい」をしあわせ学級崩壊リーディング短編集#2に提供した。この作品にはキュイの綾門優季、ゆうめいの池田亮も戯曲を提供。非常に意欲的かつ刺激的な企画だと注目していたら、この公演を最後にしあわせ学級崩壊が劇団解散を発表。この公演とその後にキュイの公演で松森が自ら演出も手掛けて出演したひとり芝居「あなたたちを凍結させるための呪詛」を見て興味を持ち、それまで未見であった中野坂上デーモンズを観劇しようと考え、下北沢駅前劇場に出掛けたが、公演直前に中野坂上デーモンズもこの公演を限りに劇団としての活動を終えるということを初めて知ったのであった。
 期待の若手として注目していた劇団が相次ぎ解散したことを立て続けに知ったことはかなりのショックであり、劇団解散の理由はそれぞれに異なるとはいえ、こうした決断に至った理由のひとつには2年間続いたコロナ禍の影響があったことは否定できない。一方で中堅以上の規模の劇団がいまだ公演中止が続く中ではあっても、なにもなかったかのように従来通りの演劇活動を再開しつつあるのを考えるとどこかやりきれない思いを感じたのも確かなのである。
 演劇のスタイルということでいえば今回の公演だけのものか劇団固有の特徴かは不明だが、過去の公演の際に「令和のアングラ」というのをキャッチフレーズとしていたようにアングラ演劇の引用が随所に見られた。それだけではなく、過去の演劇作家の作風を引用してサンプリングしたようなスタイル。松森モヘー演じる劇作家が創作に行き詰まって、混沌とした演劇の世界を彷徨い歩くという全体構造のなかに創作された劇世界の中の登場人物がコラージュされたような仕立てになっているのだが、そこに太田省吾の劇世界を思わせるような「駅」の場面やつかこうへいの「熱海殺人事件」を彷彿とさせるチャイコフスキーが鳴り響く場面、唐十郎の劇世界を思わせる台詞回しから、しあわせ学級崩壊を思い出させた激しいEDMに合わせての唱和、ままごと「わが星」を連想させた出演者全員によるラップめいた群唱などポストゼロ年代以降の若手劇団の作品を連想させる場面も挿入されている。
 今回の解散公演の救いは中野坂道デーモンズの解散というのがあくまで劇団としての解散であり、松森モヘー氏自身は演劇活動を継続して、中野坂道デーモンズも松森モヘーの個人プロデュースユニットとしては存続することが同時に明らかになっていることだ。これなら劇団とはいえ、綾門優季が主宰しているキュイなどはもともとそうした個人プロデュースユニットの形態で存在しているわけだし、私も「あなたたちを凍結させるための呪詛」を見て
綾門優季×松森モヘーのコンビに相性のよさを感じただけに劇団としての活動の足かせがなくなった分だけかえってやりやすくなったとも思えるし、
中野坂上デーモンズとは少し味わいの違う作品もこの組み合わせでできるのではないかとの期待はかえって膨らんだのである。
 

作・演出 松森モヘー

2022.12.14 ‐ 12.20

【出演】
金子清
工藤彩加(新宿公社)
小嶋直子
つかてつお
西出結
林廉(劇想からまわりえっちゃん)
まちだまちこ(メロトゲニ)
みしゃむーそ
るい乃あゆ
ミネユキ
矢野杏子
吉成豊

安藤安按
佐藤昼寝
中尾仲良
松森モヘー

京の年中行事 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」@京都南座

京の年中行事 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」@京都南座


土曜日に二部、三部、日曜日に一部を観劇。全演目の中で面白かったのは「龍虎」。初めて見たということもあるのだが、予想以上にわくわくさせるところのある演目で、毛振りが作品中の白眉ではあるのだが、親子の獅子がシンクロする「連獅子」とはまったく違う振り付けとなっており、そこがカッコよかった。
残りの演目はいずれも歌舞伎を代表するような演目ばかり。顔見世とはいえ、南座の公演ということもあり、上方歌舞伎を継承する片岡仁左衛門、高太郎中村鴈治郎、中村

