下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

DULL-COLORED POP vol.21 『マクベス』@KAAT

DULL-COLORED POP vol.21 『マクベス』@KAAT


DULL-COLORED POP「マクベス」プロモーション映像

現在もっとも注目されている演出家、谷賢一によるシェイクスピアマクベス」。谷は演出においてオーソドックスに演技をディレクションしていくのにとどまらず、自分のアイデアを次々と盛り込んでいくタイプではあるのだが、今回の「マクベス」の幕切れには驚かされた。個人的には「マクベス」でこれをやるのはどうよと思わなくもない*1のだが、音楽や歌、映像をふんだんに挿入したスピード感の演出など全体的には高い評価をしたくなる舞台であった。
劇中音楽をドレスコードの志磨遼平が担当。ジャズからロックまで多彩なジャンルの音楽が使われているのだが、シーンによって千変万化する音楽が舞台に彩りを与えた。志磨遼平といえば「天国のでたらめ」の作詞作曲を手掛けたことで知られているが、あれも結局ミュージカル「ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?」のテーマ曲となった。谷とは以前「三文オペラ」でも組んだことがあり、引き続いてのコンビとなった。特に冒頭の魔女の予言の音楽は見た際にはミュージカルっぽいと思ったのだが、先に「三文オペラ」があったというのを考ええたらブレヒトの音楽劇っぽいともいえそう。途中で白い布が上から降りてきて、そこに映像を映したりした後、ギュイーンという大音響のギターの音がかき鳴らされて、幕が取り払われるところが私がまず感じた音楽劇としてのクライマックスで、こういうのができる志磨遼平は凄いと感じさせられた。
(ここからはネタバレレビュー)
 すべての公演予定が終了したのでここからはネタバレありとしたい。「今回の『マクベス』の幕切れには驚かされた」と書いたが、最大の驚きはマクベスが復讐で殺されることなくのうのうと生き残ることだ。マクベス夫人も死なない。マクダフはマクベスの腹心の手により後ろから突然撃たれて死んでしまうし、挙句の果てにマクダフを殺したのは裏切り者の先王の息子だということも「閣議決定」される。
“Fair is foul, and foul is fair. ”の冒頭の魔女のセリフ通りでマクベスの前ではすべての事実は嘘により塗り重ねられていく。もちろん、これは昨今の安倍政権に対する揶揄以外の何ものでもない。
 そして、この展開は文字通り虚を突いていて、「そんなバカな」と驚かされたのは事実だ。もちろん、「なんでも閣議決定」を始め、今の安倍政権はひどすぎるというのも確かだ。こういう政権批判はある種の人から好まれもするし、高い評価をする人たちも出てくるだろうということも大いに予測される。
 とはいえ私としてはこうした結末付けを高評価することはしたくないし、むしろ前半、中盤の素晴らしい舞台を棄損していると思った。谷自身はどうやら「再演する際には結末は原作通りに戻し、こんな結末にすることがないような世の中が来ることを期待する」をというようなことを言っていて、私もそれには大いに同意するところだ。

作家・演出家として成熟し、ますます注目を集めている谷賢一が満を持して挑む、シェイクスピア現代日本への翻案上演。

先の見えない不安、希望のない未来、行き詰まり暴走する政治……。『マクベス』のテキストを徹底的に解体・再解釈することで現代日本との共通点を見出し、観客に全く新しいシェイクスピア像を提示します。

運命の魔女にそそのかされて野心に苦しみ、権力を手にした後も不安に苦しみ続けるマクベスの心理をサイコホラー/サスペンスとして新鮮に捉え、たった6人のミニマルな出演者でタイトに演出。

今さら古典を古典らしくやって何になる? 現代劇以上に現代的な言葉と演出で、シェイクスピアに新風を吹き込む大胆不敵な翻案上演。

原作:ウィリアム・シェイクスピア

翻案・演出:谷賢一

翻訳:松岡和子(ちくま文庫による)

出演者:

東谷英人、大原研二、倉橋愛実、宮地洸成、百花亜希(以上DULL-COLORED POP)

淺場万矢(柿喰う客)

スタッフ

劇中音楽:志磨遼平(ドレスコーズ

照明:横原由祐

音響:中村嘉宏、佐藤こうじ

映像:松澤延拓

衣裳:及川千春

ヘアメイク:大宝みゆき

舞台監督:森山香緒梨

舞台監督助手:浦本佳亮

宣伝美術:内田倭史

写真撮影:杉能信介

制作:小野塚央

*1:これを積極的に評価しだからこの舞台は素晴らしいとの劇評が出てきそうだが、私としては正反対で、このラストのマイナスを差し引いても十分に素晴らしいとの立場だ。