下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

生きる辛さを描く演劇の秀作 コロナ禍での心情がチェホフとシンクロ 小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場

小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場


最近、特に今年に入ってからが顕著だが、生きていくことの辛さをモチーフにした演劇が若手演劇作家の作品で増えてきているように感じる。綾門優季作の青年団リンク キュイ「あなたたちを凍結させるための呪詛」のようにコロナ禍の世界を直接描く場合もあるが、同性愛者に対する社会的な抑圧を描いたムニ「ことばにない 前編」(宮崎玲奈作)、精神疾患をかかえた人たちを描いたいいへんじ「薬をもらいにいく薬」「器」、お布団「夜を治める者」など作品の多くはコロナそのものを描くのではなく、描かれた世界での生き辛い状況を描き出すことでコロナ禍の閉塞された状況をそこに仮託しようとしているようにも感じた。小田尚稔の演劇「よく生きろ!」@こまばアゴラ劇場は群像劇だが、コンビニで働きながら廃棄食品をもらってくることでかろうじて生き延びている女性や仕事を失い、家賃未納で路上生活者になってしまう男たち、過去に起きた出来事の精神的なトラウマで生きていくことの困難を抱え込んでしまった女性……など現代社会の共同体から排除されている人々の群像を描き出していく。
 これまでの小田尚稔の代表作としては東日本大震災の時の東京を描いた『是でいいのだ』(2016)があったが、この時の登場人物には様々な困難を抱えながらも仕事を探すための努力をしたり、それこそ新宿から家がある国分寺まで歩いて帰ろうとしている女性など苦境の中にも希望を描こうとしていた感があったが、その後の10年で日本の若者が貧困化し、先の展望も抱きにくくなったような現状を反映してか、この「よく生きろ!」ではいつ世界の網の目からこぼれ落ちて、姿を消してしまってもおかしくない人たちの姿が実感を持って描き出されており、それは作者本人の置かれた状況の変化も反映されているのではないかとも感じた。
 平田オリザタイプの群像会話劇の弱点は登場人物の内面がいっさい語られないことで、随分前に平田にそのことを「この方法論だと表現できないことがあるのではないか」と問いただしたことがあるのだが、その時の平田の答えは「表現できないものに興味はない」というものだった。
 小田尚稔はモノローグのひとり芝居を連鎖させることで、登場人物に内面を吐露させる方法論でスタートしたが、この「よく生きろ!」では会話劇とモノローグ劇の形式をうまくミクスチャーさせて、オリジナルな群像劇の形式に到達した感がある。
 そして「オリジナルな」と書いたのだが、この作品を観劇しながら「よく生きろ!」がある作家のことを連想させることに気が付いた。その作家は小田尚稔とは生まれた時代も国も違うけれど、その表現はその時代のその国の社会に生まれていた先が見通せない絶望的な閉塞感を見事に描き出した。
 思わせぶりな書き方をしたが「ある作家」というのはアントン・チェホフだ。小田尚稔が描き出した現代日本の若者が抱く絶望的な閉塞感は100年以上前のロシアでチェホフが描き出した空気感と妙に呼応するところがある。そういうことを感じるに至ったのは「よく生きろ!」で何度も繰り返される「生きていかなくちゃ……」というセリフが「三人姉妹」のセリフを想起させるのがきっかけ。ただ、「よく生きろ!」で到達した小田尚稔のスタイルが会話劇でありながら、随所にモノローグにも近いセリフが挿入されるようなチェホフの作劇スタイルと共通点を感じたこともある。
 小田尚稔は哲学書など特定の著作にインスパイアされて作品を作ることが多い。この作品でも岩田靖夫『よく生きる』が引用されている。チェホフに関して言うのならそうした意図的な引用はなされてないとも思われるのだが、物語の中で重要なモチーフとなっている近くにある湖の存在とかチェホフのモチーフと重なり合うところはあり、100年の時を超えてロシアと日本の生きづらさが二重写しになってくるのだ。
 
 
 

脚本・演出:小田尚稔
どのように生きればよいのかがわかりません。哲学者の岩田靖夫氏は次のように書いています。「人間として生きるというのは、エゴイズムと自己犠牲という矛盾した二つの生き方の緊張の中で、いつもその緊張に苦しみながら生きるということです。」岩田靖夫『よく生きる』(ちくま新書、2005年、40頁)
そして最近は日々の生活を送るなかで、多くの場合ひとつの物事には「よい」側面と「悪い」側面が共存していることを感じております。今回は上記を念頭に置きながら、「よく生きる」という事柄について自分なりに考えながら劇作をしたいです


2015年より劇作活動を始める。「いつでも、どこでも、誰にでも」伝わるような普遍性のある作品づくりを心がけて劇作を行っている。主な演劇作品に『是でいいのだ』(2016)、『悪について』(2017)、『善悪のむこうがわ』(2019)、『罪と愛』(2020)、『レクイヱム』(2021)など。2018年には滝口悠生氏の長編小説『高架線』の演劇化を手掛けた。



出演
加賀田玲
こばやしかのん
小林駿
坂本彩音
的場裕美
宮﨑輝
渡邊まな実

スタッフ
音楽・音響:土屋光
照明:佐藤佑磨
映像:南香好
舞台監督:小田尚稔 小林駿
宣伝美術:渡邊まな実
記録映像撮影:河野恭平
演出助手:宮﨑輝
制作助手:こばやしかのん 的場裕美

芸術総監督:平田オリザ
技術協力:黒澤多生(アゴラ企画)
制作協力:蜂巣もも(アゴラ企画)