2022年12月4日(日)~25日(日)

一部 午前10時30分~
義経千本桜 すし屋
龍虎
二部 午後2時10分~
恋飛脚大和往来
玩辞楼十二曲の内 封印切
新町井筒屋の場
秀山十種の内 松浦の太鼓
三部 午後6時~
年増(としま)
女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
上演時間
第一部
義経千本桜
すし屋

10:30-12:05
幕間 30分
龍虎

12:35-12:55
第二部
恋飛脚大和往来
玩辞楼十二曲の内 封印切
新町井筒屋の場

2:10-3:35
幕間 25分
秀山十種の内 松浦の太鼓

4:00-5:15
第三部
年増

6:00-6:20
幕間 25分
女殺油地獄

6:45-8:30
※12月3日時点での予定
※上演時間は変更になる可能性があります
演目と配役
第一部
第一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  すし屋
いがみの権太
お里
弥助実は三位中将維盛
若葉の内侍
弥左衛門女房おくら
鮓屋弥左衛門
梶原平三景時
獅童
壱太郎
隼人
吉太朗
梅花
片岡亀蔵
鴈治郎
  大野恵造 作
第二、龍虎(りゅうこ)


扇雀
虎之介
第二部
  恋飛脚大和往来
第一、玩辞楼十二曲の内 封印切(ふういんきり)
   新町井筒屋の場
亀屋忠兵衛
傾城梅川
丹波屋八右衛門
肝入由兵衛
槌屋治右衛門
井筒屋おえん
鴈治郎
扇雀
愛之助
寿治郎
片岡亀蔵
東蔵
第二、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
松浦鎮信
大高源吾
近習江川文太夫
近習渕部市右衛門
近習里見幾之丞
近習早瀬近吾
近習鵜飼左司馬
お縫
宝井其角
仁左衛門
獅童
隼人
虎之介
鷹之資
橘太郎
橘三郎
千之助
歌六
第三部
第一、年増(としま)
お柳
時蔵
  近松門左衛門
第二、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
河内屋与兵衛
豊嶋屋七左衛門
芸者小菊
小栗八弥
妹おかち
母おさわ
口入小兵衛
山本森右衛門
河内屋徳兵衛
兄太兵衛
お吉
愛之助
進之介
壱太郎
鷹之資
千之助
梅花
橘太郎
松之助
橘三郎
亀鶴
孝太郎

小野晃太朗新作公演「口火」@アトリエ春風舎

小野晃太朗新作公演「口火」@アトリエ春風舎


思弁的な対話の断片のコラージュのように感じた。部分部分には思索の糸口としては興味深いところもあるのだが、物語の構造が複雑に感じて脈絡がたどりにくいと感じてしまった。
それというのも劇中登場人物に劇作家がいるのだが、彼女が劇中で書いている劇作の中身が劇中劇として作中に登場するメタ構造になっている上に劇中劇の人物とその外側の人物を同じ俳優か演じるため、どちらがどうなのかが入り交じってしまい、よく分からなくなってくるからだ。

戯曲・演出:小野晃太朗
何年か前に書いたものの上演することのできなかった『剽窃王』という戯曲を、全編書き直して上演します。
もともとは、資源を個人の資質に例えるようなイメージが頭の中にあって、油田が水田になっていくとか、激しいものから静かなものへと移り変わっていく、その変化の過渡期をどう過ごすかについてのお話だったのですが、今回は「休息」と「再開」についての視点を加え、技術とは、豊かさとなにか?について思いを巡らせながら編み直します。生の短さのなかで、術の長さに振り回される話です。


小野晃太朗(おのこうたろう)
劇作とドラマトゥルクをメインに活動。
日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒業。
最近気になることは、治療と鎮痛の違い。
2020年に『ねー』で第19回AAF戯曲賞大賞を受賞。


出演
毛利悟巳
桂川明日哥
金定和沙(青年団
堀 夏子(青年団

スタッフ
戯曲:小野晃太朗
ドラマトゥルク:松岡大貴
演出助手:村田千尋

舞台監督:鐘築 隼
照明:井坂 浩
宣伝美術:トモカネアヤカ

ぱぷりか「どっか行け!クソたいぎい我が人生」(2回目)@こまばアゴラ劇場

ぱぷりか「どっか行け!クソたいぎい我が人生」(2回目)@こまばアゴラ劇場



表題の「どっか行け!クソたいぎい我が人生」というのはかなり表題らしくないおかしな表題だと思うが、ポイントは広島の方言である「たいぎい」であり、作品中で占部房子演じる母親が繰り返す「たいぎい」という広島方言が作品全体のなんとも重苦しい空気感を作り上げているように思われた。
 実は「たいぎい」というこの広島弁は非常にユニークな言葉のようで、語源は「大儀=おっくう、嫌だ」から来ているようではあるが、ネット検索で語義を調べてみると「『たいぎい』は明確な意味を持ちません。なぜなら本当にいろんな場面で登場するので、ザックリな感じで略すと『めんどくさい』。めんどくさいが基本ベースにし、いろいろと派生していくかたち」などとある。どうやら多義的な用例があるようなのだが、いろんな状況においてこれが繰り返されることで主人公である母親とその娘の置かれたなんともいたたまれないような「たいぎい」な状況が言語化がなかなか難しい空気のようなものとして、浮かび上がってくるのである。
状況を説明するようなナレーション的な台詞はいっさい使わず、登場人物相互の会話のやりとりを丁寧に紡いでいくのが平田オリザの現代口語演劇とするならば現代の青年団には先行世代が平田オリザ離れを模索した一時期よりも明らかに正当な後継者と目される作家たちが増えている。伊藤毅青年団リンクやしゃご)、玉田真也(玉田企画)、宮崎玲奈(ムニ)らがそうした流れを汲む作家たちだが、その中でも福名理穂(ぱぷりか)典型的な群像会話劇のスタイルでそうした色合いが強いといっていいだろう。
 この作品の中核をなすのは共依存関係ともいえそうな母と娘の関係だが、中でも母親のエキセントリックな個性が場全体を支配する状況を福名は丁寧に提示していく。
 群像会話劇のスタイルでと書いたが、この作品では最初にひとりだけで舞台に登場して何かぶつぶつと独り言のようなことを話し始める占部房子の存在感にここでしか見られない特別なものを感じた。一人だけの彼女が生み出す周囲の空気を変えてしまうようななにか圧力のようなものを観客として感じることになったが、この母親がこうした存在感でいやおうなく、娘や弟らを巻き込んでいくことがこの物語で作者が描き出す状況そのものが生まれる原因となっていることが冒頭の場面を少し見ているだけで了解されてくるのである。

作・演出:福名理穂
夫に捨てられたトラウマをもつ母と、そんな母を置いて家を出る決断ができない娘。
ある日、二人の住む広島の小さな町で殺人事件のニュースが流れる。


ぱぷりか
福名理穂により2014年旗揚げ。
主に会話劇を中心とし、人との繋がりで生まれる虚無感を描く。
第5回公演『柔らかく搖れる』(2021年)で、第66回岸田國士戯曲賞受賞。
今作は受賞後初の長編新作となる。
Webサイト:https://www.paprika-play.com


出演
占部房子
富川一人(はえぎわ)
林 ちゑ(青年団
阿久津 京介(DULL-COROLED POP)
岡本 唯(ぱぷりか/時々自動)

スタッフ
舞台美術:泉 真
音響:佐藤こうじ(Sugar Sound)
音響操作:たなかさき(Sugar Sound)
照明:山内祐太
舞台監督:岩谷ちなつ
演出助手:坂本奈央(終のすみか)
イラスト:三好 愛
宣伝美術:中北隆介
当日運営:大橋さつき(猫のホテル
制作:込江 芳、半澤裕彦

スペノの2人がフランス大使館賞 横浜ダンスコレクション コンペティションⅠ@横浜⾚レンガ倉庫1号館

横浜ダンスコレクション コンペティションⅠ@横浜⾚レンガ倉庫1号館


昨年(2021年)はコロナ禍下での開催で家人にも反対され参加を断念したため、2年ぶりのコンペティション観覧となった。とはいえ、見ることができたのは最終日の4組のパフォーマンスと表彰式のみとなった。この日だけの観覧とはいえ、実は受賞者のほとんどがこの日にパフォーマンスを披露した組から選ばれており、個人的には今年の分はけっこうカバーできたんじゃないかの感がある。とはいえ、横浜ソロ&デュオの時代からこのコンペではよくあることだが、審査員賞(グランプリ)を受賞したリュウ イ リンの作品は私には退屈で全然ピンとこなかった。

一番面白く、この横浜のこれまでの傾向なら受賞の可能性があるんじゃないかと考えていたのが、小野彩加・中澤陽(スペースノットブランク)の二人による作品。これが審査員賞と並ぶこのコンペのメインである若手振付家のための在日フランス大使館・ダンスリフレクションズ賞を受賞した。振付家が自分のムーブメントをダンサーに振り移すというのとは全然違うアプローチで、ダンサー(パフォーマー)が生み出した身体所作をつないで編集し、それをけいこ場で繰り返すことでムーブメントの身体的強度を高めていくというような作品であった。いわゆるダンス的な技術やメソッドをまったく使っておらず、音楽もなく無音である。身体の動きが作り出す息遣いも相まったムーブメントはこれまであまり見たことのない変なものに仕上がっており、この手の試みを演劇系の作り手が作る時にありがちな素人くささはなく、そういう意味では新たなコンテンポラリーダンスの表現として評価することには違和感はないが、アウトプットとして生まれた動きが魅力的かどうかと問われると疑問がなくはないというのが見ての印象だった。

 一方、動きのムーブメントと動きの生み出す意味性が非常に面白かったのは小倉笑の作品。男女のデュオ作品であり、男性はフレディ・マーキュリー、女性はマリリン・モンローなど「男らしさ」「女らしさ」とそのセクシャルかつフェティッシュなイメージがアイコン的に振り付けの中に引用されていて、それが魅力的だった。ただ、残念だったのは長さが7分間とあまりに短く、展開もほとんどなく、「面白いぞ、これからどうなるかな」と思っているとそこで切断されるように終わってしまうことだ。ムーブとキャラは面白いが、作品にはなっていないという印象だった。

  四戸賢治はドイツを活動拠点にしている日本人ダンサー・振付家。作品は完成度が高く実際にすでに欧州のダンスフェスティバルなどでは上演されているようなのだが、その分この日上演された他の日本人の作品のような斬新さは感じられなかった。とはいえ、危惧したように保守的なドイツ表現主義舞踊ということはなく、欧州のコンテンポラリーダンス市場という枠組みならこれが一番競争力を持っていることは間違いないが、日本人による新たな舞踊表現としてならこれを選択することは私はしないという感じだった。

 

審査員賞

リュウ イ リン

奨励賞

四戸賢治  小倉笑

最優秀新人賞

宮悠介

ベストダンサー

三輪麗水

奨励賞

斎藤健

若手振付家のための在日フランス大使館・ダンスリフレクションズ

小野彩加  中澤陽

MASDANZA賞

ファイルル・ザイヒト

城崎国際アートセンター賞

小野彩加・中澤陽

アーキタンツ・アーティスト・サポート賞

安永ひより

池上楓子・中村たから   四戸賢治

 

14の国・地域を拠点に活動する92組の応募から、映像・書類審査を通過した4カ国8組のファイナリストによる作品上演

12⽉3⽇(⼟)15:00
池上楓⼦/中村たから、寺杣彩、ファイルル・ザイヒド 〈LASALLE Dance〉、グエン ヅウィ タイン
12⽉4⽇(⽇)15:00
⼩倉笑、⼩野彩加/中澤陽、四賢治、リュウ イ リン
【会場】横浜⾚レンガ倉庫1号館
コンペティションII 新⼈振付家部⾨
振付家としての活動を⽬指す25歳以下の新⼈アーティスト29名から、映像・書類審査を通過したファイナリスト10名に
よる作品上演。
12⽉1⽇(⽊)19:00 秋⽥乃梨⼦、斎藤健⼀、SHIon、松崎桃⼦、安永ひより
12⽉2⽇(⾦)19:00 今井亜⼦、オカダヒロエ、北村桜、宮悠介、三輪麗⽔
【会場】横浜にぎわい座 のげシャーレ

座談会「クィア演劇史は可能か 劇を書く、抵抗を読む(欲望)」

座談会「クィア演劇史は可能か 劇を書く、抵抗を読む(欲望)」


日本におけるクィア演劇の歴史を探る座談会という興味深い試み。これまで知らなかったことを知ることができて、有意義な企画だったとは思うが、一番驚いたのはセクシュアルマイノリティのアクティビティとしての出来事としても舞台芸術においても最重要だと私が考えているダムタイプ「S/N」のことが全く触れられないで終わったことだ。
もちろん、ここでの演劇関係の参加者の意識としてこれはやはりこの場で積極的に触れられることはなかった映画における類似テーマの作品群と同様「演劇の外側」の出来事と認識されていたからかもしれないが、当該の「S/N」の関連シンポジウムでは浅田彰ダムタイプを持ち上げる一方でそれに対峙する表現として平田オリザを批判していたのを考えると今回の主題への構えはややレンジが狭すぎるとも感じたことも確かだ。
この問題に限らず「当事者/非当事者」というのは大きな問題である。特に今回の問題については性的性癖全般にまで話を広げてしまえば別だが、少なくとも狭義の同性愛については「非当事者」でしかないので、ある表現に対して「当事者」がどのように感じるかについては安易に断言することはできない。だから、「そういう風に受け取られていたのか」と意外に感じたことも多々あった。
そのひとつがF/T(フェスティバルトーキョー)における「透明な隣人 ~8 -エイト-によせて~」をめぐる議論。実は私はそういう議論があったと聞いた時点では「そんなことあったかしら」と全然ピンと来ていなかった。なぜかというとその時点で私はそれを全然違う文脈の問題として受け取っていたからだ。

概要

2022年11月に上演されたフライングステージ『Four Seasons 四季 2022』(作・演出/関根信一)と、ムニ『ことばにない』前編(作・演出/宮崎玲奈)。

ゲイの劇団を標榜するフライングステージの30周年と、長編レズビアン演劇の上演とが重なった節目の年。演劇でセクシュアルマイノリティをあつかうこと、セクシュアルマイノリティが演劇をつくることの歴史的意義を考えたい。業界とコミュニティとの接触面(あるいはその埒外)からなにが見えるだろうか。

そろそろ年の瀬、いっしょに来し方行く末を思いましょう。


スピーカー 関根信一、宮崎玲奈

コメント 外島貴幸

司会 飛田ニケ(キューピー)


日時

2022.12.03(土) 15:00-18:00


会場

室伏鴻アーカイブカフェShy(新宿区早稲田鶴巻町557-12)

https://kkunstwatanabe.wixsite.com/shys


料金

1000円

小池博史ブリッジプロジェクト『幻の光』@シアターグリーン(BASE THEATER)

小池博史ブリッジプロジェクト『幻の光』@シアターグリーン(BASE THEATER)

箱形の舞台空間の背面、上下、側面のすべてに星空や銀河宇宙などの映像が映し出される映像演出がとても印象的な舞台であった。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにした舞台ということであったが、映像イメージからするとそれだけではなくて、宇宙そして地球の誕生から遠い先の未来までが幻視されるようなところがあり、「2001年宇宙の旅」なども連想させるところもあった。

パフォーマーはセリフを話したり、ラップのような歌も口ずさんだりはするのだかれど、ほぼ全編にわたってダンス的な身体所作の場面も続くため、ダンス作品と受け取っても間違いとはいえないかもしれない。音楽も舞台上にパーカッションとギターなどの楽器演奏を受け持つ音楽家(下町兄弟、太田豊)ふたりがおり、音楽はあらかじめ録音されたものもあるが生演奏により進行していく。この規模の演劇作品で生演奏による舞台は日本ではまだまだ少ないので、こうした舞台が増えればいいのにとも思った。ダンサーの3人(福島梓、大塚陽、佐久間文恵)はいずれもアクロバティックな振付をこなす身体能力の高さを感じさせるダンサーで、プロフェッショナルなスキルを感じさせた。

ただ、ここからはかなりの部分で私の個人的な好みになってしまうが、どうもそれぞれに高いスキルの表現が組み合わさっているのになぜか全体として受ける印象に新鮮さを感じることができず、むしろ古い感覚を感じてしまったのはなぜだろうと舞台を見ながら考えてしまった。

映像と身体所作を組み合わせた舞台表現としてはダムタイプ、やニブロールレニ・バッソなど多くの表現を評価してきたがそれぞれに個性の違いがあっても共通してきたが、どうもこれらの表現に感じた「それまでになかったような新しさ」を感じることができなかった。公平を期すために書き添えておけば、小池博史が主宰していたパパ・タマフマラの作品にもすべての作品についてとはいえないが、それはあった。しかし、個々の要素を考えると悪くないのにも関わらず、この作品からはそれを感じ取ることが難しかったのだ。

そして、いろいろ考えてみた結果、複数の理由はあるにせよやはり私と決定的に感性が合わなかったのは使用された音楽の質感に原因があるのではないかというのが舞台を見ているうちに次第に分かってきた。音楽が素晴らしかったという人も当然いるとは思うものの、こうした嗜好の違いはいかんともしがたい。逆に言うと先に挙げたダムタイプ、やニブロールレニ・バッソにおけるオリジナルの音楽を担う音楽家(例えばダムタイプなら山中透や池田亮司)の存在が私にとっては決定的に大きいのかもしれないということが分かったのである。

 

 

公演期間
2022年12月2日(金)~4日(日)

団体名
小池博史ブリッジプロジェクト

団体メール
hkbpyoyaku@gmail.com

前売券
一般:4500円
学生:2800円
小学生以下:1000円

※3歳以下のお子様のご入場はご遠慮ください。

当日券
一般:5000円
学生:3300円
小学生以下:1500円

※3歳以下のお子様のご入場はご遠慮ください。

あらすじ
ここは宇宙。ここは列車で。ここは縄文。
宮沢賢治銀河鉄道の夜」を起点として創作した
2022年2月上演の「Milky Way Train~138億光年の憂鬱」を
大幅に改編。
パーカッション、サックスの生演奏と映像
身体の融合を図った作品として
銀河に生きる人間の生死の不思議を描く。
宇宙にとんだ……幻惑の旅へようこそ!

スケジュール
12月2日(金) 開演 20:00/開場 19:40
12月3日(土) 開演 13:00/開場 12:40
開演 18:00/開場 17:40
12月4日(日) 開演 13:00/開場 12:40
開演 17:00/開場 16:40

キャスト
福島梓
大塚陽
佐久間文恵
伊藤健康
下町兄弟(演奏)
田豊(演奏)

スタッフ
作・演出・振付:小池博史
音楽:太田豊/下町兄弟
映像:岸本智也
衣裳:浜井弘治
美術・小道具:森聖一郎
照明:富山貴之
宣伝美術:梅村昇史
演出助手:中谷萌
主催・制作:NPO法人ブリッジアーツアンドエデュケーション
協力:公益社団法人セゾン文化財


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

しおこうじ玉井詩織 × 坂崎幸之助のお台場フォーク村 NEXT第138夜 帰ってきたしおこうじバンド @フジテレビ NEXT

しおこうじ玉井詩織 × 坂崎幸之助のお台場フォーク村 NEXT第138夜 帰ってきたしおこうじバンド @フジテレビ NEXT


ALFEE坂崎幸之助がコロナ陽性で欠席。玉井詩織がひとりでMC役に獅子奮迅。とはいえ、何の不安もないような滑らかな進行ぶりで、ゲストの山崎ハコ
、クミコとも違和感なく渡り合った。坂崎の茶々が入らない分だけ、寂しくはあるが進行に関して言えばよりよどみなく進み、これはあのフォーク村ではなく地上波音楽番組の「MUSIC FAIR」かと思わせるほどで、他の番組でもかまわないが、もし何か機会があったら彼女のMC起用はどうですかねと思わせた。
通常ならば事前の予告ではopening actとされていたukkaのライブから始まる構成が普通だと思われるが、坂崎の欠席を埋める形で杉真理が急きょ番組に駆け付け、おそらくベテラン、女性シンガー二人の相手をするには玉井一人では荷が重いかもとの番組制作側の親心だったかもと思うが、実際には時折、玉井の方から杉にも話を振る程度で、クミコ、山崎ハコとのやり取りは玉井がこなし、山崎ハコとはおそらく初対面で世代的に歌もあまり知らないはずだが、山崎ハコが昔泉谷しげるに歌い方が似ていることから「オンナ泉谷」と呼ばれたことがあるという話題から、ももクロ泉谷しげるとの親交ぶりをさりげなく挟み込むなどよどみない進め方には舌を巻いた。
 ukkaは「アフタヌーン・グラフィティ」「ラブパレード」とメジャーデビューしてからの曲を2曲歌ったが、ファンの人には怒られそうだが、いまひとつピンとこない気がした。

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 たぶん、それはこのukkaの曲の曲調がいかにもアイドルらしい可愛さを前面に出したような楽曲で、もともとももクロやたこ虹、そしていまはAMEFURASSHIやばってん少女隊の楽曲が好きで聴いているのは正統派アイドルのアイドルソングというのが苦手だからなのかもしれない。実はもともとはukkaそして前身である桜エビ~ずの楽曲には好きな楽曲がけっこうあって、それは女性ポップみたいだったりとアイドルソングっぽくはない曲が多かったこともあり、楽曲制作において今までの方向性が受け継がれるのかを若干危惧していることもあるのである。

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しおこうじ玉井詩織 × 坂崎幸之助のお台場フォーク村 NEXT第138夜 セトリ
https://www.fujitv.co.jp/FOLKMURA/setlist221128.pdf

セットリスト
M1:玉井詩織×杉真理×ALL×DSB「歌はどこへ行ったの」しおこうじ
M2:クミコ「愛しかない時」ジャック・ブレル/クミコ
M3:山崎ハコ×DSB「サヨナラの鐘」山崎ハコ
M4:クミコ「風に吹かれて」ボブ・ディラン/クミコ
M5:山崎ハコ×DSB「気分を変えて」山崎ハコ
M6:クミコ×山崎ハコ×DSB「たからもの」クミコ
M7:SunSet Swish×DSB「FLOWER REVOLUTION」THE ALFEE
M8:SunSet Swish×DSB「モザイクカケラ」SunSet Swish
M9:ukka「アフタヌーン・グラフィティ」ukka
M10:ukka「ラブパレード」ukka
M11:玉井詩織×ukka×コアラモード.×DSB「初恋が泣いている」あいみょん
M12:コアラモード.×DSB「セキララ☆キラキラ」コアラモード.
M13:加藤いづみ×コアラモード.「僕に足りないものは」コアラモード.
M14:玉井詩織×あんにゅ×加藤いづみ×ALL「Musician」THE ALFEE

しおこうじ
坂崎幸之助(欠席)/玉井詩織

山崎ハコ
クミコ

コアラモード.

opening act:
ukka

SunSet Swish

「孤独のグルメ」の谷口ジローの漫画を フランス語圏のスイス人演出家が演出上演 日本の演劇人を育てるプロジェクト 新進演劇人育成公演俳優部門『遥かな町へ』

日本の演劇人を育てるプロジェクト 新進演劇人育成公演俳優部門『遥かな町へ


遥かな町へ谷口ジローの漫画原作をスイス人演出家、ドリアン・ロセルが脚色演出した舞台作品を日本人俳優の手でいわば逆輸入の形で上演した舞台作品だ。谷口ジローは日本では人気ドラマ「孤独のグルメ*1の原作者として知られる程度だが、その作風がフランス版の漫画であるバンドシネの作家の影響を色濃く受けているせいか、フランス語圏での人気が非常に高い。
 なかでも2010年に『遙かな町へ』を原作として舞台をリヨン近郊に設定したフランス映画 "Quartier Lointain" が制作・公開。日本でもDVDソフトが販売されている*2
 話としては主人公が過去にタイムスリップするという物語なのだが、面白いのはこの物語では主人公である現代の中原博史がそのまま過去に行くというのではなく、今の記憶を持ったままで中学時代の身体に転生することだ。演劇的な仕掛けとしては現代と過去の博史を演じる2人の俳優がおり、この2人が入れ替わりながら意識が転生した過去の博史を演じることだ。
 そして妻と子供たちを現在(この世界からすると未来)においてきた博史は最初は元の世界に戻れないかともがくのだが、次第にこの過去の世界で生き直してみようと思うようになり、昔は臆病で声もかけられなかった憧れのクラスメートと付き合ってデートするようになったり、失われた青春を謳歌するようになる。地方都市(鳥取県倉吉)を舞台として、日本版ではその方言も使われていることもあってか、このあたりの空気感には大林亘彦の尾道三部作を思わせるところもある*3
 物語上のもうひとつの焦点は意識が転生したのが、主人公の父親が謎の失踪を遂げた日の少し前ということで、これには何か意味があるのではないかと考えた主人公は次第にこの失踪の原因をつきとめ、それを何とか阻止できないかと考え始める。実はこの辺りから、主人公の意識が過去に転生したことで過去にあったことと異なる行動を主人公が取り出すことで過去の自分の行動が未来に影響を及ぼしタイムパラドックスが起こってくるのではないかとの疑問が起こってくる。この部分を作者である谷口ジローがどのように綱渡りして回避するのかというのが「遙かな町へ」のもう一つの見どころだ。一度、よくある夢落ちかと思わせたうえでそれをひっくりかえしてみせた手腕にはなかなかのものを感じたのである。
 幕を使って空間を区切り、漫画の枠線を感じさせるような場面を挟み込んだドリアン・ロセルの演出も秀逸であった。

舞台芸術分野の優れた新進演劇人で発表の機会に恵まれない者に、発表の機会を提供することにより 新進芸術家の育成を図る事業です。

あらすじ
中原博史は出張からの帰りに間違って故郷の鳥取県倉吉に来てしまう。久しぶりの母の墓参りで目眩に襲われ気づくと14歳の自分にタイムスリップしていた。48歳の記憶を持ったまま中学2年生の生活を送るが、その年の夏に父、中原与志雄が失踪したことを思い出す。父は何故家族の元を去ろうと思ったのか、中原博史は祖母に両親の間に何があったのかを聞き、父の失踪を止めさせようと父の行動を追いかける。

キャスト
五十嵐遥佳(育成対象者)
稲葉歓喜(育成対象者)
猪俣三四郎
海宝弘之
小泉駿也(育成対象者)
近童弐吉
阪本竜太(育成対象者)
谷村実紀
中野亮輔
花島令
藤井千咲子
星怜輝(育成対象者)
松﨑将司(育成対象者)
八鍬幸生
吉越千帆(育成対象者) ※「吉」は土に口

(五十音順)

原作・テキスト:谷口ジロー
演 出
演出・脚色:ドリアン・ロセル、デルフィヌ・ランザ
脚色:カリンヌ・コラジュー
翻訳・脚色・演出助手:山上優
スタッフ
美術・照明:ヤン・ベッカー
音響:小林史
衣裳:伊藤早苗
舞台監督:竹内一貴
方言指導:劇創西社OHKUS
プロデューサー:小川浩(NLT)
アシスタントプロデューサー:中山百夏(NLT)
制作協力:NLT

*1:

*2:

*3:意識の転生が「転校生」、タイムトラベルの設定が「時をかける少女」と少しだけ重なるせいもあったからかもしれない。